久々に。

久々に文章の書く力を湧き立たせている。
日々考えと気持ちは四季のように移りゆくわけで、それは良いのか悪いのか、簡単には判断はできないが着実に日々進歩していることは確かである。

突然ではあるが''持久走''で人生を例えてみてみる。
そう考えた時にやはり、人生はマイペースで一定のリズムで刻むのが良いのではないかと思える。また、その時に周りの移りゆく景色も楽しみながら進みたいものである。どこかで飛ばしすぎると空回りしたり、後からどっと疲れに襲われるだろう。やはりマイペースは大切である。
さらに、例えるならば私の人生は''そば''でも例えられる。理由は上記とほとんど同じであるが。
このように、マイペースと心のゆとりというのは共存し、常に比例しているとも思える。マイペースが崩されると心のゆとりもなくなる、なんてことはよくあることであろう。

まぁ、久々の文章である少し振り返ろう。
まだ大学生の頃、2回生までの私はほとんど完璧主義者のそれに近かったのだと思う。自らの首を自らで締め、追い詰められていたように感じる。追い詰めて追い詰めた後に感じたことは、やはりマイペースの大切さである。それも自分が潰れないようなペースである。とりまく環境や人々のペースにのまれないことの大切さである。のまれないのは確かに難しい、今でも時々のみこまれそうになる。しかし、しっかり意識をしているうちは大丈夫であろう。
3回生の頃までは''神様''が居ると心のどこかで思っていた。自分の今起こっている不幸はいつか報われると、何故自分ばかりがこんな目に遭っているのかと、誰か救い出してくれと、、まあ今考えると傲慢の類ではあるが、そういう風に思っていた。しかし私はある一節に出会い、そういう考え方がまるで変わったのだ。神様は居ないし、自分でやるのだ。不安や不満、現実をしっかり受け止めて、自分でやる。そうやっていくのだと。
確かに受け止めるのには時間を要するだろう。しかし、ゆっくり時間をかけてでも受け止め、自分でやるしかない、そういう一種の諦めみたいなものが本当によくわかった。

そういうことを乗り越えて今の思いとしては、私は生活において後半のような''それ''を見つけたいのだ。それが私の軸であり、これはブレないものである。そのためには仕事をしたり、趣味をしたり、人と関わったり、まあ色んなことをするのだろう。その中で感じたり、考えたりしてまた見つかるといいな、そう本当に思っている。だからまあ、人生短いけど長いし、ゆっくりやろうよ。周りの景色だって楽しもうよ、途中の団子屋にも寄ろう。そんな風にゆっくりやって見つけた''それ''のカケラを私は本当に大事にしていきたいし、最期はきっと何かがわかるのだろう。その時を私はそっと楽しみにしながら今日もマイペースに生活をしている。

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