大人になるということは、幸せが増えるけど、減ること。
わたしは留年したから、まだ学生。
社会人一年目の友人と、久しぶりに会った。それも旅行で。
彼は学生時代、ひとり旅をよくしていて、旅の時は好んでゲストハウスに宿泊していた。
ゲストハウスは安いからおすすめだよ、とわたしにもよく話してくれた。
彼に対してそのイメージが残っていたし、わたし自身も安くすませたかったこともあって、今回の旅行でも、ゲストハウスを宿泊先に選んだ。
一つの部屋に二段ベッドが並ぶ、相部屋を予約した。
しかし、観光の一日を終えて、いざ宿へ!となったとき、彼は言った。
「ドミトリーなの忘れてた。ホテル取ればよかったなー。個室の方がよかったわ。他の人と一緒だと、疲れがとれないじゃん。」
その発言に、少し驚いた。
社会人になって、学生時代よりお金に余裕ができたからか、わたしの知らないうちに、「とにかくお金をかけないこと」が、もはや彼の中で、旅行に置ける最重要事項ではなくなっていたようだ。
彼は大人になったのかもしれない、と思った。
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振り返ると、わたし自身もここ最近、空港に行くのに鈍行じゃなくて、スカイライナーで行くようになっていたり、夜行バスじゃなくて新幹線を選ぶようになっていた。
わたしも、お金の使い方が変わってた。
そして、一度自分の中の基準を上げてしまうと、そこから元に戻るのは難しい。
スカイライナーの快適さを知ったら鈍行には乗りたくなくなるし、新幹線で2時間のところをバスで6時間なんてごめんだ。
新幹線の値段がバスの3倍でも。
昔は許容できていたことができなくなるんだな、もう戻れないんだな、と思うと、なんだか悲しい。
悲しむ必要なんてなくて、「できるようになった、前より選べる選択肢が増えた」って喜べばいいんだけどさ。
自分の基準を下げると、幸福度があがる、と以前書いたけれど、
大人になるって、選べる手段が増えて、できることが増えて、快適で、楽で、幸せになってるんだろうけど、同時に、幸せを感じられる幅が狭くなるということなのではないかと思う。
一度自分の幸せを感じる基準が上がってしまったら、その基準を下げるのは難しいから。
そうやって、経験が増えるほど、新しい経験をすることは減って、いろんなことに慣れていって、感動しなくなってしまうのかな。
想像だけど。