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JP : jan and naomi

ジェットコースターの頂点に達し落下する瞬間のフワッと感を感じ、重力に逆らっている内臓を探しているような感覚に陥った。

jan Urila Sas とnaomi paris tokyo から成り立つデュオ jan and naomi

時には70's ポストパンク。時には90's シューゲイザー、更には2000年代インディーロックと多彩な表現力を持つjan and naomi。

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来年で結成10年を迎える、彼らの変化、進化、行動を見逃すわけにはいかない。


彼らのギターを持つ姿を初めて見たのは代々木上原にある、小さなカフェバーの定期イベント。

ラムコークを片手に密集した空間で皆木で作られたイスに座って、髪の長い丸めの男性とよれよれの服を着た坊主の男性がゆっくりとギターストラップを背負い上げる。イントロから僕らのいる空間の空気をいとも簡単に掻っさらい、MP5(サブマシンガン)で音の弾を乱れ打ちにしてきた。気持ちいいという感情を裏腹にこの曲は身体のどこかにシコリがあるような感覚を覚えて、それが次第に中毒になってしまうのだ。


数年前、後輩の家でこの曲を聴いたのを鮮明に覚えている。やはり独特の浮遊感があり、その浮くというのは安定はしなく、不安定な乗り物に乗っているような感覚に陥ってしまう。もちろん気分はぶちにぶち上がっている。
この曲はその前からも、友達とリラックスしている時に聴いたり、彼女と寝る前に流していたりと、柔らかい掛け布団をかけるように僕らの身体を包んでくれる。



THE ENDのサムネのアルバム(Fracture)ジャケ写も最高だ。

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音楽をやるうえで自らのセンスの表現力は大切なモノだと思う。彼らのビジュアルもその一つ。軸を感じる彼らのセンスに魅了されCranberry pieを聴いた時に切なさと悲しさ、少しの喜びを感じた。

曲を聴いてわかること。感じること。受け入れること。
それを大切な誰かと聞いたりrecommendすること。
寝る時間のマストサウンドになってしまうかもしれない。凌駕すること。発狂すること。爆発していく未来をぐねぐねと体内に擦り込んでくるようなそんな曲。



1つの曲を聴いて同じ感覚を受け取ることは不可能なことである。いや。。。。。。。


そんな気がする。

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またあのカフェバーであの2人の魂を聴ける日を待ち望んでいる。


可能ならば後部の席は仲間と独占したい。


リラックスはマストで。

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pox2 

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