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1957(昭和32)年 寺田ヒロオ、トキワ荘を出る

芳文社「野球少年」

前年にはじまった「背番号0」は大人気漫画になっていた。

野球少年」という雑誌名だが、当時の目次をみると、時代漫画、剣豪漫画、西部漫画などが並ぶ。特に野球に特化した内容だったわけではなさそうだ。
そんななかで、素朴な少年野球を描いた「背番号0」は等身大の物語として子どもたちにうけたのだろう。

ヒット作を生み出した寺田にとことん頼ることにしたのか、なんと128pの別冊の依頼がくる。

  • まぼろし球場」(野球少年 1957.4月号 別冊)

これは自分ひとりの手には負えないとなったのか、石森章太郎に手伝ってもらいなんとか仕上げたらしい。
ストーリーは、試合中不慮の事故で死者が出た球場で夜な夜な不可思議なことが起こるというスリルとサスペンス?の物語。
(実はこの作品は数年後に「スリラー球場」という改題で同じ芳文社の「痛快ブック」別冊として再登場する)

また、9月号からはなんと「背番号0」連載中ながら、もう一本連載がスタートする。

  • スポーツマン佐助」全22回(1957.9月号〜1959.6月号まで )

この「スポーツマン佐助」は忍者猿飛佐助が巨人軍に入ってプロ野球の世界で活躍するというストーリー。
「背番号0」のときには「プロ野球実際に見たことない」と言っていた寺田であったが、多忙になり収入も増え、ついにテレビを買ったからこそ、いまなら描けるということになったのでは。
(この年の6月にトキワ荘を出て目白の賄い付きの下宿に移っているので、そのあたりのタイミングでテレビを買ったりしたのかもしれない)

講談社

講談社からは前年に引き続きいくつもの依頼。待望の連載の依頼もくる。
「背番号0」が好評だからか、やはり自分の得意分野はこれだと思ったのか、この頃から読切や他連載でも野球漫画を多く描くようになる。

ぼくら

  • 2月号「動物といっしょに50年」4p

  • 8月号「江ノ島マリンランド」3p

  • 夏増刊「カラスのバット」7p

「からすのバット」
(講談社「ぼくら」1957.夏増刊)

幼年クラブ

  • 4月号別冊「ヒットくん」48p

  • 5月号「ガラクタぼうやの望遠鏡」4p

  • 7月号「大きくなるクスリ小さくなるクスリ」2p

  • 10月号〜1958.3月号「ラッキーちゃん

「ラッキーちゃん」
(「幼年クラブ」1957.10月号)

講談社ではおそらく初めての連載となる「ラッキーちゃん」。
翌年3月号で残念ながら「幼年クラブ」自体が休刊となってしまうのだが、「ラッキーちゃん」自体は好評だったのか、後継誌の「たのしい三年生」(1958.4〜1959.3)「たのしい四年生」(1959.4〜9)と引き続き掲載され、全24回の連載となる。

光文社 その他

  • 学研「三年の学習」3月号「パー子とペー吉」4p

  • 光文社「少年」夏増刊号「探偵学校夏休みの巻」9p

  • 同 秋増刊号 別冊「とにかく強かった男」63p

「パー子とペー吉」
(三年の学習 1957.3月号)

他にもクイズやカット等を「ぼくら」「少年」「なかよし」「小学一年生」「たのしい一年生」「たのしい二年生」「漫画王」「読売少年少女新聞」などに掲載。

トキワ荘と新漫画党、そして結婚

前年に連載「背番号0」がはじまって以降寺田ヒロオは忙しくなる一方だった。
トキワ荘では自炊に時間が取られる。
また、仕事も新漫画党としてのものよりも、寺田ヒロオ単独での仕事の割合が増えてきた。
トキワ荘で毎夜声をかけられ飲み会する時間的、精神的余裕もなくなってきた。

6月 トキワ荘を出て目白の賄いつきの下宿に移ることにした。
赤塚不二夫が相談にきたのはこの下宿にいた頃らしい。実は同行していた長谷邦夫が詳しい話を書いている。

「作品読んでもらったらどう?」
新漫画党の兄貴と皆から慕われてきた寺田だ。暮らし方や生き方の上で、いつも寺田は新漫画党メンバーの面倒をみてくれていた。その彼はちょうどトキワ荘を転出していた。
昭和三十四年、彼は作曲家中村八大の妹と結婚し、翌年の暮れには茅ヶ崎市に新居を構えるが、三十三年には一時的に目白に住んでいた。
「テラさんか……行ってみようか」

長谷邦夫「漫画に愛を叫んだ男たち トキワ荘物語」より
(2004.5.9 清流出版)

(時期に関しては記憶違いと思われる。少なくとも目白で一人暮らししていた所に二人で訪ねたのは確かなのだろう)

11月 鈴木伸一の師匠中村伊助の紹介で結婚。
目白の下宿は夫婦では手狭だったのか、同月に目白から渋谷区の新築アパートに転居している。
多忙なこの年にわずか五ヶ月でまた転居するなんて、まさかはじめから想定していたとは思えない。
妻を紹介されたのは6月〜11月の間のことで、紹介されてすぐにでも結婚しましょうということになったのではないか。

結婚式の頃にはすでに、来年1月号からの新連載2本に取りかかっていたのだろう。「連載5本になった」との発言を藤子不二雄A安孫子素雄)が「トキワ荘青春日記」に記している。

  • 背番号0

  • スポーツマン佐助

  • ラッキーちゃん

  • ホープくん」(講談社「ぼくら」1958.1月号〜)

  • もうれつ先生」(光文社「少年」1958.1月号〜)

まさに人気漫画家といえる活躍。
3年後には茅ヶ崎に庭付き一戸建てを購入する。

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