リスロマンティックの幸せとは
リスロマンティックの人の幸せってなんでしょうか?
一口にリスロマンティックと言っても、さまざまなタイプの方がいると思います。ネットで調べても、「片思いはするが両思いになることを望まない人」と出てくることが多いです。色んな方のツイッターなりブログを読ませて頂いても、他のセクマイの傾向をお待ちの方もいますし、恋愛の仕方は千差万別です。
私のセクシュアリティのお話をすると、身体的性・性自認・性表現は女性、性的指向は男性です。性欲もあり外へ向きますし、男性に対して恋愛感情も持ちます。性行為も、行き当たりばったりでしてしまうこともあれば、関係性を築いた方とすることもあります。
おそらく、リスロマンティックという点以外においては私は世間一般の、マジョリティと呼ばれるセクシュアリティを持っています。
だからこそ、自分がセクシャルマイノリティの傾向があるとは思ってもおらず、マジョリティの中で「両思いになれないこじらせた自分は、恋愛不適合者なのかな」という劣等感を抱いてしまっていました。
前の記事にも書きましたが、私は自分がセクシャルマイノリティであるリスロマンティックの傾向があると知って、自分の身の置き所を見つけた安心感と、世間一般のいう「幸せ」になれないショックを抱きました。
私は、「両思いになりたい」という欲求はあります。片思いをしているときは、「この人に私のことを好きになってほしい、付き合いたい」と思っています。
しかし、実際に好意を持たれたとき、その視線や雰囲気、行動の全てに嫌悪感を抱いてしまいます。(※そもそも、私が好きになる人は私に興味がないので両思いになることなんて滅多にないのですが…。直感的に自分を好きにならない人を選んでいるのでしょうか?)
そうなったとき、私の「幸せ」ってなんだろう?って考えます。今までは、「両思いになり結婚する」ことが私にとっての幸せでした。しかし両思いが私にとって生理的嫌悪を生じさせてしまうのであれば、それは自分にとっても相手にとっても「幸せ」とは言い難いです。
どのような形であれば、私は私の幸せを見つけられるのか、考えています。でも、結婚という枠にとらわれなくてもいい、とある知人に言ってもらい、違う形を探してみようかな、と思っています。ポリアモリーの方や私だけを見ない、私が1番ではないけど私のことも大切にしてくれる、そんな方がいいなって思います。(贅沢)
私を大切な人のうちのあくまでも1人、私を1番にしない人と、付き合ってみたいなと思います。