自伝1〜居候から謎の女性まで〜
1980年代のいつかの夏頃、東京都太田区で生まれた。・・らしい。
らしいというのは、当然聞いた話だからだ。
今思えば、自分の出生についてはしっかりきいたことが無いような気がする。
小学生の頃に「親に赤ちゃんの時の自分の事をきいてくる」的な授業の時に、母からきいたくらいだと思う。
物心ついた時は九州某所にて祖父母の家に住んでいた。
祖父、祖母、母、姉、自分。父はいなかった。
後からきいた話しでは里帰り育児で帰省したまま東京にかえらなかったようだ。
理由は、ウワキだのお金のつかいこみだのと言っていた気がする。
祖父母は、というより祖母がとても厳しい人だった。
当時母はパートをしていたようだ。
家にお金を入れていたかどうかは不明だが、そんな我々を祖母は時度「居候」と言っていた。
麦茶を飲もうと冷蔵庫を開けた時、勝手に開けるなとひどく怒られた事もある。
少なくとも居心地が良かったとは言えなかったと思う。
ほどなくしてアパートにひってした。
たしかお弁当屋の2Fだったと思う。
母は仕事に行き、姉は4っ上だったから、もう小学生だったと思う。
家で1人でいることが増えた。
保育園に行っていたが風邪をひいて休んだ時は家に1人だった。たぶんさみしかったんだと思う、あまりおぼえていない。
一階のお弁当屋さんに少し年上の友達がいた。
もちろん名前もおぼえていない。
ある時、アパートの階段を踏み外して、転げ落ちた。
大事には至らなかったが、高い所が苦手になったのもこの頃からだったと思う。
この頃ふしぎな来事が起きた。
今でもふわっと思い出す。
家に1人でいた時に女性がたずねてきたのだ。
髪が長くて黒くて、まあまあキしイな人だったと思うが幼い頃の記憶なのであてにはならない。
玄関先でしゃがんで目線を合わせて話してくれていたのが印象的だった。
保護者不在にも関わらず、ノックに応えドアを開ける不用心さは「時代」としか言いようがないだろう。
その女性から母はいるか?とたずねられたから「いない」と答えた。
としたら「また来るね」と言ったあと「大変かもしれないけど、がんばるんだよ」といったかんじの言葉で語りかけられた。
明確な意味はわからなかったが、なんかはげまされたんだな、ということはわかった。
女性は「みどり」と名乗った。
「みどりの日だから来た。」と今になってもよくわからない事を言っていた。
またくると言っていたみどりは、二度とくることはなかった。
その事を母に話したら、複雑な顔をしながら「もうその人が来ても、何も話してはいけない」というような事を言われた。
今思うと、父の浮気相手だったのかもしれないと、想像を膨らましている。