INFJな自分の特徴について
※このページには、INFJの方もしくはMBTI診断に興味のある方しか訪問されないと思うので、あらゆる前提を省いてドンドン文章にしていこうと思う。
私はMBTI診断が大好きだ。自分というものがいまいち掴めないからこそ、あなたはこう言う傾向がありますよとカテゴライズされると、嬉しいし安心する。この時点で自分のことながらあまり健全な気はしない。
初めて診断を受けた2〜3年前から4回ほど診断しているが(あの一番有名っぽいサイトで受けられるやつ)、全てINFJという結果が出ている。
直近では、「アイデンティティ」のバーが「慎重型」100%だった。(バーの反対は「自己主張型」)流石にヒヤリとした。私には自我がないのか・・・?
自分のことは自分が一番わかっていると、2年くらい前までは信じて疑わなかった。しかし、私と一緒に大ハマりしたINFPの友人とのMBTIについて語っているうち、似ていると思っていた彼女と自分に大きな違いがあることを知った。どころか、彼女は自身のことを熟知しているように見受けられ、反比例するように私は自身の不鮮明さを思い知らされたのだ。
よくよく調べると、INFPは自分の内面に意識が向っているから自分の感情や意思に敏感なのに対し、INFJは意識が外に向かっているから、他者の気持ちを尊重する反面自分の気持ちには鈍感ということらしい。
すると以下の感情が湧き起こった。
●羨ましいと思った。私も自分のことを知ったら、もっと自分を大事にすることができるだろうか
●おもしろいと思った。それなら私はINFJとしての思考を尖らせていこうじゃないか。もっと自身を研究し、もっと面白い対話ができるようになりたい
そんな経緯で昨年後半あたりから自分とINFJについて悶々と考えてきたので、自分なりのこんな特徴がある、と思うところを列挙していきたい。
頑固だけど流されやすい
自分の中に確固たる意思はあるが、それを脳で正確に認知できていないことが多い気がする。それゆえ、本当の意思に反して口先ではどんどん人に流されることがある。
例えばショートケーキが食べたいと本心は思っているのに、周りがチョコケーキがいいんじゃない?と勧めてくれる。すると「あ、そうなのか、自分はチョコケーキを欲していると思われているのか。であれば、チョコケーキを食べたほうがいいよな、うん」みたいな思考回路になり、ほぼ条件反射で「チョコにする」と答える。
そしてケーキを食べ終わって帰路につき、皿を洗いながら「待てよ、そういえばショートケーキが食べたかったな」と気がつく。
そうして遅れて本心を認知すると、「私はどうしていつも自分の意見を言えないんだろう」、もしくは「あの人め、私を丸め込んでくれたな」となる。実に残念な生き物だ。
氷山の一角という言葉がある。海面で目にすることができる氷山はほんの一部で、海面下では7〜8倍の大きさの本体が眠っていることから、物事のごく一部が見えていることのたとえである。
INFJの氷山は、見えている部分が伸縮性になっているのではないだろうか。
周りの人や環境に左右されてあっちこっちに伸びたり縮んだりするけど、最終的に耐え切れなくなって本体にパチンと弾き戻される。「やっぱりやりたくない」「やっぱりショートケーキが良い」。
自分の本心に気づいたら、もう無視はできない。決めたらあとは早い。自分の理想を叶えるため、そしてこれまで引っ張られてしまった分を取り戻すため奔走する。周りが目を丸くするほどのスピードで。
しかし同時に、別の氷山ではまたはちきれんばかりにあちこちに引っ張られていることに気が付いていない。
会話って難しすぎる。悪気はないのに嘘をついてしまう
布団の中で、お風呂場で、ゴロゴロしながら、会話の反省会をすることは人間ままあるだろう。INFJは特にそれが多いタイプだと思っている。
その場の空気を壊したくなくて、相手に嫌われたくなくて氷山の一角が伸びまくりである。結果、全然本心と違うことを言ってしまい勘違いされたりする。
瞬間的な判断を求められる場面でその傾向は顕著に現れると思う。「会話」ってすごくスキルの高い行為だ、と最近改めて思う。
0.3秒で相手の言っていることを理解して、0.5秒で自分の意見をまとめて発音するって、それを大体10ラリー以上やるなんて、よくよく考えると恐ろしくないか。INFJじゃなくても、そのスピード感で本音を見失うと思うのだが。
そして私はその0.5秒で「自分の意見」「相手にとって心地よい答え」の二つを導き出して、大体後者を述べる。よくて自分の意見と、相手を喜ばせる意見の折衷案。自分の意見を言える相手なんて、特に限られているし、その限られた相手でもいえない場面もある。
自分の意見が言えず、相手に合わせてしまった時は、反省会の中で「嘘をついてしまった」という罪悪感に苛まれることもある。そしてせっかくついたその「嘘」すらも相手には見抜かれていて、こんな迎合しまくる人間のことを気持ち悪がるかもしれない。ああ、どうしよう・・・。となる。
