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寺田ヒロオと映画

藤子不二雄A「まんが道」を読んでいると、トキワ荘のメンバーはよく映画を観に行ったという印象を受ける。

実際、藤子不二雄の二人は映画が好きで、そこから発想を得た作品も多数ある。
石森章太郎、赤塚不二夫の二人も金はなくともよく映画を観に行ったと。
手塚治虫も自身も映画好きであり、若手・新人漫画家たちにも「映画や音楽に触れなさい」とよく言っていたらしい。

しかし実は寺田ヒロオに関して言えばこれらの話は当てはまらない。

「ぼくはあまり興味はなかったが、他の連中は映画も好きだし、買物なんかも好きでしたね。しょっちゅう出かけていました。皆の話題が映画の『第三の男』だったりしても、ぼくだけ観ていないわけです。それを観ないと勉強にならないかなと思って行ってみるんですが、すぐ頭が痛くなってだめなんです。(中略)
 あのころは、名画座のようなところは三本立てなので、二本目くらいで気分が悪くなってくるんで、三本めは出てきてしまう。頭が痛くなったときに薬を飲んでみても、効かないんです。映画館に入る前に飲んでみたら、ふしぎに頭痛がしなかったので、それからは、映画館に入る前に薬を飲むようになって、いくらか映画が観られるようになりました」

梶井純「トキワ荘の時代」(ちくま文庫)

好き好んで映画を観ていた連中と、頭痛を我慢して観ていた寺田と、同じだけの量の映画を観ていたとは思えない。他のメンバーの話についていくために無理やり観ていたのだとしたら、トキワ荘を出てからは無理して映画を観に行くこともなくなっていったのだろうと想像がつく(仕事も多忙、結婚して子供も生まれ、それどころではない状況でもあっただろうが)。

トキワ荘時代の寺田の様子については赤塚不二夫がこんなことを述べている。

僕が、作品が売れず劣等感を持ってた頃、支えになったのは映画をよく見ていたことですね。こいつらより俺の方がすごいぞって自信持ってたからね。連中もよく見ていましたから話があうんですよ。寺田ヒロオだけは、東映の映画を見てきて、みんなにバカだねって言われてね。みんな洋画見ているのにね。

小学館「小学一年生」1978.6月号
赤塚不二夫さんにインタビュー「僕の漫画と今の子ども」より

漫画家として長きにわたって多種多様な作品を生み出して活躍した手塚治虫や藤子不二雄、石森章太郎たち。
そうはなれなかった寺田ヒロオ。
その要因のひとつがもしかしたらこのあたりにあるのかもしれない。

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