パキスタンと日本
現在、2万人近くのパキスタン人が日本に居住、1000人近くの日本人がパキスタンに居住しています。パキスタンと日本の関係はガンダーラ文明と奈良との歴史的つながりまで遡ることができ、両国は1952年に外交関係を樹立して以来とても良好な関係を築いています。
1951年、日本はサンフランシスコ講和条約に調印し、1952年、連合国軍占領から解放されました。正式に国家としての主権を回復した日本は、パキスタンとの外交関係を確立しました。
南アジアから唯一の出席者であったパキスタンは、サンフランシスコ会議において、日本に対して平等に接するように強く求め続けました。他の多くのアジア諸国とは異なり、パキスタンは日本の戦争賠償を受け取らず、日本の戦後復興にあたり重要な役割を果たしました。貿易において、占領下の日本で認められた唯一の産業が繊維産業であったため、パキスタンは日本へ綿とジュートを輸出しました。外貨不足であった日本は、パキスタンへの支払いは後払いでしたが、パキスタンは綿とジュートと引き換えに日本から繊維機械を輸入しました。
戦後の日本の深刻な食糧不足に対応するため、パキスタンは1952年と1953年に「パキスタン政府による日本の天皇陛下への米の寄贈」の看板を掲げたニチメン船を通じて6万トンの米を日本に輸送しました。
国交樹立10周年にあたる1962年には、皇太子同妃両殿下でいらっしゃった天皇皇后両陛下はパキスタンを訪問されました。
パキスタンと日本の外交関係の歴史は、将来のさまざまな分野での協力の基盤となります。パキスタンと日本の歴史は、外交、経済、文化の側面を網羅し、時間の経過とともに強くなってきた多面的な関係を反映しています。