頭の中がとりとめも無さ過ぎるのでそろそろ年だし吐き出せばいいのではと思った。
初note!
とはいえ何がしたいのかとかも無く。
いやしたいことは山ほどある。
まず猫カフェに行きたい。これは最近になって2度ほど行けたのでもっと行きたい!!
基本的に強欲^^
「^^」これで年がばれるな!
どうでもいいと自分で思ってるくせに「年年」言ってしまうのは社会の呪いだと思う。嫌いなのに囚われるのは「呪い」でいいと思っている。
イベントに行きたい!!!!!!
叶わないな!!!!!!滅新型コロナ野郎!!!!!!
とはいえ8月インテに一般参加して参ったが。こんなに人の少ない夏インテなんて初めてで、かかわる様々な業者さんが、サー主さんが必死で繋いで下さっているのを感じた。
自分のことで手一杯になってしまう己が情けなかった。
今自分が持っているものを捨てられず、かといって新しいことがしたい気持ちも持ち続け、中途半端な自分が会場に宙ぶらりんに浮いているような気がした。
人が少ない分、自分という存在が自分自身に対して浮き彫りになったのかな。
心が空虚だったというか。
オタクカルチャーは嗜好品なんだなあ。
でも人間の心には嗜好品が必要なんだよ。
嗜好品のために働いてるとこ、存分にあるでしょ。少なくともわたしはそう。
そういえば仙人になりたかった。小学生のころくらいから。
姉が友達から借りてた「封神演義」を盗み見て、「仙人は霞食って生きてる世捨て人」だと思ってたので驚いたけど。
楊戩と哮天犬と黒点虎と四不象が推しだったなー。モフモフ最高!!!!!!趙公明と雲霄三姉妹も大好きだったなー。
モフは置いといて、わたしがなりたい仙人は「霞食ってる世捨て人」だった。
小学生のころからいっちょ前に人間が嫌いだった。
人間?人類?人類かな。今も好きではない。
世界滅んだらいいと思ってた。
家族友人が死ぬのは嫌だけど、一瞬で全滅したらよいのでは?と思っていた。もちろん自分も含めて。
でもノストラダムスの大予言は怖かったんだなー。
その「ちぐはぐ」こそが嫌いで不可思議で観察しがいのある「人間」なのだとのちに気付いたけども。
「人間」「単品」なら好きなんだよな。
でも「人間」が「寄り集まって」「なにかを成そうとする」状態が嫌い。
はじまりは小学生のころ(わたしの自我・思考の方針はその頃ガチガチに仕上がった)、
うららかな昼下がり、無人の居間で垂れ流される「国会中継」なるもののお蔭で、わたしは「人間」も「大人」も大嫌いになった。
それこそ子供にとって「大人」という生き物は、
「(なんか意味もわからず)すごい」し、
「(よくわからんけど)(態度も含めて)偉い」し、
「(身近な、又は先生と呼ばれるようなテレビに出る人は特に)頼れる」
ものだと思わされて育てられた。
少なくともわたしはそんな風だった。
昔親に歯向かったら担がれて「川に捨てるぞ」と言われた。私の中には正当性があり、理不尽に感じたから歯向かったのに(お粗末にも「ばか!」としか言えなかったが)、
「大人代表」の「父親」が、頭ごなしに「川に捨てるぞ」だった。
偉そうにもほどがあるよな?
でも従うしかないよな?
なんか大人になると「偉い」し「理不尽でもいい」し「大人がルール」になるらしいな?
と、ひねくれた子供だったわたしは学習した。
子供(相手)のことを、意図を知ろうともしない父親だった。今も彼のことは「嫌いな人間」として私の中に分類されている。
話が逸れまくっている。でもなー主旨とか無いので。表題の通りなのよ。
居間から♢AのGBM聴こえる!野球~~~~~!!!!!!
