INFPの友人と INFJのわたし

1個前の記事で、INFPの友人が3人いると書いた。中でもMBTI診断に同時期に熱中し、今も色々な議題を取り交わす1人の友人に焦点を当て、これがINFPとINFJの違いなのかもなぁ〜と思ったことを書いていこうと思う。

なお、私はMBTI診断やそれぞれの性格、優生機能?などかなりふんわりした知識しか有していないため、全体的にふんわりした記事になることを先に断っておく。

「人に勝ちたい」/「人と比べるのはナンセンス!」

後者は今までに3回ほどINFPの彼女に言われたセリフである。今では「私に比べてみんなすごいよなぁ」とつい口に出してしまい、彼女に突っ込まれるという構図が出来上がっているが、一番初めに言われた時は衝撃的だった。

何かの会話の折に、私が「勝負が好き。勝負事があるなら勝ちたい。だから勉強も運動も頑張ってきた。自分のモチベーションはそこだ」と発言した時、彼女は「何もかも、勝つことをモチベーションにしていたら大変じゃない?勝てなかった時、立ち直れなくない?」ときっぱり答えた。

今もまだそうなのだが、かつて人に勝ちたい精神が強かったかつ、そういう秘めたる思いをあまり周りに話していなかった私は驚いた。みんな、学校で渡されるあの順位表を、マラソン大会の順位を、カラオケの点数を、1ランクでも高く通知されることを目標にしているものだと思っていたからだ。
高い点数を出せば認められ、周りに「私はこれだけ価値のある人間ですよ」と示すことができる。醜い側面だが、自分より下の人を見て安心することができる。集団の中で自分がどのあたりに位置し、相対的にどれほど価値があるのかを知ることは、私の心に安寧をもたらすのだ。

INFPの彼女は、常に自分軸なのだ。彼女も学生時代は点数や順位にこだわっていたというが、大学あたりからそれよりも自分軸で生きることを選択した、と言っていた気がする。だから私の気持ちもわかるそうだ。なんだそれ、最強じゃないか。

自分の内面に意識を向け、自分にも他人にも絶対的な価値を見出すINFPと、集団全体に目を向け、自分はどこに位置しているかで相対的な価値を発見するINFJ。

羨ましすぎる。自分の絶対的な価値って何?そんなもの、そう簡単に見つかるものではないだろう。
自分が自分であるから素敵なんじゃなくて、人よりも頭が良いから、スポーツができるから、メイクが上手いから好き。そうやって勝手に周りの人を自分の価値を高めるために巻き込んで、見下したり羨んだりして自己嫌悪に陥り、ほらやっぱりどうしようもない人間だとループする。

人付き合いの仕方

これはもう1人のINFPにも聞いてみて「確かにそうかも」と言ってもらえた例え話なのだが、人付き合いを「一軒の家」に例えるならば、2タイプは以下のようになると考えている。

●INFJの家
 …門は常に空いている。庭には椅子や机を用意し、どんな人でもジュースを出してもてなす。そのうち、意気投合した人は玄関から迎え入れ、手を洗ってリビングで涼んでもらう。もっともっと仲良くなった人は、寝室で仮眠を取らせたり、自室で宝物を見せたりする。自分が見極めるというより、中に入れて!と言われれば嬉しくなり、入れてしまうこともしばしばある。
 しかし、自分に余裕がなくなったり、相手の行動が目に余るようになってきたら、庭の人はもちろんたとえ寝室で気持ちよさそうに寝ていても叩き起こし、有無を言わさず門の外へ追い出す。
 そして永遠に出禁にすることがある。
 そうしている間にも、新たな客が門をくぐり、庭の椿を眺めている。

●INFPの家
 …門はいつも閉じていて、庭にはほとんど人がいない。代わりにリビングには、家主が心から招き入れたいと思った精鋭たちが優雅にアールグレイを飲み談笑している。
 寝室や家主の部屋に入った者はいないが、家主はたまにお気に入りの枕や万年筆を部屋から取ってきて見せてくれる。
 門を叩く人に対しては、穏やかに対応しながらもなかなか敷居を跨がせてくれない。のらりくらりと交わされ、半ば諦めながら通っていくうちに、いつの間にか門が少しだけ空いていたりする。
 それが入っていいよの証なのだ。そして、いきなりリビングまで招待してもらえ、温かいおしぼりまで出してもらえる。家主は招き入れる人を無意識的でも意識的でも慎重に見極めているから、その後滅多に追い出すことはない。

これは正直、当たっているのではないかと思っているがどうだろう。INFJは批判を恐れ、嫌われたくなくてすぐさま相手をもてなすが、時間の経過とともに相手を見極めるようになり、やっぱり違うなとなると極端に追い払おうとする。

反面INFPは、最初から自分の波長に合う人はどの人かな?という目で見ているし、誰に対しても人当たりがいいがこの人にはここまで開示する、という線引きがちゃんとできる。そして心許せる相手には寛いでもらうが、自分の核となる寝室まで簡単に招き入れることはない。我々も無理強いをしてINFPに嫌われたくないから特段何も言わないが、ふとした気まぐれか何かで宝物を見せてくれた時は、平静を装いつつ心の中は狂気乱舞だ。

あれ、なんか罪な人間だな。INFP。

今と個人に集中するINFP、未来と集団(時に人類)を考えるINFJ

彼女に「自分の死後の地球に興味ある?」と聞いたことがある。彼女は「言われてみればあまりない」と答えた。
そして彼女は、私が「今日はスーパーで牛乳とじゃがいもを買って、シチューを作るつもりだよ」と言うとすごく喜ぶ。なんでも「そこで人が暮らしている、生活があるという事実がたまらなく嬉しい」そうだ。

