寺田ヒロオと棚下照生
たなかてるお(棚下照生または棚下てるお)。
本名は同じ読みの田中輝夫。
昭和9(1934)年3月宮崎県延岡生まれ。
昭和26(1951)年 16歳で上京。
17歳で貸本漫画「ハンスと魔王」でデビュー。
22歳「ヒマラヤ天兵」がドラマ化。
26歳 ノイローゼ?で約4年間少年漫画が描けなくなる。
30歳 大人向け漫画描くようになる。
代表作「めくらのお市」
棚下は14歳頃から「漫画少年」に投稿し、その縁で寺田ヒロオと文通するようになる。
先に上京した棚下が寺田にも上京を促し、そうして寺田も上京を決心した(棚下19歳、寺田22歳のとき)。
若い頃から無頼で苦労人の棚下が寺田に酒を教えた。
堅物でほとんど酒を飲んだこともない、うまいとも思わなかったという寺田が、トキワ荘連中とチューダーを飲んだり、飲みに連れて行ったりしたのは、棚下がいたからこそだったのだ。
棚下が漫画が描けず食うに困っていた時期はおそらく昭和35〜39(1960〜1964)年頃のこと。
寺田はその頃「スポーツマン金太郎」が週刊少年サンデーで連載中。大人気漫画家だった。とは言っても、妻子がいて、茅ヶ崎に一戸建ても建てて、という時期でもあるのだが、律儀にも棚下に援助している。
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