いま、静かなリトアニアにわざわざ留まることの意味を考える(2020年の振返りを兼ねて)
こんにちは。なんだかんだで今年もそろそろ終わりですね。
この奇妙な2020年をどう感じるかはその人次第ですが、わたしにとってこの2020年は、一時は(あ、今もか)ステイホームで、なんだか流れが滞っているな〜とモヤモヤした時期もありましたが、ちょっと俯瞰してみると、実はけっこう大事な年だったんじゃないかな、と思っています。
年末の半断食明けに、千葉のエコヴィレッジからいきなりシティーにある実家へ戻ってきて。
と思いきや、数日後にはもう静岡のある観光地へ移動して住み込みバイトしたり(きつかった〜)、また実家へ戻ったら即、緊急事態宣言が出たので、夏前の渡航は一旦延期に。
夏前に人生初のオフィスワークをちょっとだけ経験し、すぐ長野へ移って果樹園のお手伝いをしたり、すてきなお宿を巡ったり。
また実家に戻ってからは、バタバタとビザの準備をして、あまり友人に会うチャンスもないまま出発したのでした。
ざっと渡航前までの出来事を振り返ると、なんだかはちゃめちゃですね。でも県単位で言えば、各場所のステイ時間は1〜2ヶ月程度と長めだったので、そんなに忙しかった感覚ではないです。
リトアニアのビザを申請したのが、出国の約1ヶ月前なので、今回はちょっとギリギリの準備になってしまいました。とはいえ、移動にはもう慣れっこだし、必要な荷物の準備にはあんまり苦労しなかったかも。
そんなこんなで、リトアニアでの生活を始めてから、はや2ヶ月半が経とうとしている上に、2020年が終わろうとしているらしい。
しかも、明日には冬至を迎えるらしい。冬はこれからとはいえ、日がすこしずつ長くなるのは嬉しいです。
とはいえ、1ヶ月以上前に始まったロックダウンはまだ来月末まで続くし、寒さもこれから厳しくなっていく季節。
そんな中、わたしがわざわざリトアニアに残る意味を問う方は、少なくないかもしれません(そもそも興味ないという人のほうが多いとは思うけど)。
自分自身、そのことについては本~当によく考えるので、気持ちの整理という意味でも、ランダムに考えたことを書き連ねていきたいと思います。
(プラス、ついさっき久しぶりに高校からの部活仲間(料理部でした~)たちとお喋りして、色々と改めて考えたことも含めて、つらつらと)
前回のリトアニア滞在から日本帰国~再出国までの約2年間を俯瞰してみる
ひとことでいうと、紆余曲折あったものの、かなりぬくぬく居座らせてもらったな、と感じています。
実家にいる時間も(特に今年は思いがけず)長かったし、去年はまるまる千葉のエコヴィレッジに住み込みさせてもらったり、今年はちょこちょこ日本国内を移動したりと、さまざまな場所で、自分なりに多角的な視点から「日本」を観察することができたと思っています。
そして、どこにいても、新たに出会う人・経験したことは数えきれないほどで、人とのつながりという点からも、知らない日本を知ることができたんじゃないかな。特に手仕事や食・農業を含む文化面で。
と同時に、まだまだ日本の未来には希望がある、と思わせてくれる活動をしている人たちが、全国にたくさんいるということがわかって、嬉しくなりました。すこしでもそのピースとして携わることができて幸せ。
そんなわけで、日本でのエネルギーチャージは、ある程度済んだと思っています。だから今年ここにきた、というのも理由のひとつ。
自然が暮らしの軸にあること - ロムヴァの精神から考える
これは、ノルウェーにいるときもしみじみ感じたことですが、またこの寒い&暗い北欧の冬を体験してみて思うのは「太陽のありがたさ」です。
なんせ冬は、暗い。緯度的にはこっちのほうが、日照時間の変化は多少マイルドだけど、内陸なので実は意外と寒い。
と同時に、リトアニアでかつて知らしまれた自然崇拝的な宗教、というかもはや生活する上での共通認識のようなものを持つ、Romuva(Paganism)の存在を久しぶりに思い出しました。
というのも、そろそろクリスマス。そして明日には冬至を迎える時期。
今でこそクリスチャンが多数を占めるリトアニアですが、キリスト教の布教が欧州の中で一番遅く、それまではいわゆる自然崇拝が主流でした。
その名残として、リトアニアの十字架には、かねてから用いられてきた自然のシンボルがデコレーションされていたり、クリスチャンの行事以外にも、夏至や冬至のような、季節の変わり目に儀式やお祝いしたりします。
現代において、実はちょっとずつ再興の兆しが見え始めている自然崇拝、リトアニアではRomuva(ロムヴァ)と呼ばれます。
世界大戦時代には、多くのリトアニア人がアメリカへ移民として渡った時期がありましたが、そこでNeo-paganismの流れが派生したりもしていて、もう宗教とかそういうのを超えて、リトアニア人に強く根付いているものなんだろうな、と思う、このロムヴァの精神。
