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地獄と理科と道徳と 後編①

「お前。これ、実質左遷だぞ」
「そうぉ? 素敵な永久就職だと思うけど」

 失礼なことを言う赤鬼は、金棒で自分の肩をとんとんと叩いている。痛くないの? それ。あたしは多分彼? に連れられて、ひび割れた大地を歩いていた。空はどんよりとしていて薄暗い。そこかしこから人の悲鳴が聞こえる。今の甲高いの、すごく良かった。振り返って聞き入っていると、後ろから声がした。

「役割はさっき聞いた通りだ。退屈するだろうけど」
「しなかったからあたしはここにいるんだけど?」
「そりゃそうだ」

 ここは地獄。この赤鬼先輩は、働き初めてまだ二百年の新米らしい。あたしら悪魔とは時間の感覚が違うというか、こっちの人達ってそういうノリだから、やっていけるかちょっと心配。これから何百年も新米扱いされるって、ダルくない? いや人に訊くまでもなくダルいわ。
 普通、持ち場を任された地獄の生き物は、何百という魂に苦しみを与える仕事に就く。あたしの場合はたった一つだけ。人間界に降りることもできず、悪魔界に戻ることもできないまま、ただ一つの魂を見つめ続ける。サタン様、いやサタンはそれを罰だと思ってるらしいけど、あの人が馬鹿で良かった。心からそう思う。あたしにとってそれは、天職でしかないんだから。

「しかし因果なものだ。日本人の悪魔として落ちた魂が、この地獄で仕事をすることになるとはな」
「別に地獄は日本だけのものではないでしょ」
「それはそうだが、お前の管轄は日本だぞ」
「へぇー」
「へぇって。お前、知らなかったのか」

 赤鬼は目を丸くして立ち止まった。長いくるくるの髪が掛かった目がじっとあたしを見ている。何? よく見たらあたしより可愛いつぶらな瞳じゃん、やめてほしいんだけど。あの魂が、人間界のどこの国に居るかなんて興味無いよ。

「俺はお前が、何をやらかしたのか。大まかには聞いている」
「ふぅん。なんて聞いてるの? 愛を貫いた、とか?」
「馬鹿言え。サタンの言うことを無視してずっと一つの魂を見つめ続けていたと聞いている」
「あぁやっぱり愛を貫いたって伝わってるんだね」
「お前、会話できないって言われないか?」

 咎めるような視線の理由は分からないけど、それも別に興味ない。肩を竦めて見せると、赤鬼は周囲を見渡して「この辺にするか」と呟いた。何をするつもりだろう。周辺には小石くらいしか転がっていない。ここに来るまでには、人の姿をした魂も転がっていたけど。その金棒を力いっぱい振り回すとか? ウザいからやめてね。

「ここでなんかするつもり?」
「お前の好きなもんを呼んでやるんだよ。仕事のためにな」
「それって……!」

 指導役の先輩として紹介された赤鬼は、声や体は大きいし、全然使わないのに常に金棒を持ち歩いているしでちょっと苦手だった。でも、あたしのために素敵なことをしてくれるって言うから、苦手意識は吹っ飛んだ。めっちゃいい人じゃん。
 容姿も性別も、あたしらは悪魔は興味がない。ただ魂だけを見る。そして好みの魂を食べたり仲間に引き入れたりするんだけど、あたしはそのどちらもしなかった。その汚い魂がもっとたくさん汚れるようにと、丹精込めて汚し続けた。その間、サタンがあたしに声をかけていたらしいけど、聞こえないような声で呼ぶ方が悪くない? 意味分かんないんだけど。

「お前はお前のやり方で、たった一人の人間の魂を汚し続けたと聞く。どのような方法を使った」
「えー? 普通に夢の中で悪事を働かせ続けたけど」
「悪魔界の普通、怖ぇよ」

 大きな体をきゅっと縮こまらせて、彼は弱った声をあげた。金棒の後ろからあたしを見ようとしてる。どんだけ怯えてんの。こんなデカいのに怯えられるって気分悪いなぁ。

「ちゃんと救済処置は用意してあるんだけど?」
「救済? へぇ、悪魔のお前がねぇ」
「正しい行いをすればもう二度と悪夢は見せない。その代わり、道を踏み外せば魂が汚れるって。そういう条件」
「ほう」
「強い救済があった方が、破られた時の効力も強いから。まぁあたしに魅入られるほどの魂の持ち主が、正しい行いなんてできるハズないんだけど」
「やっぱ悪魔怖ぇよ。ほぼ出来レースじゃねぇか」