しかし時として、自分の本音を言うことの方が、相手に迎合するよりストレスだったりするのが私という人間なのだ。自己開示が鬼ヘタなのである。でも、自分を知ってもらいたいと願う悲しきモンスターだ。
できることならこの文章を今後私に関わる人全員に読ませたい。およそめんどくさいこの取扱説明書を。その説明書を笑って受け取って、ファイルなんかに入れてテレビの保証書なんかと一緒に保管してくれる人間とだけ付き合いたい。
ドアスラム、する。
これ、INFJに多いってネットで見たとき笑ってしまった。まさに、だし、逆にみんなやらないんだろうかと今でも不思議である。
(※ドアスラム…ドアをバタンと閉めるように、ある日急に相手との関係を断つこと)
私は高校の時に親友とも呼べるほど仲のよかった子がいた。大学に進み、社会人になっても交友は続いたが、ある日を境にパッタリと会わなくなった。私から縁を切ったのだ。理由があってラインもインスタもかろうじて繋がっているが、今年中にはブロックもする予定だ。もう自分の人生に登場しないで差し支えない相手になってしまったのだ。
いつから違和感を覚えはじめたのかは覚えていない。彼女といるときは楽しい反面、発言に揚げ足を捕らえるのが嫌で嫌で、こう言えばいじられないかな、とビクビクする自分がいた。
無遠慮に発せられる言葉の数々も、私の心に大量の小さな棘となって刺さっていて、1個1個は大した痛みではないのだが、いつからかズキズキと痛むそれを無視できなくなっていた。
さっさとやめろと言って離れて仕舞えばよかったが、私の性質上それをすることも叶わず、いつもニコニコしていた。
ある日彼女は、今思い出しても不快になるような言葉を発した。その瞬間に、なんとか閉まらないように抑えていた私の腕からだらりと力が抜け、心のシャッターがガッシャーーーンと音を立てて降りた。その日から彼女が別世界の住人に見えるようになった。
それでもしばらくは8年も続いた仲だからと、サンクコスト効果なのか知らないが少しだけ関係性を泳がせてみたが、このまま彼女を許して共にいることは、流石に私の自尊心を傷つけるとある日思い立ち、彼女の誘いに一切乗らなくなった。
8年ほど続いた友情はあっけなく終焉を迎えた。最後の問題発言に対して私から何もリアクションしていないので、彼女からすれば連絡が途絶えたことは青天の霹靂だったろう。
失敗者に対して冷酷で、自分ができることを相手に求める完璧主義者
思い上がりすぎるのも良くないが、私はひとの気持ちをそれはそれは尊重することができる人間だ。いや、正確にいうと、相手と自分の感情に線引きをすることができない。特にイレギュラーな感情、悲しみや怒りといったものに相手が胸を詰まらせるとき、まるで相手の心臓と一体化したように私の心も共鳴し、自分の感情かのように共に悲しみ、怒ることができる。
だから、人が傷つくことを言える人間が本当に信じられない。それに気が付かない、もしくは気付いても面と向かって謝罪することのできない不誠実な人が理解できないし、大嫌いである。それは、人の痛みを知らないという罪である。
ドアスラムした彼女は、最初こそ気の合う面白い、かけがえのない友達だったが、私という国の中で不誠実という罪を犯した。私は国の平和を守るため、国外追放を言い渡したのだ。
無知は罪ではなかったろうか。悪気はなかった、で許すことが健全だったのだろうか。私はそうは思わない。
物心ついた時から、相手の気持ちを慮ることができた。清廉潔白な人間とは言い切れないが、真面目で割を食ってきた人生だと思う。
相手にも同じレベルを求めてしまう。それくらいわかる人でないと、とてもまともに向き合うことができない。仮に改善すると誓われたとして、ゴールまでのその道程で私の心身は疲弊し、耐えきれなくなるだろう。
そもそも、人を傷つけないというのは、そんなに難しいことではない。だからこそドアスラムする友より、健全に楽しく関係が続いている友の方が圧倒的に多いし、無慈悲にバッサバッサと百人斬りしているわけではない。
また、自分自身にも原因がある。
人よりも八方美人をしてしまい、たくさんの人に愛想を振り撒くから結果的に背負いきれなくなってしまうのだ。人付き合いが下手なのである。
人と付き合うとは、常に相手への思いやりを忘れずに環境に応じてアップデートしていくことだと思う。最初に意気投合したから友達なのではない。毎日新しい朝が来るたびに相手を思いやり、思われ、友達であることを選び、選ばれ続けるのだ。
私は友から身を引きながら、気をつけなければと自省することができた。感謝している。
ちなみに、友達という枠で言うとその友人以外にも1人縁を切ったことがある。内容はほぼ同じ感じだ。
そのほかにドアスラムすることが多いのは、「先輩」と言う生き物だ。この生き物は、同年代より厄介である。こちらが立場上ニコニコヘラヘラしていれば、この後輩は私を慕っているんだといとも簡単に勘違いする。関わっている間、適当に扱うこともできず、ヘラヘラし続けた結果、環境が変わり関係が切れてもラインなんか送ってくる。もう会わないと確信できたら即ブロックだ。後輩や部下は、必ずどこかで無理をしている。そのこともこの経験から教わった。ありがたい限りである。
