日々 #2 休職を申し出るまで
かくして、わたしは休職をさせてもらうこととなった。
「まずは、休めた自分を褒めてあげよう」というところか。
ジブン、ヤスム、イエタ、エライ…
素直に、呪文のように自己暗示をかけていく。
でも、どんなに呪文を唱えても、心の中は罪悪感と情けなさと焦りと不安と、その他あらゆる負の感情が渦巻く。「離脱してしまった」自分のことなんて褒められるわけがない。
▼前回記事 休職にいたるまで
今回は、休職期間に入る前後の状況についてもう少し詳しく掘り下げてみたいと思う。
全体最適のために、自分がすべきこと
休職する直前期、会社全体の業務が多くなっていた。業務が多いだけでなく、仕組み化もできていなかった。"うまく回っていない感じ"がするのは全員が感じているところだと思う。
目標とする売上に届くようにするにはどうしたらいいか?常に社員全員で改善に取り組んでいた。効率化できるものはなにか?譲ってはいけないものはなにか?
それを達成するための全体最適を考えたときには、わたしの「苦手なこと」を克服するべきであることは明白だった。
前回記事で「自己肯定感」について触れたが、そのときのわたしの心情は大変なことになっていた。自己肯定感などカケラもない状態である。
克服にも時間がかかりそうだし、そもそも苦手意識が強すぎて克服に至ることができるか自信がない…他のメンバーは頑張っているし、こんなことも努力ができないわたしはこの会社に必要ない人員なのではないか…
目標を達成するためには、わたしが辞めれば目標売上額も下がるんだし、辞めた方が良いのではないか…このまま続けることが迷惑になるのでは…
冷静に、客観的に見ればこんな考え方絶対NGである。余裕がなくて追い込まれると、わたしはこうなってしまう。よくない思考の癖だ。
今でも、苦手克服の重要性と優先順位については悩むところであるが、「わたしなんか…」が良くないことは知っている。
休職を申し出るとき
休職を申し出る時には、もう限界が近かった。
「明日から事務所にいけない…」
大迷惑であることは百も承知である。もっと早く伝えられていれば、まだ余裕があるうちに引き継ぎができたはず。だけど、まだできるのに「休職させてほしい」なんて言う勇気はなかったし、そもそも休職するという発想すらなかった。
どうしてわたしたちは、限界まで働いてしまうのでしょうね…
明日から事務所には行けなくても、ノー引き継ぎというわけにはいかない。直近で持っている仕事を洗い出し、どんなことをしなければならないかをまとめる。
この時点で、頭がボーっとしている状態なので、伝えなければいけないことが十分に伝えられなかったり、思い出せなかったりした。
引き継ぎ期間、身体の異常
伝えるにしても複雑なため、自分で行う方が良い業務もあった。休職を申し出てから1週間程度は、引き継ぎと残りの仕事を終える期間となった。
「週明け」を目処に休暇に入らせてもらうこととなった。
その日曜日の夜、急に右半身が痺れ出した。はじめは脚。つぎに腕。左は全く痺れなし。
それまでは「自律神経がうまく機能していない」という自己判断をしていた。ただ、半身麻痺は素人の自分でさえも、脳の病気を疑った。
「…脳梗塞だったらどうしよう」
調べれば調べるほど怖い。3時間以内に処置すべき、と書いてある。夜中だったので救急に行くべきか、朝まで待つべきか迷った。脳梗塞ではない気がするし…朝まで我慢しても大丈夫なのか…不安が募ってその日はほとんど寝られなかった。
月曜日、朝起きて主人にその話をしたら、午前中休みを取ってくれた。こんな時に、頼れるパートナーがいてくれて本当に心強い。仕事よりもわたしのことを心配してくれて感謝しかない。脳神経外科に連れて行ってもらい、MRI検査を行った。
「う〜ん、綺麗ですねえ…」
結果、異常なし。
限界、休暇
諸事情により、「わたしが完了させる」はずの業務スケジュールが押してしまった。もう少し頑張ろうかとも思ったが、その時点で一日の活動可能時間もかなり短くなっていた。それに重ねて半身麻痺である。
さすがに、ここでストップをかけなければ、一生取り返しのつかないことになってしまっては困る。わたしの身体は会社のためのものではなく、自分のためのものだ…(ちゃんとそう思えた自分は偉い。)
本当に本当に言い出すのが辛かったが、すぐにお休みに入らせてもらうこととなった。
休職をさせてもらうにあたって、「とりあえず有給を使って」と言ってもらえたので、特に診断書提出の必要もなかった。内科や精神科・心療内科の受診はしていない。(これにより、のちにどうして良いか分からず不安になるのだが。)
そして、休職期間へ。
そして、ようやく休職期間に入る。
次回以降の記事では、休職期間の過ごし方や感情について取り上げたいと思っている。
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