なにはともあれ、
国会中継な。
あれちっちゃい頃から本当に嫌いで。
いつでもガキの喧嘩しかしてないやん。ただの小競り合いやん。
「そりゃああんなことして大事な事なんて決められんし、いい考えなんて思い浮かばないよねー税金でねー・・・・・ウワッ最悪やないか!!!!!」
「と、小学生女児に思われる<大人>かっこわる~恥ずかし~」と小学生女児が思っていた。
そして【「小学生女児にそんな風に思われる<大人>かっこわる~恥ずかし~」と小学生女児が思っている】ことを、一番仲のいい同級生に話した。
「うちも思ってた!!!あいつら何なん?!ケンカしかしてないやんね!!あれが仕事なんやろ??意味わからん・・・・・」
めっちゃ同意された~~~~~~~~~~~~
そこから、その日の登校は、国会中継で相手の悪口しか言わん大人の愚痴大会になった。不快なのでそれっきりの話題だったけど。
「私だけじゃないんや!!!!」とその時打ち明けられたことは良かったなと、今でも思う。
だってなんか…「こども」が「おとな」を批判したりするのって、謎に罪悪感あったから。それは自分たちが周りの大人にそれなりに大事にされて育ってきたからなんだと、今ではわかる。
でも「おとな」と「こども」を分けて考えていた当時、こんなことは親にチクらない、信頼できる友達にしか言えないと思っていた。
今でも、友達には恵まれてるなと思う。
有難いことに、明るい子が多くてみんないい子。
わたしのめんどくさい「他人との距離感」でも平気なのか、会うと楽しい。
昔っから人見知りで、「あ、この人苦手…」と思うとふ…とフェードアウトするわたしだけど・・・・・。仲いいというか、スタンスが合う人は年単位で会わなくても「なんか平気」だし会ったら昔みたいに話せるのが心地いい。
「年齢」でいってもみんな大人になった。
結婚したり、親になったり、どっからどう見ても「大人」になった。
会うたび、昔と同じ話で笑ったりもするけど、ハッとするほど「しっかりした」人になったと思う点が増える。
彼ら・彼女らが意見を出しあう立場だったら…と思ってしまう。
学歴は確かにないけど。田舎だから高卒が多いし、大卒は地元に居なくなるし。
でも「学歴」とか「家柄」とか「地盤」とかって、いったい何の呪いなんだろうと思う。
成人式からこっち、会ってない同級生、元気かな。シングルになったらしくて、頑張ってるんだって。わたしは生活圏が違うから遭遇すらしたことなくて。
そのこはなんか、浮いてたというか(わたしも変人認定されてたけど)、知らずウザ絡みするこで、ほんのり嫌われてたっぽい。
わたしはというと、別に用事がないと話しかけたりとかしないし、特別仲いい子としかあんまり話さなくなっていた。
そのこはたまーーーーに私に話しかけてきた。
私は変人認定されてたので(?)、チラホラとたまーーーーーーーに話しかけてくる子が何人かいたけども。
その中には、話しかけられて反応に困る部類と、話しかけてきた割に自己完結して去っていく部類があった。彼女は前者だった。
なんていうか、自虐する子だった。
今思えばそういうコミュニケーションをとる事で人間関係を円滑にしたり、話すきっかけにしたりする子なんだと分かるけど。
当時は困った。
わたしも自虐的だったので!!!!!!!!!
自己肯定感の低い人間は「私より目でか!」とか言われても「ああ」とか「うう」しか返せないのだ!!!!!!!!!!!!
自虐ミーツ自虐。これアカン。
いや今やったら「そんなこと言うな!!!」「自分を貶めるんじゃない!!!!」「貴様と俺とは別個体だろうが!!!」とか言うけど。
「お前には俺にはない化粧という技術があるだろうが!!!!」も言うかな。
当時はねー困ったねーーコミュ障というか、考えすぎて身動きとれんようになってたからね~~~~~
まーだからなのか何なのか、
勝手に、今でも、すごくシンパシー感じている。
んまぁ~~~まったく会ってもないし、中学生当時ケータイ持ってなかったから連絡先も知らんけど、すごくシンパシー感じているし、応援したい。
会わないし、ただの同級生なだけだけど、ちょくちょく思い出してしまう。
今、ママになってんだって。
髪が細くてねこっ毛で、色白で皮膚が薄くて、見ため儚げなのに、ドチャクソにふざけるし、声でかいし、運動神経抜群で明るい子だったな。
頑張り屋だったな。小中いっしょだったけど、グループは違ったな。
たまーーーに話すだけだったし、多分わたしの存在はネタのひとつだったんだろうけどw
仲良くも険悪でもなく、なんとなーく平行線で。
距離感すきだったなあ。
どんな思考回路をもってるのかとか全然しらんけど。
たまに思い出しては頑張ってんだろうなとおもう。
彼女はシングルなんだって、今。
この国は生きやすいんだろうか。
わたしは生きやすいと思ってないよ。
どっかで遭遇したいな。
なにか助けにはなれないとは思うけど。
昔おもってた「大人」と「こども」の対比が、
今「男社会」と「女」と「生きづらいと感じてる人達」くらい分化している。
とりとめもねーな。
でもこういうことばっか考えてしまう。
ので、そういう吐き口に使わせてもらおかなと思ってはじめてみた。
飽きたらやめる。