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2024年10月に観た映画

10月に観た映画の記録。ネタバレあり。


ソウルの春

監督:キム・ソンス
2023年
142分

1979年10月26日、独裁者と言われた韓国大統領が側近に暗殺され、国中に衝撃が走った。民主化を期待する国民の声が高まるなか、暗殺事件の合同捜査本部長に就任したチョン・ドゥグァン保安司令官は新たな独裁者の座を狙い、陸軍内の秘密組織「ハナ会」の将校たちを率いて同年12月12日にクーデターを決行する。一方、高潔な軍人として知られる首都警備司令官イ・テシンは、部下の中にハナ会のメンバーが潜む圧倒的不利な状況に置かれながらも、軍人としての信念に基づいてチョン・ドゥグァンの暴走を阻止するべく立ち上がる。

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今年観た映画の中でもその重厚さ、そしてショッキングさはトップクラス。
ラストの絶望感は圧倒的。
しかしそれを映画的に「面白く」撮ってしまう韓国映画の力量にはただただ感服するばかり。
中身は数十人のおじさんがひたすら対話したり電話している社会派作品なのだが(鳴り響く黒電話がまた印象的)、全く退屈させない。

登場人物も多く韓国で起きた実際の事件が基になっているため、最初はこれどういう状況なのかな…となりつつも、日本版オリジナルなのか字幕でこの人はどういう人なのか名前とともに丁寧に説明してくれるのがありがたい。
劇中の登場人物はチョン・ドゥグァンとあるがこれはもちろんチョン・ドゥファンのことで、一応史実とは微妙に名前を変えているが、明らかに元ネタとなる人物が誰なのかは分かる。
そんなチョン・ドゥグァンを演じるのはファン・ジョンミン。それに対し、クーデターを何とか阻止しようと奔走するのがチョン・ウソン演じる首都警備司令官イ・テシン。典型的に二人のルックスだけ見れば、正直チョン・ウソン=正義側が勝って終わるのが常だが、残念ながら史実はクーデター側の勝利で終わり、「ソウルの春」は早々に終了。再び軍事独裁政権が誕生するのであった。

そこらのフィクションが生温く思えるような、隣の国で実際に起きた出来事。
この件に限らず今現在世界中で起きている暴力・虐殺などに言えるが、一度発生してしまった暴力について一人の人間がどう立ち向かえるのかということを考えてしまう。
唯一できることといえば、こうやって作品として後世に残るよう記録することだろうか。

「イ・ビョンホンがあんなに覚悟決めてやった結果がこれかい!」とひたすら虚しくなる。
韓国には光州事件周辺など実際の近現代史をテーマにした作品が多くあるので、時系列に並べてもっと観てみたい。
現実の悲惨な事件を扱ったものなので、もちろん「爆笑!面白い!」というニュアンスではないが、今年観た映画で最も面白かったのは、と聞かれたらこれを挙げたい。



憐れみの3章

監督:ヨルゴス・ランティモス
2024年
164分

選択肢を取り上げられた中、自分の人生を取り戻そうと格闘する男、海難事故から帰還するも別人のようになった妻を恐れる警官、奇跡的な能力を持つ特別な人物を懸命に探す女……という3つの奇想天外な物語からなる、映画の可能性を更に押し広げる、ダークかつスタイリッシュでユーモラスな未だかつてない映像体験。

サーチライトピクチャーズ『憐れみの3章』

『RMFの死』『RMFは飛ぶ』『RMFサンドイッチを食べる』の3章で構成されたヨルゴス・ランティモスのオムニバス作品。
キャストは前作『哀れなるものたち』から多く続投しており、『女王陛下のお気に入り』から始まったエマ・ストーンとのタッグはもう安定。こういうのをよく「○○(女優)は○○(監督)のミューズ」と表現するが、最近はなんだかランティモスがエマのミューズに見えてくる。
同じ俳優に異なる配役を当ててエピソードを撮る、という今作の試み自体が映画を作ることに繋がっている。

『RMFの死』
今作の導入にふさわしい、3章の中では一番分かりやすいエピソードだろう。
何やら狂った金持ちが人の生活を支配しようとしているらしい、という話なのだが、面白いのは支配されている側がそこから脱出するためにもがくわけではなく、その支配にある種依存してもいるという点だ。
この「権力・支配・依存」は今作3章に通じるテーマであり、これまでのヨルゴス・ランティモスの作品にどれも繋がるものだ。
最後急に「いい話」感を出して終わるのが可笑しいし、ジェシー・プレモンスがハンバーガーを持って駐車場で待ち伏せしているショットは忘れ難い。
今回、全編を通してランティモス特有の魚眼レンズのようなカメラワークはないが、相変わらず最高に独特でクールで可笑しくて洒落ている撮影をとりわけ楽しめるのはこのエピソードだった(撮影を手掛けたのは『女王陛下のお気に入り』『哀れなるものたち』に続いてロビー・ライアン)。

