新しい価値観を受け入れること
こんばんは。
なんだかんだブログを書いては下書きにいれ、Twitterにはセクシュアリティ関係なく好き勝手につぶやき、前の投稿から半年以上経過してしまいました。。。
マイペースにとは言うものの、せっかく始めたブログ、♡10もつけてくれたり見てくれた方がいらっしゃるので、コンスタントに自分の考え方を言語化していきたいなぁと思います。
前回までは、私が自認というかセクシュアリティについての知見がちょうど深まった時期で、自分の経歴をつらつら書いて自分自身を知ろうとしていたような内容でした。今回は、世間のセクシュアリティの認知について私の視点から書いていこうと思います。
半年の間、ツイッターでもさまざまな考え方にふれ、この期間に何人もの芸能人の方が自身のセクシュアリティを公表することもありました。(私自身がアンテナをはっていたこともあり、キャッチしやすかったのかもしれません。)
以前よりもアロマンティックやアセクシャル、Xジェンダーというワードや簡易的な意味は広まりつつあると感じます。
同時にチラチラと散見されるようになったのが批判コメント。
「また出たよ」「よくわかんないけど、ファッションで特別感出したいだけなんじゃないの?」「夫婦別姓とか、騒ぐことでもないよな」
また、批判ではなくともそれはちょっと意味合いが違うかな?といったコメント。
「最近アセクシャル気味なんだよね〜」「なんか増えてるよね」「性欲ないんでしょ?」「全然いいと思う!」
当初私はこういったコメント、特に批判コメントに対しては、「なにも迷惑かけてないのに、何が悪いんだ!」と憤慨しておりました。
しかし、なぜこういった意見が出てくるのか?ふと考えてみました。
一昔前、ゲイやレズビアンと言ったワードが社会に浸透しだした頃も、同様に批判や誹謗中傷に近い心無い言葉を投げかける人たちがいた記憶があります。
また、10年ほど前のバラエティ番組では「オカマ」という言葉が平然と使われ、そう言った方々を笑いの対象とする風潮もありました。その表現の仕方には驚かさせるものがあります。
今は恋愛・性対象が同性の方に対してこのような表現を聞くことは少なくなったのではないでしょうか。
これらの流れから、いま日本はセクシュアリティの多様化における過渡期であるんだと感じます。
新しい価値観を受け入れるというのは、特に自分に関係のないことほど、人々が思っている以上に難しいことだと考えています。「知ること」と「受け入れること」は全くの別物です。
「知る」と「受け入れる」が簡易な例としては、「Aさんは魚が好きで、Bさんは肉が好き。へ〜そうなんだ」
AさんやBさんが何を好きでも、自身には関係のないことです。共通点があったり、魚や肉のどんなところが好きなのかを聞いてみたりしたら、会話も盛り上がるかもしれません。その中で、「魚が好きなんてありえなくない?考えられない」こう言う方ってすごく少ないと思います。
セクシュアリティについては、まだまだこのような捉え方はできません。もちろん人生に大きく関わる分野ではあるので、好きな食べ物と全く同じ土俵で語ることはできないのですが(笑)
しかし、そもそも知識がなければ受け入れることもできません。私も、まだ勉強中の身なので、知らないこともあるし、自分の狭い固定観念で会話をしていることも恐らく多々あります。
話しが逸れましたが、誰かを傷つける誹謗中傷を肯定するつもりは全くありませんが、批判や否定的なコメントというのは、受け入れる前の段階まできているのかな、と勝手に思ってます。
だからこそ、自分のことを話せる場というのは絶対に守られなくてはいけないし、私自身もなにかしら発信することを続けていきたいなと思います。
…まとまらない!笑
文章、難しい。