リトアニアが気になりだしてから、色々調べていく中で、わたしにとってこのロムヴァの思想は、大切なコンセプトのひとつです。
彼らの思想や考え方をもっと知りたいし、季節行事だけでなく、文化的な面にも通ずる部分が見えてくると思うのです。
そのことを、この時期になって思い出しました。
ロックダウンも随分長く継続していて、行きたい場所にもなかなかいけないこの状況で、わたしは一体・・と(どうしても)思わざるを得ない瞬間もあります。
が、やっぱりロムヴァのスピリットとも関連する、わたしの「自然と人とが寄り添う暮らし」を再考したくてここにいる、ということを改めて考えさせてくれたこのタイミングは、もしかして必然だったのかもしれません。
暮らしの基盤に「自然」がある、というロムヴァの基本的な考えは、今を生きるわたしたちに重大なメッセージを残してくれているように思います。
って、まだリサーチは全然進んでいないけれど、日本の旧暦にも通ずる、季節の変わり目を大切にする点とかも、面白いしすてきだなあ、と思う。
ちなみに、現代のロムヴァにおけるクリスマスのお祝いは、冬至のお祝いでもあるらしい。
もともとあまりクリスマスに関心がないわたしですが、宗教的な行事というよりは、自然ともにあり、またこうして1年健康に過ごせてきたことに、感謝の意を捧げる時間にしたいと思います。
「暮らしの場」を選択することの大切さ - 自分の意志で環境を決める
今度は、住環境の話。
これは前々から思ってきたことで、大学卒業と同時にひとり暮らしを始めたあたりから本格化してきている考え方でもある。
加えていまは、世界の(だいたい)どこにいても出来る”しごと”をしているからこそ、住環境が大切だなあ、と思うこの頃です。
特にライター、グラフィックデザイナーのしごとは、おうちからでもできる。手仕事も、まさに「暮らし」の中で生まれるもの。
それなら、自分の意志で「ここにいよう」と思う場所でやりたいな、と思っています。
日本に戻るタイミングがきたら、それはそれで全然いい(そもそもワーホリなのでリミットはある)。
けれど、理想と現実のギャップはあれど、なんやかんやで「住みたい」と思う場所に今住めていることは、この上なくありがたいです。
それに、日本の実家は家族や犬がいるので帰りたい気持ちもないわけではないし(ただしテレビの音や蛍光灯は本当に無理)、はたまたノルウェー時代のシェアハウスも好きだった(シェアメイトをはじめ、みんなのおかげで本当に楽しかった!)けど、現状この仕事をする上でひとり暮らしができているのって、ストレスフリー。
多分、もしこれがノルウェーやほかの主要な欧州各国だったら、家賃の高さや収入を考えたとき、今のわたしには難しいかも。
その点リトアニアは、全体的に物価が安いので、駆け出しフリーランサーのわたしでも、首都にいながらなんとか暮らせています。裏を返せば、これが積極的に現地就職を考えていない理由でもあるのだけど(もちろん探せば色々あるのでしょう)。
ラッキーなことに、いま住んでいる場所はちょうど住宅街の中でも、団地すぎず、部屋の窓からの景色がわりと広い(説明が難しいのですが、中庭だけど囲まれてはおらず、目の前にある建物が自分の部屋よりも低いので、空が広く見えるのです)。
なので、天気のいい日はここから朝焼けや星空を楽しめるのが、地味なようで大切なポイントだと思っています。
わたしにとって、暮らしの上で住環境ってとても優先度が高いです。好きなタイミングで料理もしたいし、自然との距離がある程度近いところがベスト。
だから今になって思うけど、お部屋探しのとき、もうひとつの候補にしなくて本当によかったです・・自分でライ麦パンを焼く習慣が身についている今、オーブンのない部屋なんてありえない。
身を置いていて居心地がよく、リラックスできる環境を大事にしているからこそ、行動規制が厳しくまともに外出できないこの状況でも、あまりストレスを感じることなく生活ができています。
ウイルス騒動が本格的になった春先は実家にいたけれど、外出規制が始まってしばらくした頃に気が狂ったことが一度だけあり、ああ本当に自分に合わない暮らしは長くするものじゃないな、と思ったのでした。
今、自分が心地よいと思える環境にいるからこそ、本当に帰らなくちゃいけない時が来るまでは、わざわざ帰らなくてもいいのかな、と思っているのが本音です。
ほんとうはもっと、住環境だけじゃなくて食事の話とかにも言及したいのだけど、その話はまた今度。
逆に「いま日本に帰りたい?」と自分に問うてみる
暗い話かもしれないけど、あの日本帰国期間で、わたしは正直「このまま日本に住みたい」という気持ちが起きなかったというのも、実はここにいる大きな理由です。
特に、この数年の政治や、世間の価値観には、本気でげんなりすることも多い。
