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映画「JOKER」が、悪人だと言い切れない。

観たら絶対、しんどくなるとわかっていたけれど、ついに観てしまった。

よりにもよって日曜日のレイトショー。

ベッドシティの真ん中みたいなところにあるシネコンで、この街に住んで1年半くらい経つけれど、初めてこの映画館に行った。お客さんはわたしを入れて4人しかいなかった。みんなばらばらに帰っていくもんだから、出口がわからなくて困ってしまった。

わたしはまだ、この街に慣れてはいないようだ。

さて、ひとことで感想を言うとすると、
つらい
に尽きる。

ロングランでやっていて、観ているひとも多いけれど、みんなどんな気持ちで観ているのですか…。すごく気になる。。

以下はネタバレなんかもあります。ご承知おきを。







何から話すか迷うのですが、いやほんとに、つらすぎません?

どんな時も笑顔で人を笑わせなさいという母親の教えで生きているアーサーだけれど、ひとからは人間として扱われない。

本当の自分ってなんなんだろう?

そして、笑ってしまう持病が愛する母の恋人から受けた虐待のためだと知る。
泣かない子だったと母は言っているが、母に笑ってほしいから笑ってるんじゃないかな。。
笑い続けることで笑いがとれると、本気で思ってたんだと思う。

でもそれも過去の話か。

いつの間にか、彼の笑いは、自分の人生の悲劇を笑うような笑いになってしまった。
悲劇を笑うことで、人生を喜劇にしたのだろう。なんという皮肉。

そして、最後のシーンでこれまでの物語は喜劇として考えられたものだということがわかる。


でも、どこまでが幻想なんだろう。

確かに、富裕層を憎んではいたかもしれないが、自分をばかにしてきたひとだけを殺していたし、教祖的立場になることを想像できていただろうか。そして、それはなりたい姿だったのか…。

考えれば考えるほど分からなくなっていく。。

ダークナイトで史上最強の悪と言われているけれど、ジョーカーことアーサーは、普通の人間だということが痛いほどに描かれている。

誰もが、ジョーカーなのだ。

"なり得る"と一度書いたけれど、もうすでにこのカードを持っている。

この世で踊るようにループし続けている、そう思う。


あと、ここまで、つらいつらいと書き続けていたけれど、この映画はとても美しい。

緊張感のある音楽とは裏腹に、見惚れるほどきれいな画面がある。

この哲学的なまでの美学があるから、最後まで観ることができた。この世界にはまだ美しさが存在しているような気がして、ほんの少しだけ救われる。


ここからは、私事で恐縮だけれど、、
わたしはだれかと一緒に働くことが、たぶん難しい。

一緒に働くひとがやりたいかなと思って、「この仕事少しでもやってみる?」と仕事を振ろうとしたことがある。やってみますと言われたものの、進む素振りがなかったので進捗を聞くと、できるわけありませんと言われ、その子は辞めてしまった。
上司からは、わたしに仕事を押し付けられたと言っていたと言われた。

すごく端的にしか書いていないし、他にも要因があったことは明らかだけれど。自分と相手は違うとは思っているつもりだったけれど、良かれと思ってやったことがこんなに裏目に出るとは思っていなかった。
同僚にとって、わたしは悪だっただろう。
なにがおこるかわからないものだ。お互いに。

なんとなくこのことを思い出してしまって、なんだか言いようもない気持ちになってしまった。

ジョーカーの感想のはずが、まとまりがなくなってしまった。。
なんと言ったら良いか、本当にわからないような、ぐわんとしたブラックホールみたいなものが渦巻いている。
いま何か少しでも考えておかなければ、と思って逸る気持ちで書いてしまったけれど、ここまで読んでくれた方がいたら、ありがとうございます。
あと1週間くらい考えることになりそうだなあ。

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