 何を言ってるんだろう、この鬼は。気に入った魂なんか自分で囲いたいんだから出来レースなんて当たり前でしょうが。
 ま、ここに呼んでもらえればあの魂の素晴らしさが分かると思う。一目見て恋しちゃうんだから。ライバルは皆殺しにするけど。先輩、あの魂を呼んだ後も生きてるといいな。惚れなかったらあの魂に失礼だから殺すけど。

「お前、あの魂の持ち主のこと、何も知らないんだろう」
「確かに知らないけど、別に知りたいとも思ってなかったし。っていうか、持ち主じゃなくて器でしょ」
「いんや、地獄の生き物はそう考えている。悪魔との考えの違いだな」

 肉体は精神、つまり魂を司り、精神もまた肉体を司る。先輩はそういう面倒くさい話をして聞かせた。地獄に落とされた人間はその生前の器ごと苦行を受けるのだから、切り離して考えようとしないのも理解できるけど。あんまり馴染みのない思想であることに代わりはない。

「容姿も知らないって話は本当なのか」
「え? うん。魂しか見てないもん」

 容姿を確認する術なんていくらでもあったけど、あたしはあえてそうしなかった。いや、そうする発想が無かったという方が正しいかもしれない。あんな歪で矮小で汚い魂、どれだけ見ていても見飽きないから。人の形をした黒い靄を、夢という体で自分のフィールドに招いてイジメ倒す。それだけの日々だった。あの魂に武器を与えてやれば必ず自分の為だけに使う。その潔さと汚さが、好きだった。

「じゃあ、始めるぞ」
「うん?」

 先輩は難しい顔をして金棒を振り上げると、いきなり地面に叩きつけた。からからに乾いた大地が土煙をあげて辺りに舞う。何? 急にキレたの? と言いそうになったけど、その言葉は引っ込んだ。だって視界が晴れた先には、イジメ続けたあの魂があったから。

「これって……」
「目を覚ましたら。お前がしたいことをするといい」

 愛しい魂が宿っている体を、初めて見た。ぎゅっと丸くなっていてすごく可愛い。今すぐに周辺を岩で囲んで目が覚めてもその体勢で動けないようにしてあげたい。
 悪魔に堕ちる前、人間だった頃の感覚が蘇る。肉体なんてものはしょせん器で、そこに価値は無いと思っていたけど、実際に見てみると、会えてよかった、なんて思った。美人が好き勝手に振る舞ってつけあがる。この容姿が魂を堕落させた要因になっていることは間違いないし、相手に困らなさそうな女が色欲方面で一切汚れていないことも好ましい。こんな容姿を持っているのに、あの魂はギャンブルと怠惰への執着、周囲に対する裏切りや不義理にまみれていた。うんうん、やっぱり魂と肉体はセットで評価されるべきなのかもしれない。現金なあたしは、さっき先輩が言ったことをもう理解しそうになっていた。

「お前の体もそろそろ地獄に馴染む頃だ。悪魔の力もそのうち戻ってくるだろうよ」
「メスだったんだ」
「オスがよかったか?」
「どっちでもよかったよ」

 そう、どちらでも。魂に性別なんて無いんだから。それから、先輩は持ち場があるからと言ってどっか行った。この魂の名前を言い残して。
 この場にはあたしと、焦がれ続けた魂しかいない。ジャージとTシャツという、見るからに部屋着という装いで眠るちづさんは、まさにスリーピングビューティーだった。Tシャツの胸のところにシンプルなイラストと、その下に「くまたん」って書いてある。ダッサ。かわいい。
 容姿に興味がないとは言ったしその言葉に偽りはないけど、表情を見れるのは新鮮だった。あたしら悪魔は魂からそれを感じ取ることができるものの、やっぱり視覚って大事だ。どんな顔で自分本位に振る舞うのか、早く見たかった。