余談だが、失敗者に厳しいという面において、私はこの国において犯罪の厳罰化を望んでいるし、死刑制度は継続するべきと考えている。加害者が更生することを含め、何をもってしても被害を受けた人の心は完璧には癒えないと思っているからだ。人の罪は、人の心にしこりを残す。
理想の社会の実現のために、被害者の心の安寧は必要だと思っている。それをもたらすのが加害者に適正な罰を下すことであり、最たるものが死刑という制度だと思う。
私は理不尽が許せない。理不尽に奪われることは、この世で最もあってはならないことだ。
色々な立場があると思う。私はどうしても感情的に考えてしまうので、理性的に考えることのできる人も交えてこの主題は考えていくべきだと思っている。
世界中の人に幸せになってほしい
すこしINFJというか私が冷徹な人間という印象を持たれかねないテーマが続いたので、方向性を変える。
いきなりだが私は、この世にいる人は皆、とても尊い存在だと確信している。何か意味があってこの世に生を受け、今を懸命に生きている美しい魂たちに見える。それは犯罪者も同じである。犯罪者が罪を犯すのは、社会構造が原因なことが多々あるからだ。本人の魂は清らかなまま生まれてきたに決まっている。(ただ、どうしても観念的に加害者を許せないのである)
そんな人たちが、生まれた国、性別によって辛い生活を強いられている今の世の中がとても辛く、許せない。私はたまたま日本の平均的な家庭に生まれ、教育や経済の面では今日に至るまで何不自由なく過ごしてきた。
それは偶然、座り心地の良い椅子が良いされていただけだ。もしかしたら今頃、貧困に嘆き家族のために心身を削って、辛い仕事をしていたかもしれない。数ヶ月後どころか明日を無事に生きれるかもわからず、銃や国の圧政に怯え息を潜めていたかもしれない。食べるものがなく、楽しむための食事を知らず、死んでいたかもしれない。
テレビで大食い番組を見るたびに不思議な気持ちになる。なぜこの料理が、食材が、エンターテイメントとして消費され、廃棄され、その裏でなんでもいいからご飯が食べたいと懇願する人たちがこの同じ瞬間に存在するのだろうか。
同じ形をした人間で、なぜこうも差が生まれてしまうのだろうか。
不平等じゃないか。私は、不平等や理不尽という言葉がこの世で一番嫌いだ。
生まれた時点ですでに奪われている人と、十分に与えられている人がいる。なぜなのか。理解ができないし、したり顔で理解してはいけないと思う。
私の理想とする世界は、「すべての人が、夢を持てる世界」だ。
理由はない。ただ生まれたからには幸せに生きてもらいたい。望まれてこの世に生まれた、この世を謳歌する権利のある尊い人々に。
お母さんのお腹に命を宿したまでは同じなのに、生まれた外の空気によって運命がある程度決定づけられるなんて悲しすぎる。
走るための靴が用意されていない。暗闇を照らす照明もない。ただ手の届く範囲で死ぬまで生きる。
それじゃダメなのである。みんな、ワクワクするような夢を持ち、自分の足で進む方向を選び、1人の人間としての自尊心を立派に育て生き生きとしてほしい。それが私のエゴだとしても、願わずにはいられない。
この世のすべての人に、平等にスタートラインが用意される世界になってほしい。みんな食べるものに困らず、教育を受けて、夢を見つけ、愛を知り、最後の時まで幸せでいてほしい。
だいたいこんなことを考えながら、それを実行するための具体的措置を取らずに日々を過ごす器の小さな人間、それが私である。
そんな自分が情けない時もあるが、この理想だけは手放したくないと思っている。
こんな理想は、片手で数えるほどの人間にしか打ち明けたことがない。
地図に強い
ちょっと自分の文章の散らかり具合に唖然としているが、せっかくの熱量なのでこのまま公開したいと思う。最後にデザート的な感じでフランクなテーマで締めようと思う。
INFJの皆さん、地図、めっちゃ強くないですか?駅から徒歩10分程度だったら最初に地図を頭に叩き込んでノールックで行けたり、見知らぬ土地で一度通った道を覚えていて正確に引き返すことができたり。
私の身の周りにはINFPの友人が3人いるが、全員壊滅的に地図が読めない人ばかりなのである。1回通った道を初めて通るかのようにリアクションし、買い出しで入ったコンビニから出る時に、来た方向と逆に意気揚々と歩いて行ったり。
間違ってたと気づいたら引き返せばいいのさ、なんて3人とも口を揃えて言うが、そのスナフキンみたいな生き方、自分にはできないので憧れている。
INFPとINFJの違い、みたいなものも記事にできたらいいなと思う。
というか今日全然まとまらなかったので近々第2弾的なものも書きたい。
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