いや、社会人になる前までは、正直あまり政治に興味が強くなかったけれど、就職して正社員として働くようになってから、思うことが色々出てきました。
さらにノルウェー滞在を通して、移民ながら北欧の民主主義社会の基盤を生活の中で体感して以来、わたしは将来日本で暮らしたら、一体どうなっちゃうんだろうか・・とかあれこれ考えるように。
だからといって、日本の外に永住することを(今のところ)本気で考えていないのは、やっぱり日本に生まれ育った身として日本の文化が大好きだからで、広い世界を見た自分に何ができるかを模索したい、という気持ちもあるっちゃあるのです(後付けっぽいですが)。
そして、先ほど友人たちと話す中で、びっくりしたこと。体調を崩している人のなんと多いことか。
体調、といっても、フィジカルな部分もあるだろうし、メンタル的な問題を抱えている人も(今日あった仲間については知らないけど)周りにはそれなりに、いる。
原因は色々あると思いますが、おそらく大きなところでは、社会のストレス+生活の質の低下なんじゃないかな~というのが個人的な見解です(そして勝手にできるだけアドバイスはしたつもり)。
こういう現象があまりにも蔓延しているなと感じる日本での暮らしを、いまこの状況でまた始めようとは到底思えないのです。
もちろん、どこにいても楽園なんてものは存在しないし、幸せは勝手に向こうからやってくるものではないのは承知しています。
だからこそ、自分の意志で環境をつくっていくということは、とっても大事だよね。
結局のところ、本当に「やりたい」なら、やればいい
前提として、そのときの状況を考えた上で判断すべきではありますが、今どうしても「やりたい」と思うならやればいいと思う、というのが、色々考えてわたしが出した結論です。
ここに来る前もそうだし、今もそう。逆に、変に迷いがあるときは「いったんやめておこうかな」と思うことにしています。
ただ、前回の記事でもすこし書きましたが、やっぱり人生は一度きりなので、やりたいことは「やりたい!」と思うタイミングでやっておくべきだと思うのです。
その道を進んで、多少の困難や壁が立ちはだかることなんて、もはやザラにある。それをいちいち「ああ、これじゃだめだ」と嘆いていたら何も始まらないじゃない、とも思ったり。
それに、世の中は常に変化していきます。だから、いまは奇妙なシチュエーションにあるこの世の中だって、永遠ではない。
いま海外に出たくても出られない人たちがいるとしても、ワクチンができはじめ、欧州では年内の接種も始まろうとしているし(思うことは色々あるけどね)、また季節が巡って国を超えた往来ができるようになったらときに「やりたい!」「行きたい!」という思いが強いのなら、行動に移してしまった方が後悔も少ないんじゃないかな、と思っています。
もしこのタイミングがちょっと違ったかな、という結果になったとしても、それもそれで経験になることには違いないのだし。
わたしの場合、この計画を始めた当初は、入国後のこと(主に季節によるメンタル的なダメージ)を考慮し、北欧に行くなら春前か秋ごろかな、と見当をつけていました。
ので、最初は春先を目標に考えていたけれど、とてもそれどころじゃなくなったので断念。夏にすこし緩んだこともあり、再度規制がかかる前ギリギリのタイミングで入国しました。
今思えば、もしもうちょっと予定を遅らせていたら、入国後の隔離対象だったか、即刻ロックダウンだったかもしれない。
もちろん留学や何かのクラスなど、あらかじめ期間が決まっているものは別の話かもだけど、ワーホリをはじめ、インターンとかも相談次第でずらせるようならば、フレキシブルに対応しつつ、常に自分の気持ちを確かめることは大切。
ここに来る前のわたしは「ほんとうにリトアニアに行きたい?」と何度も自分に問うたし、今も「ほんとうにリトアニアに留まりたい?」という問いに、これでもかと考えました。
それでもまだ、確固たる答えがでたとは思えないけれど、現時点では「それでも、出来る限りここにいよう」というのが結論です。
もちろん、人生どうなるか分からないものなので、明日には「やっぱりやめよう!」ってなるかもしれないし、また別の展開が起こるかもしれないですが、まあ、今のところはそう思うってことで。
・・あ、あとさっき、おしゃべりしていた中で「大殺界」の話がでてきたので調べてみたら、どうやらわたしは絶賛大殺界の最中らしい。しかも去年から。知らなかった。
来年が最後の年らしいので、まあよかったな、ということろ。あまり気にしないけど、そういう考え方も面白いよねと思ったので、ちょっと書いてみました。
ちなみに、しいたけ占いはもっと希望が見える感じに書いてありました。人によって同じことを違う見方で考えるものなんだろうな。
最後はちょっと話がそれてしまったけれど、とりあえず今回はこれでおしまい。
ああ、やっと明日は冬至かあ。何度も言うけれど、うれしいなあ。