1960(昭和35)年 寺田ヒロオ 講談社児童まんが賞受賞
講談社児童まんが賞
1959(昭和34)年の講談社 創業50周年を記念して講談社三賞(児童まんが、さしえ、写真)を創設。
選考の結果、翌年の1960(昭和35)年11月に第1回 講談社児童まんが賞として下記2名が表彰された。
寺田ヒロオ「スポーツマン金太郎」
永田竹丸「ピックルくん」
講談社の創業50周年記念事業としては、三賞以外にも「週刊少年マガジン」「週刊現代」の創刊というのもそれにあたる。
講談社としては、この記念すべき第1回受賞者は、本来ならば講談社の漫画、できることなら「週刊少年マガジン」の漫画から選びたかったというのが本音ではないだろうか。
しかし、「週刊少年マガジン」と同時創刊したライバル「週刊少年サンデー」(小学館)連載の漫画でありながら、「スポーツマン金太郎」に賞を授けざるをえなかった。
それほどまでに「スポーツマン金太郎」は当時の人気漫画だったのだろう。
さすがにそれだけではなんとも格好がつかない。
なので講談社の学年誌に連載していた永田竹丸「ピックルくん」も同時受賞とした。
そんなところだろう。
しかし、逆に寺田ヒロオ「スポーツマン金太郎」は小学館漫画賞には選ばれていない。
こちらは1955(昭和30)年の創設から毎年の人気作家・作品が選出されてきていたというのに、あろうことか1960(昭和35)年の受賞者は該当なしとなっている。
なぜ小学館は、自社の週刊漫画誌「少年サンデー」で創刊当時最も人気作だった「スポーツマン金太郎」を受賞させなかったのだろうか。
これが果たして講談社児童まんが賞を受賞したがための報復措置あるいは対抗意識的なものが理由だったのかどうか……。
結局寺田ヒロオはその後も一度も、小学館漫画賞を受賞することはなかった。
連載や読切など
「背番号0(ゼロ)」(芳文社「野球少年」)終了
1956(昭和31)年1月号から連載していた人気作だったが、この年の4月号で連載終了(全52回)。
しかしこれはおそらく、雑誌「野球少年」自体が売り上げ低迷のために月刊から季刊へと移行したためだと思われる(翌1961年に休刊)。
季刊となったあとの夏号には読切で野球漫画「タイムくん」18pを描いている。
「五九六(ごくろう)さん」(集英社「少年ブック」)終了
1958(昭和33)年6月号〜1960年6月号(全25回)。
「スポーツマン金太郎」の週刊連載で多忙をきわめたためか、こちらもこの年連載終了している。
同じ「一ツ橋グループ」の中核である小学館と集英社との力関係の結果か。
「スポーツマン金太郎」(小学館「週刊少年サンデー」)
引き続き大人気。
毎週の連載に加えて読切版サイドストーリーを「別冊少年サンデー」の夏号(16p)、秋号(18p)執筆。
その他の執筆
読切「タイムくん」18p(芳文社「野球少年」夏号)
読切「きょうは土曜日だ」8p(東日本漫画会・単行本・一号)
「もうれつ先生」(光文社「少年」)1958〜1961年
「わんぱく記者」(少年画報「少年画報」)1959.1月号〜1960.6月号で終了
「ホームラン教室」(秋田書店「冒険王」)1959.12月号〜1960.6月号までで次号以降は赤塚不二夫にバトンタッチ
「きんたろう」(小学館「幼稚園」)1〜3月号、増刊号
「きんたろちゃん」(小学館「よいこ」)4〜11月号
「おやまのきんちゃん」(小学館「小学一年生」)4月号〜翌1961.3月号
「きんたろう」(小学館「小学二年生」)4〜11月号
「0くんの野球教室」(小学館「小学三年生」)9〜12月号?
「背番号0物語」(小学館「週刊少年サンデー」)1960.22号〜1961.6号(37回)
連載終了する作品があるなかで、あらたに連載開始したものはなんとすべて小学館。
これでは小学館による囲い込みと言われても仕方がないような状況。
「金太郎」を各学年誌にも登場させることで「スポーツマン金太郎」との相乗効果を狙ったか。
「背番号0物語」はその名の通り「背番号0」(芳文社「野球少年」)の続編。
「週刊少年サンデー」22号スタートだから4月か5月頃の連載開始と思われる。
「背番号0」が「野球少年」の4月号まで連載されていたので、ほとんど間を置かずの続編スタート。
しかも週刊誌に2作品同時連載(この頃の連載1回あたりの掲載ページ数は8p程度ではあるが)。
茅ヶ崎へ
この年の11月に茅ヶ崎に庭付き一戸建てを建てそちらへ移住。
まだ29歳でありながらここ数年の多忙な人気作家ぶり、さらには堅実な金遣いをする寺田だからできたのだろう。
場所を茅ヶ崎にしたのは細君の実家が近かったから。
また、この年の6月には光文社「少年」に連載中の「もうれつ先生」が実写ドラマ化されている。
1960〜1961年にかけて、集英社から単行本「スポーツマン金太郎」全6巻刊行。
まだ連載終了していない「スポーツマン金太郎」がわざわざ集英社から刊行されるというのは、それだけ人気作であり需要があったということだろう。内容は1959〜1960年に雑誌掲載されたものの大部分になる。
トキワ荘にいた者たちは…
「週刊少年サンデー」創刊時、期待されてはじまった手塚治虫「スリル博士」は人気がいまひとつで半年ほどで終了。
すぐに次の連載「0マン(ゼロマン)」がスタート。
こちらは人気作になるが1年3ヶ月ほどで連載終了(1959.9月〜1960.12月)。
間髪入れず次の連載「キャプテンKen」がスタート。
手塚治虫が多忙な人気作家であることにかわりはなく、「週刊少年サンデー」以外では、「鉄腕アトム」「魔神ガロン」「エンゼルの丘」など多数連載中。
「週刊少年サンデー」では藤子不二雄「海の王子」も引き続き人気。
石森章太郎は「週刊少年マガジン」に手塚治虫がネームを描いた「快傑ハリマオ」、「週刊少年サンデー」に「かけだせダッシュ!」を連載。
かたや森安なおやは漫画家をあきらめ、キャバレーで勤めはじめた。