「わ。なになに?」

 ちづさんの体がふわーっと体が持ち上がって、ぱっと目を開けた。直後にため息をつく。ここが地獄だと分かっているような振る舞いに驚いたけど、彼女は彼女の夢を見ているはずだ。それはこれまでと変わらない。ただ、地獄という場所に魂を引っ張って来られたから、夢に合わせてここで動いている。
 あたしはボケっとした表情でダルそうに歩く彼女の後ろをつけていく。ちょっと歩くと、立ち止まって左手を前にかざした。たまたま通り掛かった人魂が小突かれて「ぴっ」と鳴いている。いや泣いてるのかも。可哀想。人魂はそのままぴゅーっとどこかに移動してしまった。
 だけど、ちづさんには見えていない。彼女は再び歩き出すと、今度は急に右に曲がって、服を脱ぎ出した。突然の奇行に驚いたけど、まぁ周りは全裸で釜で煮られている人間だったり、全裸で飢えて行き倒れてる人間だったりだから、むしろ溶け込めるかも。と思ったらまた服を着た。マジで何してるんだろうこの人。くまたんが恋しくなったのかな。

「はぁ……」

 ため息をつきたいのはこっちだけど。なんだったの、今の着替え。
 珍妙な行動とは裏腹に、ちづさんの表情は暗い。これからとても嫌なことでも起こるように。動き出した彼女の後をついていくと、そこには持ち場に戻ったはずの赤鬼先輩が居た。金棒を肩で担いで、元気に苦しんでいる針山の人間を見上げている。

「035、碌間ちづ」
「お、おう……」

 いきなり自己紹介をされて戸惑う先輩。それを羨むあたし。早く彼女の前に姿を現したい。碌間ちづって言われて「んーkisskisskiss!」って言いたい。あと、何を見ているのか、共有したい。だけど、どこにいるつもりでいるのかは、今ので分かった。きっと彼女の職場だ。数歩進んで、ちづさんは呟く。

「……今日、休み?」

 やっぱり職場にいるつもりなんだと確信しながら、あたしは間抜けなちづさんの声に悶えた。可愛い。そんなに可愛いんだから、もっともっと魂を汚してバランスを取らないとね。大丈夫、あたしがね、全部やってあげるから。
 正直、ここまでの観察で、あたしは自分の馬鹿さを悔やんでいた。なんでもっと早く力を使って魂を人の形にしなかったのだ、と。そりゃ魂をよりじっくり見ていたかったからなんだけど、きょとんとした顔も、汚らしい魂にそぐわない透き通った声も、ずっと知らないままでいたなんて。
 言っておくけど、あたしは彼女の顔になんて一切興味がない。人間が言うところの不細工だったとしても、きっと同じように愛した。ただ、人間が感知できる外的要因、つまり顔や声が綺麗という特徴と、汚い魂との対比にもっと早く気付きたかったんだ。これが所謂ギャップ萌えというヤツだ。綺麗な器が、中に秘めている魂の汚さをより汚く演出している。あぁあたし今、先輩が言ったことを完璧に理解しちゃった。
 テンションが上がってきたから体の調子がいいと思ったけど、そうじゃない。先輩がさっき言ってた、悪魔の力が徐々に戻りつつあるんだ。今なら、彼女の夢に関与するくらいはできるはず。なんとも言えない表情でじっと先輩を見つめているちづさんは、呆れたように声を漏らす。

「よりにもよって美少女フィギュアって……」
「俺が……!?」

 唐突に美少女フィギュア扱いされて、先輩が震えている。驚きながらも、何故かちょっと嬉しそう。違ぇよ、ちょーしのんな。おめーが美少女ならあたしなんか天女だろうが。でも実際は悪魔だから。そういうこと、現実見ろ。
 ムカッとしてつい忘れちゃってたけど、早く力が戻ったことを確認しないと。あたしは、彼女の横に立つと、手始めに先輩の立ち位置から声を発することにした。人間は結構聴覚に影響されて生きているから、唆すときに便利なんだ、この能力。その気になればサラウンドで話しかけることだってできる。

「やっほー」
「美少女が、喋った……? いやまさか」

 また美少女扱いされて、ただでさえ赤い先輩がさらに顔を赤らめている。違ぇっつってんだろやめろ。居ても立ってもいられなくなって、あたしはついに彼女の夢に自分の姿を登場させることにした。まだ見えてる世界を共有するほど力は戻っていないけど、今はこれだけで十分だ。

「……なんですか。あなた」
「もっとびっくりしないの? モノが喋ったって」
「隣に部外者が立っていることの方が驚きですから」
「確かにー」

 モノ、という言葉をやや強調して、先輩に「お前が美少女って言われてるわけじゃないからな」と牽制してみせる。ちづさんから返ってきた言葉は、極めて現実的な言葉だった。ちづさんが見てるのは現実ではないけど。

