祝福について
こんにちは。
新人VTuber、名梨ナイです。
わたしはふだん旅をしたりしています。
今日は考えたことを書きます。
わたしには「親」という役割の大人が身近にいません。
なので、周りの大人がパズルのピースを少しずつ嵌めるように「親」のようなことを言ってくれたり、やってくれたりします。
一つの存在の「親」というのは『大変な責任』のようで、少しずつみんなに分けなければ、本来補いきれないものなのです。
きっとこのような、小さな欠片の集合体が「大きな愛」ってやつで、親って言うのは子どもにこういう事をしているのか、と思うとじんわりむず痒くなります。
靴下は履きなさい
お箸は口を付けた方を左にして置きなさい
立って挨拶するんだよ
座敷では座って挨拶しなさい
貴方は真面目だから大丈夫
一つだけ買ってあげる
こっちが食べたいなら交換しようか
こういう言葉の中で一番言われた言葉があります。
「本を読みなさい」
みんな口を揃えて言うんです。
「本を読みなさい」
「本を読んでいるなら大丈夫」
「本だけは読み続けなさい」
「読書は良いことだから」
「本が好きならこの人はどうかな」
「いいんだよ、本を読んでいるなら」
わたしを取り巻く様々な大人はみんな、わたしに手が出せません。
何故なら本当の親ではないから。
本当に大きな責任は、持とうとしても持てないのです。
でも、精一杯、本を読みなさい、と目を合わせて言ってくれます。
わたしが読んだ本の話を聴いてくれます。
これは祝福です。
貴方の人生がより良いものであるように、という、大人から子どもへの小さな愛の欠片です。
本を読み続けることが、どこに繋がっているのかはわかりません。
でも、わたしは祝福を受け取ったので、本を読み続けますし、みんなに言います。
これがわたしの愛でもあるのです。
貴方も本を読んでください、きっと良いことだから。
2021年12月14日
名梨ナイ