自分達の後の世代にも快適に生きてほしいという願いは彼女も持っているようだが、それよりも今を生きる私たちに集中しているのだろう。
確かに「生活感」というものは、血が通っていて、温度があって、人それぞれで、どこか懐かしく温かいものだ。家に帰り、家族に食べさせるための人参を野菜コーナーで買う人。1週間を頑張ったご褒美にお惣菜とお酒を買う人。奇抜な色のエコバッグに5%引きの豚バラ肉を詰める人。並んでスーパーを出る親子。
そこに生活があるからうれしいとは豊かな人だ、と心から思う。

私は、今の自分よりも、地球の行く末だとか、人類のたどり着く未来に想いを馳せることが多い。
地球はこれからどうなっていくんだろう。人類はこのまま地球破壊を続けるんだろうか。ていうか、「地球に優しい」ってなんだ。傲慢すぎないか。虐待している親が、気まぐれで「子供に優しい」おやつを買っているみたい。話がそれた。地球の環境問題については悪化させてる要因にしかなっていなから、そういう視点で見たらそもそも生まれてこないほうがよかったよなあ…でも生まれたからにはなんとかしないとなぁ…というか人間って、国家ってこの後どうなるんだ。資源を巡った戦争は免れないよなぁ。日本は災害も多いし…自分が生きている間は戦争はないかもしれないけど、それでいいんだろうか。日本に限らない。戦争や独裁真っ只中の国もあるじゃないか。その国は将来どうなるんだろうか。和解なんてできるはずない。それには民族や宗教が多様化しすぎている。仮に私が戦車と戦車の間に飛び出せば、一瞬でも攻撃を止ませることができるだろうか。いや、戦車同士の戦いなんて今どきないのか。人間はどんどん相手の顔が見えない戦い方をするようになるよなぁ。怖い怖い。やっぱり私は無力な一市民だ。分かっていたそんなこと。あ、ご飯炊かなきゃ。

こんな具合である。毎日ではないが、頻繁に「それ、考えたって仕方ないでしょう」案件を思いあぐねている。専門家に言えば「それは偏った情報に基づいた推論に過ぎませんね」と言われ(ごもっともである)、友達に言ったら最初は付き合ってくれるだろうが段々と疲れさせてしまうだろう。だからいつも1人で脳内でぐるぐる考えている。ハムスターのあの滑車のようだ。すごく走った気がするのに、スタート地点から一歩も進まない。

話がそれたし、まとまらないのでこの章はこれでおしまいにする。

似ているところももちろんあるよね

考え方やアプローチの仕方は違くても、興味のあるテーマが共通しているから話すのは楽しい。地球、宇宙、人間、文化、最近読んだ本、感銘を受けた映画、好きな時間帯や季節、芸術鑑賞など。たまに私が迎合してしまうこともあるが、基本的に穏やかに健全に会話を楽しむことができる。

INFP友達と話すのは楽しいし、この人がいなくなったら私は深い喪失感に苛まれるんだろうな〜、仲良くしてもらえてありがたいな〜、感謝しておかないとなぁ。という感じで、会話の中でよく「仲良くしてくれてありがとう。本当にあなたに出会えてよかった」と言ってしまう。恥ずかしいので、重いよなすまんwwみたいな雰囲気を出すが、全身全霊の感謝である。

上記のように、気の合うINFPという友人を失うことへの恐怖が凄まじく、私はドアスラムというINFJ特有の「もやもやを溜め込んである日突然その人の前から姿を消す」ということを、この友達だけにはしたくないと思っている。だから勇気がいることであっても、ずっと仲良くしていたいから、少しもやっとしたことがあれば言うようにしている。
そして向こうはいつものように真摯に耳を傾け、向き合ってくれるのである。

そうやって受け止めてくれるという信頼を寄せるに足る人物なのだ。信じてよかったと思わせてくれる、なんかもう聖人君主みたいな人である。

INFJも理想主義と言われるが、わたしは世界規模での理想を求める反面、自分の身の回りの人への調和を欠くことがあると自覚している。
INFPは、自分の身の回りの世界の調和を重んじ、傾聴し相手に寄り添う器量がある。彼女は私を優しいと言ってくれるが、自分が実際幸せにできる範囲の人間にしっかりと寄り添うことのできるINFPこそ真に優しいひとだと、私は思う。

INFPと話すとつい、他の人よりも私の話を批判せずに聞いてくれるので嬉しくなって喋り過ぎてしまう。いつも反省している。もっと彼女らの話を聞かなければいけない。そんなことを言っても、INFPは「気にしすぎww」と笑ってくれてしまうのだ。その優しさに甘えてはいけないのである。
自省。


また話がとっ散らかったが、まぁこんなの自己満足の落書きなのだ。今日も思っていることを吐き出せて満足した。気持ちが良い。
というかこのnoteというサービス、すご過ぎないか。広告がないのが見やすいし心の健康を保てる。
最近の広告は、コンプレックスを刺激するような、外見至上主義の冷たく生々しい価値観の押し付け全面のものばかりで辟易とするのだ。
そんなものがあるから小さな胸を痛める多感な少年少女が生まれてしまうし、悩まなくて良いことで悩む人がいつまでもいなくならないのだ。

結構深刻な問題だと思っているが、まぁそれはまたいつか。
noteさん、今日もありがとうございます。

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