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ジージースティルアライブ

前回の投稿が1月14日だったからもう10日も経ってしまったわけだ。
なんだか去年のクリスマスあたりから、妙に忙しく(仕事ではない)
登場人物も多くて目が回っておる。

ヒッチャカメッチャカの成人式の後、1月17日に娘はアメリカに帰った。
娘は高校からアメリカに留学していて、現在大学2年生。
高校はワシントンDCに留学、大学はサンディエゴに留学している。

娘にはジージがもしかしたら次に会う時、5月の夏休みに間に合うか間に合わないかはわからないよと伝えてある。

20歳の娘にはじーさんが死ぬという生命の順番の法則は
えー。困るという言葉と共に
複雑そうな顔をするしかできないようだった。

娘とジージはとても仲良しだった。
海外留学経験があるジージとバーバーの馴れ初めや
結婚までの道のりを聞いてエンエン泣いていた娘。
純愛に憧れる、遠距離恋愛しかできない、
海外留学生アルアルの悩みを抱えており
毎度毎度送り迎えするボーイが変わるという
他から見れば羨ましい。本人としては誰も私を待ってくれないという
ジレンマとの戦いを繰り広げている最中で
ジージとバーバーの恋愛を聞いては
そんないい話あるの?と涙を流して聞いていた。

という下書きを24日書き終えて
そのまま、さらに忙しくなりバタバタ。
なんと今日は2月9日だ。

父はスティルアライブだ。

成人式も終わり帰るモードになる娘。
アメリカに帰る数日前、爺婆娘、パートナー私で夕飯を食べた。
バーバのお家で、バーバの手料理を食べて
いーちゃん。また頑張ってよーといい時間を過ごした。

娘がアメリカに旅立った次の日、
私は友達とニセコ旅行に行った。
しかも5泊6日の久々海外並みの長期旅行
久しぶりすぎウキウキしたが、ニセコに行く当日
母からお昼前にラインが入った。

ジジ入院。黄胆出て胆管に通す処置のため1週間くらい。
どんどん悪くなる。

余命1ヶ月とかなのかなと
急に死期が早いのではという不安になり
ニセコに行かずサポートしようかとババに連絡した。

そんなことはないと思うけれども、今回の処置はそれなりに危険も伴うから慎重にしますという話。
前回よりも確実に悪くなったから黄疸が出たということ。大丈夫ニセコ楽しんできて。

お見舞いにも行けないし、会うこともできないのでは
どうしようもないから行ってきていいよという話でまとまった。
頼もしい母に感動して私は、少し心配しながらもニセコを目一杯楽しんでいた。

その間も連絡を取り合い
結構まずい状態まで行ったが、(膵炎になりかけた。それはとても危険らしい)
手術は成功したということだった。
母がたまに弱音を吐いているのを、そうかそうかと聞きながら
あーじゃねこうじゃねラインしていた。


そしたらそれはいきなり勃発した。
ジジが18日(水)に入院、
ニセコパウダーを謳歌している21日(土)の昼過ぎ。
ジジがいない生活にババの情緒が狂った。
ジジのことを頭ではわかっているけど
体が受け付けない。と。

電話があり靴べらを持ってきてほしいと言われて
持っていったが病院の入り口の宅配ボックスに置かせられ
顔も何も見れずなかったとしょぼくれていた。
とても不安になったのであろう。
小学校からの同級生の二人。いつも仲良くゴルフをしていた二人。
週4回は外食して酒を飲んだくれていた二人。
12月はまだゴルフも行っていた二人。
このまま死んでしまったらどうしようと思ったに違いない。

あなたはスキーのことで頭がいっぱいでしょうけど。と嫌味を言ってきた。
そして、私のパートナーにあいつ(私)は使えないと陰口のメッセージをしていた。

母と私の元々の確執があるせいもあるが
とにかくそれでプッツーンしてしまい。一度、腹の中に納めたがイライラが収まらず母にイライラをぶつけたラインを送りつけてしまった。

こちらは精一杯サポートしているつもりだし、
いいよっていうから行ったのにいやみ?
イラッとしているの?
爺婆をすごく心配しているからとても寂しいなと

私の中では精一杯の優しさで最後の寂しいなは絞り出した言葉だ。
そして、あのクソババーマジでムカつくと
パートナーに泣きついた。

まあ後から見れば、大した話ではないが
その時は、火山噴火であった。

その後、母からもわかって欲しかったという連絡がきてチャンチャンな話である。

次男であるパートナーからしてみれば、母親の嫌味など何とも思わないらしい。
長女の私は、すぐカッとなり、流せない。

ニセコから帰り
24日には、退院を手伝うために朝10時に病院に行った。

病棟から出てきた父の一言目は
看護婦がうるせーだった。


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