誰が為に歌は鳴る ONE PIECE FILM RED(ネタバレ)
いよいよ原作が最終章を迎えることになったONE PIECEの最新映画。
自分はONE PIECEはこれまでしっかりと触れたことがなく、2022年7月に映画公開記念なのか、何かの周年記念なのかでジャンプ+で無料公開された機会に1〜92巻分を一気に読み、その続きを追っている状況。
キャラクターも、「麦わらの一味」は主人公のルフィと、マスコット的なトナカイと、女子が2人と男子が2〜3人いたくらいのイメージしかなかったので、現在の一味がかなりの大所帯だったことは原作を読んでいて驚いた。
今回の映画では、そんなキャラクター達の名前、特徴や能力などは勿論、これまでのあらすじなども描かれない。
どうやら今作のキーマンであろう「シャンクス」が何者なのかも、特に説明はない。
「もうこれを観に来る人はみんな知ってるよね」という、長く続いている作品だからこそできる攻めの姿勢である。
(というより、長く続いている作品で未だに劇場版のオープニングで毎回一見さんにも優しい丁寧な説明をしてくれるのは名探偵コナンくらいなんだろう。)
本作は、いきなり麦わらの一味がエレジアのライブ会場にいるところから始まる。
そこで彼らが出会うのは、「世界の歌姫」ウタ。
この歌声とキャラクターで世界中の人々を魅了している。
さらに驚くべきことに、彼女は「シャンクスの娘」だというのだ。
ルフィとウタ、この2人は幼い頃、赤髪海賊団がフーシャ村に滞在していた際に共に時を過ごしたこともあった。
予告でも捉え方によって微妙に示唆されていたが、彼女は実質今回の「敵」となる。
敵役はあるが悪役ではない、というのが重要なのだが。
彼女は「ウタウタの実」の能力者で、歌声を聴いた者は彼女が操る世界=ウタワールドに意識だけ連れて行かれてしまう。
ウタワールドは夢の中の世界で、現実の人々は睡眠状態になっている。自由に目覚めることはできない。
ここにきて幼馴染がとんでもない能力者になっていたことが判明し海の広さを知るルフィだが、ウタはこの能力を使い、「新時代」=争いのない世界平和を実現させようとしていることを知る。
ウタワールドにみんなでいて、歌を楽しんで、美味しいものを食べて、毎日楽しく暮らせば、ずっと幸せなはず。
ウタは所謂「闇堕ち」キャラではなく、割と最初から言っていることが一貫していたのも面白い。
思えば、最初に披露される曲『新時代』の時点でその歌詞が全て語っているのだ。
映画を観てから改めて歌詞を読むと、観る前とは180度意味が違って見える。
キラキラした80's風の音に乗せて、実は物凄く後ろ向きなことを言っている歌詞である。
世界平和を叶えようとするのは良いことであるものの、人々の肉体を、精神を、人生を勝手に縛ってコントロールするという行為は当然許されることではない。
私達は自らの意思を持って、自らの人生を生きていく権利がある。
ラストバトルで、ルフィとシャンクス、ウソップとヤソップが瞬間、心、重ねた結果無事に勝利をおさめるのだが、そこの倒し方が息を合わせて同じタイミングで体の同じ場所を攻撃する、というのもどこかダンスっぽく、細かい場所まで「音楽映画」をやっているのが面白い。
この物語が残酷なのは、ウタは自身にかなりの犠牲を払って人々の平和のためにこの能力を使っているのだが、最初はウタワールドを楽しんでいた観客・大衆もあっけなく裏切る、ということを描いている点である。
大衆が悪いわけではない。
ただ、ずっと楽しい夢の中にいることはできない、仕事もあるし、外の世界でやりたいことがいろいろある。
果てには「別に頼んだわけじゃないし」と言われてしまう。
いつでも笑顔でキラキラしていることを求められ、大衆のために奉仕をし、それでもあっけなく手のひらを返されることがある。
今作のウタは現実の「アイドル」と重ねることもできる。
ウタの人生について考えてしまう。
孤児となり、本当の親はおそらく知らない。
育ての親・シャンクスは自分を置いて行ってしまった。(これには深い訳があったのだが。)
それでも自分が大好きな歌で人々を喜ばせようと、平和な世界を作ろうと能力を最大限に使い奮闘した結果、それは良くない方向へ働いてしまい暴走してしまった。
それでも最後は再び人々を救うため、過去にこの地に起こしたことへの贖罪のために自らの力を使い果たし、犠牲となった。
それぞれがさまざまな思いや愛があっての行動なのだが、どこかで彼女を救えなかったのかと考えてしまう。
ルフィがラストに叫ぶお馴染みの台詞。
「海賊王におれはなるっ!」
幾度となく聞いた台詞だが、本作でこの言葉にかなり重みが増した。
こんなにこの言葉が虚しく響くことはなかった。
それでも、下を向いているわけにはいかない。
もう会うことの叶わない幼馴染への思いを胸に、彼女の父親から譲り受けた麦わら帽子と共に、ルフィと一味はまた夢を追い始めるのである。
劇中歌を歌った、ウタの歌唱パート担当のAdoと、それぞれの曲を作ったアーティストの貢献は大きい。
映画館の大音響で聴く歌の数々は、どれも印象に残るものばかりである。
映画で「見た/聴いた誰もが感動する作品」を見せることは非常にリスクが高い。
それを観客に説得力のある形で見せなければならないからである。(それで残念な感じになった作品も過去には多々…。)
今作はそれに成功している作品と言える。
特に『新時代』は今年聴いたあらゆる曲の中でも圧倒的にキャッチーで、こういう絶対に失敗できない案件で完璧に作ってくるところは、やっぱり中田ヤスタカって怖い…となる。(しかも歌詞は観た後に読むと深い。)
普段、CAPSULEやPerfumeの曲は攻めたものも多いが、何かのコラボや主題歌で依頼された案件のキャッチーさは強烈。
『何者』の言葉では表し難い後味の余韻を残すような、それでもどこか背中を押してくれるような曲。
3:20から後ろで流れるキラキラした音が中田節すぎるし、RIP SLYMEのマイクリレーが今となっては少し切ない。
本作のエンドロールでは、これまでONE PIECEに出てきた世界中のキャラクター達がウタの曲を聴いている様子が描かれる。
ウタがこれからも「世界の歌姫」として、人々の日常に寄り添い続けるだろうという描写に救われる。
実写では描くことができない自由な表現ができるアニメと夢の世界は相性が良いのだろう。
『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』や『パプリカ』など、日本映画を代表するアニメ映画も夢を描いた作品は多い。
直近だと、「このまま夢の中にずっといれば苦しいことも忘れて幸せかもしれないが、それでも自分は覚醒して過酷な現実とも対峙するのだ」という流れは『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』も思い出す。
ONE PIECEの映画をまともに観たのは今回が初めてだが、もしかしたら本作はかなりの「異色作」だったかもしれない。
それでも、映画の見た目のキャッチーさと、その裏腹なダークさ、観た人に問いかけるものの深さが印象に残る作品である。
作品を、そして自らを大衆に提供してくれる人のこと、エンターテイメントについてを改めて考える物語であった。