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「自分の好きなことは知ってもらいけど、でも表現することは怖い」から抜け出せない

今日はいつもの韓国に関する話題とは違って、私が数年悩んでいることについて書きたいと思います。久しぶりのnoteなのに(笑)

タイトル通りなのですが、「自分の好きなものを世界の誰かに知っててもらいたい!」という自分と「私の好きなものは私だけが知っていたらいい」という自分が何年も戦っています。(未解決)

数年続いていたこの戦いが、最近になってまた濃くなったきっかけは友達の一言でした。「どんな出会いがあるか分からないから、自分の好きは表に出すことにした!」という言葉を聞いて、かっこいい!と刺激を受け、私は自分と表現について改めて考え始めました。(ありがとう友達)

私は韓国ドラマが大好きです。韓国ドラマが私の生活を作っていると言っても過言ではないくらい、韓国ドラマに心を動かされて希望をもらって生きています。
韓国ドラマのロケ地に行くのも好きで、このnoteよりももっと多くの人に見つけてもらえるように、インスタグラムやXにこれまで行ったロケ地をアップロードするアカウントを始めてみようかな!と思うけど、アップロードした時点でなにかが軽くなってしまう気がして、ずっとやらずにいます・・・(これまで行ったロケ地は50か所は超えている気がする)

アップロードした瞬間、自分から離れてしまう気持ち?自分の大切な思い出じゃなくなる気持ちになるのですが、これは誰か分かってくれる人がいるんだろうか・・・

普段から「自分の好きなものを知ってもらいたい!」と情報発信をしている人からしたら、何でやらずにいるのか分からないと思う。
私も思う(笑)「やりたいならやればいい」。でも自分の本当に好きなものをアウトプットするのって自分の心の中を全部見せるような怖さがある。

他の人の目にふれるところに置いた時点で、「人にとって有益じゃないといけない」とか、人からどう見えるかを気にし出してしまうからだと思う。人からどう見えるかを気にして、自分の大切なものへの気持ちが変化するくらいなら、いっそのこと自分だけのものにしておきたい、と思うんだろうなぁ。

そんなこんなでnoteすら書かなくなってしまい・・・

でも久しぶりに書いてみると、文字(note)だと自分の心の中をさらけ出せるのかもしれないと思いました。
InstagramやXはユーザーが多くて、見てもらえるチャンスも多いし、人とのつながりを感じられるかもしれないけど、商業的に使われていることが多くて、私が好きなことを表現するツールとして向いていないのかもしれない。

自分の好きなものを多くの人に向けて発信して、それが他の人から評価されている人を見て羨ましさを感じたり、一度きりの人生なんだから、自分の好きなようにしようよ!と思う考えの自分もたまに出てくるのですが、結局この悩みを数年抱えて生きています・・・

今日は思い切って自分の悩みをnoteに書いてみました。
このnoteは、他の人からの目線を気にしすぎる私が「自分の書きたいことだけを書こう!」と思って始めたものなので、しっかり実現できていることは嬉しい。(笑)

今は文字や画像、映像、いろんな表現方法があるから自分に合う表現方法で人と繋がればいいのかな。これを読んでいる方がもしいたとしたら、自分と表現についてどのように考えていますか。気になります。間違いはないんだけどね。表現含め、自分が後悔しない生き方って何かなって考えている今日この頃の私です。


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