さよならteto

2017年結成されて少ししか経っていないtetoと出会った。夢中になって、むちゃくちゃなライブに通って、毎日小池さんのtumblrをチェックして、小池さんの紡ぐ言葉とtetoが鳴らす音楽すべてにドキドキしていた。初めてtetoのライブに行った時、それまで好きなバンドのライブに行っても人目を気にしてノリきれていなかった私が「こんなに自由に音楽に没入することができるんだ」と周りを気にしなくなった。警報級の台風が来て、多くのバンドがライブやイベントの中止を発表する中でtetoは強行するのをハラハラしつつもやっぱり肝がすわってるよね、なんて思いながらTwitterを見てた。楽曲の盗作騒動が出た時も、これからどんな気持ちで聴けばいいんだろうと思ったけれどそれを乗り越えてまた夢中になれる曲を作ってくれた。2人の脱退は突然すぎて、4人のtetoを噛み締めてライブを観ることもできなかった。コロナ禍はしばらくライブもなくて、薫さんと2人できた弾き語りで久しぶりに小池さんが歌ってるのをみたと思う。ライブハウスに等間隔に並べられたパイプ椅子に座りながら小池さんがtetoの曲を歌いはじめたとき、涙がブワッと一気に溢れた。ギターの一音目で涙が出て、そんな体験は初めて小山田壮平さんのライブに行った時の「投げキスをあげるよ」以来だった。2人になってから出した曲は「とめられない」が大好きだった。サポートには「2」で大好きだったyuccoさん(2が活動を止めてしまった時期も重なり辛かったから、これには嬉しさと寂しさが混ざった不思議な気分だった)、ギターにギマくんやヘルシンキのタイキさんが入ってくれて、tetoとしてのツアーも回ってくれた。ツアーの後、名前が変わると発表があって、メンバーも正式に入ったりした。新しい曲も発表した。tetoじゃないバンドの楽曲と考えれば普通に好きかも、なんて思った。私はもう客層じゃなくなったのかな、と思った。「次に出す曲は好きになれるかもしれない。」「この曲はまあまあ好きかもしれない。」そんな下手な慰めをしながら曲を聴くのは楽しくなくて、案の定聴かなくなっていった。バンドとして変わってからもライブに行ったけれど、tetoの曲だけが私にとってかっこよかった。何よりそんな自分が悲しかった。あんなに夢中になった人が作る曲に、こんなに興味を持てなくなってしまった。こんなに私は薄情だったのかな。そもそも私が前よりも大人になって、音楽が常に必要だった不安定な時期を脱したからなのかな。小池さんは新しい曲を出すたび、「この曲がかっこいいってわかるやつはカッケェ」というような感じのことを言っていて、あんなに一体感を感じていた小池さんの言葉からも取り残されてしまった。最近、teto時代の曲の再録も出していたけれどやっぱりtetoの時の方が好きだった。高層ビルと人工衛星は、いらっしゃいませ満タンですか?から始まるガサガサの音の方が好きだし、二階席にぶら下がったり、骨を折ってた小池さんが好きだった。もうこれ以上、tetoの亡霊をdadadadysに求めるのはやめにしようと思う。小池さんが新しい色の音楽をしようとしていたのをわかっていたけれど、私が好きだったtetoとそれらが剥離する度に、私は勝手に傷ついていた。
今日でそれはやめます。ありがとうteto。私が今日まで生きているのは、あの頃tetoの音楽に救いを見出していたからです。
また、気になる日が来たらあの光るまちで歌を聴かせてください。

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