「テラさんは筆を折った」と言ったのは誰か④ 赤塚不二夫の場合
赤塚不二夫
同人誌グループのリーダー石森章太郎についていくようにトキワ荘入居。
当時はシャイな美少年、たまに少女漫画を描くくらいで石森のアシスタントのような生活。
他作家の穴埋め原稿で描いたギャグ漫画が評判で連載決定。
その後「おそ松くん」「モーレツア太郎」「天才バカボン」などギャグ漫画で次々ヒット作を生み出し、ギャグ漫画の王様と呼ばれる。
その“筆を折った”時期については、後段に“筆を折る直前の『暗闇五段』”と書いてあるので、1964(昭和39)年に週刊少年サンデーでの「暗闇五段」の連載が終了して“筆を折った”という認識なのだろうか。
「暗闇五段」最終回は1964(昭和39)年の週刊少年サンデー 31号(7/15号)に掲載された。
しかしこの年の寺田の仕事を見てみると
「背番号0」(「ボーイズライフ」小学館)4月号〜11月号
「ロボット兄弟」(「小学四年生」小学館)9月号〜1965.3月号
と、7月以降も二本の月刊連載があった。これでは“筆を折った”とはとてもじゃないが言えない。
ところで、赤塚不二夫は別の本ではこのように書いている。
先ほどの発言と6〜7年ほどずれている。ずいぶんと怪しくなってきたが、一応昭和46(1971)年あたりの寺田の執筆活動を調べてみると
1970.7月号〜1971.3月号「ナンバーワンちゃん」
1971.4月号〜1972.3月号「カーブくんドロップくん」
1972.4月号〜1973.3月号「ロボット兄弟」
掲載はいずれも「小学二年生」(小学館)。
と、月刊の学年誌の連載ひとつだけという状況が続き、1973(昭和48)年3月号の「ロボット兄弟」を最後に学年誌の連載もゼロになる。
ただ、その後もいくつか読み切りの作品を描いてはいる。
“筆を折ったのは、昭和46年頃”という言葉は、当たらずとも遠からずと言えなくもないが、逆に“学年誌に毎月1本の連載”の状況が果たして“絶頂期のただなか”と言えるのかどうか……。
(忙しかった頃の寺田は、月刊連載3〜4本 + 週刊連載1:つまり月4本 + 増刊読み切りなど、という頃もあったのでその頃がまさに絶頂期と言えよう)