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どうして理想の鞄は見つからないのか -妥協としての鞄選びについて-
夏でもお気に入りの革ジャンを着る人間は珍しくない。しかし、いくら気に入っているトランクケースでもそこに財布だけを入れて持ち歩く人間はまず想像がつかない。
それがなぜかと考えてみると、洋服と鞄では選択に際して考慮される機能と趣向の関係性が異なっているということが見えてくる。
洋服の場合は、1着の服だけで機能の全てを賄う必要はなく、同時に着用する別の服にその機能を委ねれば良い(真冬でも薄手の服を着て防寒はマフラー手袋等に任せる等)
また季節の変化によっても求められる機能は大転換するため、単純に1人が持つことになる服の数は鞄とは比較にならないほど多い。
故に「お洒落は我慢」の格言の通り、洋服については機能を度外視しても自らの趣向に合わせて服を購入することは、気合さえあればさほど難しいことでもない。だからこそ、人は気軽に服を買い、気軽にその日着る服を選ぶことができるのだ。
一方で、鞄は「手持ちできない荷物を入れるもの」という実用品である以上、各状況に求められる機能を完全に無視して個人的趣向のみで鞄を選び使用することはありえない。(鞄をアクセサリーとして使用する価値観の存在は否定しないが今回は話題にしない)
ブリーフケースはバックパックの代わりにならず、トラベルバックは日常の買い物には過剰である。大は小を兼ねず潰しも効きづらい鞄の選択は
、ひとまず機能面の基準を満たすことが大前提であり、個人の趣向はあくまでそれに従属するものでしかない。特に男性は。
日用品をその日スーパーで陳列されたものから選ぶように、個人の趣向を限りなく小さくして機能のみの観点から鞄を選ぶことは容易いことであるが、趣向の割合が高くなってくると途端に鞄選びは困難なものになる。
まず前提となる求める機能(形状、大きさ、異性ウケ等)という大きなふるいにかけられた後、最も大きな趣向である「ぱっと見の好み」というふるいがかかる。この時点で99.9%の鞄は候補から外れるだろう。
その後、わずかに残った候補は、機能面趣向面の双方から減点法によってジャッジされる。
ちょっと大きいちょっと小さい革が硬い柔らかいジッパーがここにあるからダメないからダメ蓋いらないステッチの色が白なのヤダ重いのヤダこのブランド気に食わない金具の素材が気に食わないなんでここにエンボス入れるの?なんでここにロゴ縫うの?何このポケットなんでポケットないのエトセトラエトセトラ
それぞれのポイントの減点幅は人によって異なるが、減点が一定のラインを超える度に候補が消えてゆく消えてゆく………
(許せる鞄が)無い! となる。
求める機能と望む趣向の両面を完璧に満たす鞄が見つかるのは一種の奇跡である。
奇跡に見えることができなかった人間は、機能と趣向の綱引きを続ける限り、その奇跡が顕現するまで買わずに待つか(しかし、それができるのならあなたが探している鞄はあなたには必要のない類の鞄だろう)どこかで妥協した鞄を買うかのいずれかしか道は残っていない。
私のnoteを読んでいただいている読者の方なら、「妥協した服を買うくらいならそもそも買わない」「妥協して買った服は結局愛せない」と考えている方は多かろうと思うが、「いくら探しても100点の解答が見つからない」「良くて75点くらいの解答」を強要されるのが鞄というジャンルなのである。
私は奇跡に見えたことは無い。だから私が持っている全ての鞄は例外なく妥協の産物である。妥協するためには深く迷う必要がある。いらないなら買わずにいられるのにどうしても「鞄」が必要な場面が押し寄せてきたから、考えに考え抜きそして何かを諦めて買った鞄だ。
私が持っている全ての鞄を紹介する(何にこだわり何を諦めたかその煩悶の過程)のも面白いかなと思うので、やる気になったら続きは書くかも(恥ずかしいので多分有料にします。服は恥ずかしくも無いのに不思議だね)