「どうやったか分かりませんが、不法侵入ですよね? 警備呼びますよ」
「人居ないじゃん」
「呼べば来ます」

 警備だって。可愛すぎる。そんなのここにはいないのに。呼んで駆けつける可能性があるのは、クソアホバカレッドだけだよ。
 っていうか、人と話すときは敬語なんだ。こんな不審者にまで敬語を遣うところを見ると、それが彼女の人との接し方なんだと思う。他人を寄せ付けようとしないゴミクズがあまりにも愛おしい。
 てくてくと移動するちづさんの横をぴったりと死守する。あんまりそっち行くと針山にぶっ刺さるから気を付けてね。あと穴だらけになって行き倒れてる人踏んでるよ。
 あたしは以前にちづさんを追い回したときに、研究所とやらの構造に少しだけ詳しくなった。ちゃんと知ってるんだ。これが必要だってこと。可愛いから話し合わせてあげるね♥

「ここのID持ってるもん。ほら」
「はぁ……? あ」

 何も持っていないけど、きっとちづさんにはIDカードが見えているはず。その証拠に、あたしの虚無な手元を見てちょっと驚いた顔をしている。もともと表情に乏しい人で、この顔すら比較的レアなんだろうなってことが容易に想像できる。

「それで入れるのは入口までです。このラボに入るには顔・声帯認証システムを突破しなければなりません」
「あたしら、顔も声も似てるでしょ」
「双子ですら誤認しないシステムを騙せるとでも?」

 会話を続けながら、あたしは既に心臓を打ち抜かれていた。今回はまだ銃を渡してないのに。理由はその心底面倒くさそうな表情。闖入者を前にして、もう興味を失い始めているのだから、彼女って案外大物だと思う。なんて、魂の矮小さが小物であることをギンギンに指し示しているんだけど。
 適当なことを言うあたしと、適当には違いないのに何故か建物への侵入を許してしまっている現状。この二つを天秤に載せはしたけど、結果を見るのがかったるいから放置してどこかへ行こうとしてる。そんな表情だった。だけどすぐに表情がぴくりと変わる。
 足元を見ると、穴だらけになった人に、ちづさんは足を掴まれていた。地獄に落とされた人間は際限なく体が再生して、何度も苦痛を味わうんだっけ。再生途中の亡骸に縋られて戸惑っているちづさんは可愛い。夢の中ではどういう現象として再現されてるんだろう。

「あーらら。どうする? 始める?」
「はい?」
「待ってもいいけど。それがどうにかなるまで」
「……?」

 軽く探りを入れてみたけど、どうやら何について言われてるか分かってないみたいだ。っていうことは、夢の中ではただなんとなく足が動かなくなっちゃっただけってことかな?
 面白いから許してるけど、ちづさんの足首掴んでるヤツ。後でその針山の頂上に叩きつけてやるから覚えてろ。

「別に。勝手に始めて下さい。何をするのか知りませんが」

 冷たい声だった。悪魔界に比べて地獄は暑い。ちづさんの声は夏場に食べるかき氷みたいだと思った。要するにすごく美味しいってこと。
 嬉しくなったあたしは、手中にナイフを呼び出した。刃渡りは控えめにしてある。一撃で終わっちゃったらつまらないもん。昔、どこかで聞いたことがある。ナイフで振るときは最小限の動きにするべきだって。分かるよ。一回でも当たれば相手に結構なダメージを与えられるし、予備動作があるほど相手に動きを予測させることになる。
 だけど、あたしは大きく振りかぶって、ナイフを横に薙いだ。その方が、ちづさんの恐怖に歪む顔が見れると思ったから。勝つことなんて考える必要はない。だってあたしの方がダンゼン強いし。

「避けれてえらい!」
「……!」

 体を反らせて、ちづさんは後ろにそのまま転がった。お前、やっと離したんだね。でも、針山頂上叩きつけの刑は必ず執行するから。そこんとこよろしく。
 あたしが名前も知らない知りたくもないクソ死にぞこないを睨みつけている間に、ちづさんは逃げていた。血まみれになった人間が折り重なっているところを迂回してるけど、あれは夢ではどんな風に見えてるのかな。
 当然、同じようなルートなんて辿らない。あたしは死体達を踏みつけ、さらには足蹴にしてガンガン進んだ。

