害とはなんぞや

祖母と同居している。


両親働いていて、正直育てられたのは祖母。

母はご飯にまつわることをほぼすべて苦手としていて、「夜ご飯を弁当用に取り分けておいて、適当にお弁当に詰める」作業すら苦手としているために、「苦手なもんを他人のためにする理不尽やばない?」とその頃から感じていた私はお弁当になった中1から自分で弁当を詰めている。(どうしても必ず寄り弁してしまうため自分でギュウッギュウに詰めた)

風呂は祖父と入る小学生だった。ゆず湯の柚を湯船の中で剥かれて以降怯えていたけど、小4くらいまで一緒に入ったと思う。

父は子供らしく早寝していた頃は、土日だけ出会うウザ絡みのオッサン。ウザ絡みのオッサンは今もか。


まあなんせ真っ当に関わる大人としては、祖母か先生か、そういう子供だった。

とはいえ、変なことをすれば自分に面倒ごとが降りかかることは小さい頃から理解していて、かつ末っ子な私はなんか上手いこと問題のある優等生的な感じで居たので、とりたてて話すこともなかったが。

いや何かあっても何一つ話す子じゃなかったな??

まじでちっせー頃から自分で抱えて生きてたな。クソみてーな事クソガキの親に言われても無視して担任にも親にも言わんかったな・・・「バカの戯言は無かったことにするに限るぜ」ぐらい思ってたな・・・

そうは思いつつ勝手に傷ついてはいたけど。言わんわそんなこと誰にも。

だからまー親にも、一番関わりある祖母とも、自分の内面に関してはたいして話してはなかったな・・・


残念な子供・・・



それはさておき

いつだったかの頃から「老害」とい単語が出てきたころ。

(最近聞かんのは差別的とかそういうことなんやろか?無知やな・・・)(今回は体感の話なので書き終わったら調べます)

私は学生だったと思う。

その頃は「老害」という生き物がいると思ってた。

良いのが「おじいちゃん・おばあちゃん」で、クソなのが「老害」

と、思っておったわけで。

バイトでスーパーのレジに立ってた時も、「ブラックリスト」の客は「性根の破綻した人間」とカテゴライズしてたと思う。「話が通じない・態度が横柄で怒鳴る」そのブラックリストの連中も、いずれもオッサンばかりだったので「男の老人・オッサン」は警戒してた。(オバハンも怖い人はいた)


≪【「ヤバい」とされる人間】 というカテゴライズがある。≫

と思ってしばらく生きていた。


実際、新卒で入社した先には誰に聞いても評判の悪いババアが居たし、ほかの職場でも「あの人は・・・・ねぇ」と様々なる人間の意見を聞いた。本当に調子のいい奴らで、上司に使う猫なで声が死ぬほどキショかった。

ぼやくばっかりで動かんし自分で考えやんし、言われても動かんし忘れるしズル休みするし、挙句「昨日酒盛りして二日酔いなので無断欠勤」を「コロナ期間中に」やらかす元公務員もいた。

真っ当そうな優し気な人でも「君の心情に寄り添っています」という体で論点をすり替えて搦手で人を丸め込もうとするオッサンもいた。そいつも公務員やったわ・・・つら。


そんな「ヤバい奴」はずっとヤバいし嫌な奴やと思っていてた。

その方が楽、というよりは、「そんな奴に対して使う労力(妄想力)ががしんどいわ」という感じ。


そんなこんなである職場に転職したとき、「やべー奴」がいた。

面倒なのは「客」なこと。かかわる時間が長いこと。私はかかわりが薄い立場だったのに、人員不足で関わらねばならんことになったこと。

かかわりの薄い頃でも大概にせえよ!と、うるせえわ!と思ってたのに、飯の世話。飯!!やりたくない!!!やるけど!!!!!やったわい!!!!

最近聞かないから忘れてた「老害」という単語が頭をよぎる・・・

案の定絡まれる。

ので、「私はこう思ったのでこうした。あなたの様子は見るけれど、要求がない限り人によってどうされたいかは違うので、私は動かない。用があるなら呼んでくれ。」の旨を伝えた。

すると「そうですか。それは人によって違いますねえ。」

ハ?まじで?ええんや・・・・

思てたんとちゃうかった。


以後、なにかとやり合う事も無いではなかったけど(やり合うなよ)、私にはあまり強くは出てこないようになった。

(相変わらず見慣れない人・弱腰の人には強く出るし、揶揄って遊ぶような嫌な奴ではあったけど。)(ほかの人に向かって「オイ!オバハン!アンタやアンタ!」とか言う。ほんま無理。思うだけにしといてよ本人に言うなよ。)

そんでその爺さん、そんな感じの割に子供好きらしく、職員の子供の勉強見てあげたりする。交換日記みたいな感じで裏紙に英文かいて宿題だして、添削までするし、それがまためっちゃ嬉しそうやねん。えぇ~嘘やんわたしが生徒やったら嫌いなタイプの先生やけど‥‥本人は好きらしい。


わたし的には「老害」ではあるんやけど、「老害」という人はいなくて。

イラついたとき、不都合なとき、しんどいとき、に「老害」モードになる。


ということが最近分かった。


なんで最近やねんというと、うちのおばあちゃん。

認知症が来ててめっちゃだるい。だるいねんけど悪人じゃない。

でも人をイラつかせる言動を多くとる。人の話を聞く力が落ちた。きいても忘れる。


前はそんな人じゃなかった。

性悪の多いこの土地で、60年ほど上手くつき合ってきたやり手の主婦。それがうちのおばあちゃん。

口の悪いおばちゃん達の中に在って、口が悪すぎず、ほどほどに付き合いも良く、冗談など交えつつ「こんなこと言うたら角が立つから」とにこにこ誤魔化したりして、誘導尋問する性悪どもの中で気の合う友人を見つけ、仲良くしないといけない人とほどほどに仲良くしてきた。

すげーーーーーーーー!!!!!!!!!!無理!!!!!!!!!!!できんよそんなこと!!!!!!!!!!袖すり合うて「いや!この方性格がお悪いわ!!!」と感じた瞬間、心のシャッター鍵まで閉めるような私は本当にばあちゃん凄いなと思う。(仕事はなんとかしても、プラベは無理。)

これが主婦の仕事場ってこと・・・?修羅の道では????


そんなすげー主婦だった祖母が認知症。

我慢しないし人のことも話の文脈もない。こっちはイライラ。本人はイライラされてる意味が分からない。たまに尤もらしいことを言うので、そういう時は症状がましな時なんだろう。彼女の根は今以て善良である。


「害悪を振り撒く」=「周りの人間を不快にさせる」=「老害」=「悪」

と思っていた私は、こ・・・これが老害・・・なのか??と慄いた。


でも「不快」にはなるけれど、彼女自身は「悪」ではない。

で、思い出したのが職場で出会ったうるっせえ爺ちゃん。彼も「悪人」とは言えない(嫌な奴だけど)。


「老害モード」が「悪」なのであって、「老害」とかいう人は存在しない。

いい年こいてやっとこさ気づいた。


いやさ「老害モード」じゃない時はちゃんと相手してますぜ。

「老害モード」は「2割くらいだけ話を聞く」ことにしてる。

そんくらいがいいよって話。誰も無理していいこたあねぇよなって話。

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