寝るまでのひとりごと
「みんなちがってみんないい」を体現したい。
できればそれを伝えたい。
でも、多様性を認め合うって、実はすごくすごく難しい気がする。
だって価値観が合わない人のことは嫌いだし、波長の合う人のことは好きになる。
信じ難い言動をとる人だってたくさんいる。
そんな人を「いい」と思えるかと言われれば、むりだ、ふつうにむり。
「みんなちがって」まではいい。みんなちがうし。
「みんないい」ってなんだろうね。
認めるって、許容に近いのかもしれないけど、わざわざ出会った人みんなを許容するなんて、私には無理だな。
いちいちいろんな人を認めようとしてたら、心がもたない。この人のこと否定したくないのに、どうしても受け入れられない自分が嫌になってしまう。
「みんなちがってみんないい」がたどり着く先は、「諦め」なのかもしれない。
人間関係をうまくいかせる方法のひとつは「諦念の心持」だと思ってる。
この人はきっとこんなことを言ってくれるなんて期待をするから、そうじゃなかった時に悲しくなったり、嫌になったりする。
そもそも期待なんてしなければ、諦めていれば、そもそものハードルが低くなる。
少しの共通項があっただけで嬉しくなる。
ドライに、期待せず、あまり干渉しなければ、「まぁそんな人がいてもいいんじゃない?」と思える。
「みんないい」と思える気がする。
「みんなちがってみんないい」と思うには「諦め」が必要だと思う。
あとは「みんな」の範囲を狭めること。
あくまで自分が大切にしたいと思えるみんなのことを、「みんないい」って思いたいよなぁ。
別に理解も共感もいらない。否定も肯定もいらない。
ただそれぞれが、息のしやすい環境にいられるようにしたい。
まずは自分から、と思って、私は今すごく息がしやすい環境にいる。「みんなちがってみんないい」の「みんな」に入れた気がする。
でもまだ「みんな」に入れていない人もたくさんいる。
まずは周りのことなんてどうでもいい。
自分のことを「いい」と思える環境に身を置いてほしい。
1人でも多くの人が自分のことを「いい」と思える環境をつくりたい。
また漠然としてる。
でも、言語化も大切だけど、言葉にならない想いも大切にしたい。
明日は朝からフルで働いて、夜もフルで飲み明かすんだ。
今日もいい一日だった。
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