「なっ……」

 追い詰められそうになったちづさんは、自分の切り落とされた手首を持って喚いてる男から手首を奪い取って、あたしに投げてきた。邪魔なんですけど。飛んできた手首を叩き落として、舞った血には目もくれない。

「待ってよ〜」
「……!?」

 あたしが怯まないことに驚いているようだけど、あたしは当たり前のように人様の手首を投げつけるちづさんにびっくりだよ。本当に何が見えているんだろう、ちづさんの世界。
 スタイルがいいというか脚が長いせいか、彼女の逃げ足は思っていたより早かった。別に追い付くのが目的ではない。あたしの目的は追い詰めること。もっともっと恐怖を煽って切羽詰まった状況だと思い込ませることにある。
 ちづさんは逃げながら、飢餓で呆然と突っ立っている人間達をバンバンとあたしの方に押し付けてきた。立っているのがやっとだった彼らは、されるがままあたしの方に倒れてくる。邪魔だとばかりに地面に叩きつけるか突き飛ばして、あたしは愛しい魂を追った。
 ぐねぐねと色んなところを走って、赤鬼先輩のところに戻ってきた。先輩はあたしらの可愛い追いかけっこをのんびりと見守っている。彼女が先輩の隣を通り過ぎようとした、その時だった。

「……っこの!」
「いてぇーー!!」

 全然意味が分かんないんだけど、ちづさんは何故か右腕で、先輩の鳩尾を力いっぱい殴った。美少女と呼ばれたり殴られたり、災難だと思う。いいな、あたしもちょっとちづさんに殴られたい。

「なんなんだ、本当に……!」

 それは先輩の台詞だと思うよ。先輩はというと、どしどしという足音と共にどこかに行ってしまった。人間のメスの攻撃で深いダメージを負ったりはしないだろうけど、訳もなく殴られて心が傷付いたみたい。
 あたしらの追いかけっこは続く。途中、漂ってる人魂が意味なく殴り飛ばされた。ちづさん、もしかして人魂のこと嫌いなのかな。ぴゅーと声を上げながら結構遠くまで吹っ飛んで行った青い人魂ちゃんには、ちょっとだけ同情する。

「よかった……え」

 そう言って、ちづさんは突然立ち止まってしまった。追いついたら斬りつけることになるけど、いいのかな。あと、視界の端っこに岩に座っていじけている先輩が見える。あんなとこに居たんだ。
 あたしはというと、迷っていた。このままではあたしは追いついて、追いついたからには彼女を斬りつけなければいけない。だけど、彼女の夢に上手く関与できないあたしは、まだ武器を渡せていない。それに、夢に現している姿も適当なものだろう。せっかくだから、ちゃんとしたあたしとして対峙したいんだけど。
 考え事をしながら近付いていると、ちづさんはようやく駆け出した。それも先輩の方に向かって。ねぇズルいって。なんで先輩ばっかりちづさんに構ってもらえるの。ねぇってば。

「運が悪かったのはお前じゃない。私だ」

 いや先輩だよ。一人の時はさすがにタメ口じゃないんだね。いいなぁ先輩。ちづさんにタメ口遣ってもらって。
 彼女は先輩が隣に立てかけていた金棒を掴むと、地面に倒した。先輩、ちょっと悲しそうな顔してる。まぁ大事そうだもんね、あれ。と思ったら、なんとその勢いのまま、先輩の膝の上に飛び乗った。

「は……?」

 ちょっと待ってね。あたしは悪魔。人間との肉体的な接触になんて興味がない。さっきちづさんに殴られた先輩を羨んだのも、体に傷や痣を残されるという繋がりを羨んだだけ。そう、だからお膝の上に乗るという行為をあたしが羨む理由はないはず。だけど、こういうのは理屈じゃない。
 あたしは本気で駆け出していた。先輩のこと、ぶっ飛ばさなきゃいけないから。鬼よりも鬼らしい形相をして駆け寄ると、一旦ちづさんへの夢に干渉することを止める。なんか腕を前にしてうねうね動かしてるのが気になったけど、とりあえずほっとく。ダンスかな? 可愛いね。あとで絶望を味あわせてあげるから待っててね。

サポートして下さったらそれは全て私の肉代に消えます。