『RMFは飛ぶ』
先ほどとは対照的に、3章の中で一番地に足がついていないような、どこかファンタジー感やSF感があるのがこのエピソード。
久しぶりに帰ってきた妻は本物の妻なのか?
苦手と言っていたチョコレートを食べ、今までになかった言動を見せる。
これは夫婦(に限らないが)とはいえ自分が知っている相手は、どこまで本当の相手なのか?「彼/彼女はこんなことしない」「こんなの彼/彼女じゃない」とあなたは言うが、果たしてそれは本当か?相手が今まで隠していただけで、これこそが本当の相手の姿なのでは?という問いかけに思える。
「他者」はどこまでも「他者」なのだという、これまた非常にランティモス的な物語。
それと同時に、全て相手の言う通りに行動してしまう、度を越して相手に尽くすことの虚しさ、恐ろしさとその果てを描く。

『RMFサンドイッチを食べる』
現実でも創作物でも、やはりカルトと怪しい水は切っても切り離せないのか。
劇中で正視し難い暴力を受ける彼女もまた、自分の目的のためなら無神経に、無自覚に自分より弱い者を搾取しようとする構図は痛々しくも生々しい。
あのカルト教団の中にいても、外に出ても、どこに行っても待ち受けるのは地獄なのか。
予告でも印象に残っていたエマ・ストーン演じる女がダンスするシーンはどこでくるのかと思っていたら意外にもラスト、クレジットが出るところだった。ついに見つけた、ずっと探し求めていた人物。思わず踊り出すほどの有頂天も束の間、物語はまるでアメリカン・ニューシネマのような唐突かつ虚しいエンディングを迎える。
そこからクレジットを挟んで本当のエンディング。物語の本筋とあまり関係なかった人がちょっとした笑いを与えるというおまけエンディングは結構古典的。

ヨルゴス・ランティモスは同時代を生きてリアルタイムで新作を追えることが嬉しい監督の一人。
気になる次作はあの『地球を守れ!』のリメイクというから驚き。そして主演は安定のエマ・ストーンと今作で馬が合ったのであろうジェシー・プレモンス。
確か『地球を守れ!』は地球がエイリアンに侵略されていると思い込んだ青年と、彼にエイリアンと間違えられる製薬会社の社長が繰り広げるブラックコメディだったと思うが、これをこの二人が主演で、さらにランティモス風味が加わりどんな作品になるのか今から楽しみで仕方がない。



悪魔と夜ふかし

監督:キャメロン・ケアンズ&コリン・ケアンズ
2023年
93分

1977年、ハロウィンの夜。放送局UBCの深夜のトークバラエティ番組「ナイト・オウルズ」の司会者ジャックは、生放送のオカルトライブショーで人気低迷を打開しようとしていた。霊聴やポルターガイストなど怪しげな超常現象が次々と披露されるなか、この日のメインゲストとして、ルポルタージュ「悪魔との対話」の著者の著者ジューン博士と本のモデルとなった悪魔憑きの少女リリーが登場。視聴率獲得のためには手段を選ばないジャックは、テレビ史上初となる“悪魔の生出演”を実現させようともくろむが、番組がクライマックスを迎えたとき思わぬ惨劇が起こる。

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70年代を再現する映画のルック、そして『ザ・スーサイド・スクワッド 悪党、集結』での好演が記憶に新しいデビッド・ダストマルチャン主演ということで、少し気になっていた作品。
映画の作りとしては、「1977年の放送事故により封印されていたとある生放送番組のマスターテープが発見されたので、今からみなさんにお見せします」という形で始まる言わばファウンド・フッテージものだ。
テレビ番組の内容がそのまま本編で上映されるのだが、CM中、カメラが回っていない間の出演者のやりとりもモノクロで差し込まれるので、完全なフェイク・ドキュメンタリーというわけではない。

司会者ジャックが人気者でありながら、最近は妻を病気で失ったりライバル番組に視聴率で勝てないことから随分追い込まれていることを序盤ではテンポ良く観客に説明してくれる。
このあたりは自分も大好きな『ネットワーク』『キング・オブ・コメディ』的なショービズの闇ものであり、近年だと『ジョーカー』に出てきたトーク番組も印象的だ。

どんと来い超常現象的な、どうせヤラセなんだろうな〜そうだよね〜とスタジオも映画の観客も序盤はたかをくくってにこやかに様子を見ることができる。とはいえ、今作はあまり油断ならないもので、ところどころ細かい部分で「あれ…?」と思うような仕掛けが隠されている。
面白いのは、超常現象に懐疑的な態度をとっているヘイグが「こんなのは集団幻覚です。では今から私が実際にやってみましょう」と言い生放送のスタジオに加えこの映画を観ている観客にすら集団幻覚を見せるという展開だ。今は超常現象完全否定派なのかと思いきや、得意げに劇中屈指の恐ろしいものを見せてくる。

ジャックは悪魔と取引したのか。人気者、スター司会者の地位を手にするための代償とは何だったのか。全てが明かされることはない、不気味な後味も良かった。
映画が始まる前の配給ロゴが多すぎて、完全にFamily Guyのあの動画状態だったのが面白かった(あの動画のコメント欄に英語で「悪魔と夜ふかしを観てこれを思い出した」と言っている人がたくさんいるので、おそらく世界中の人が同じことを思っている)。



ジョーカー フォリ・ア・ドゥ

監督:トッド・フィリップス
2024年
138分

理不尽な世の中で社会への反逆者、民衆の代弁者として祭り上げられたジョーカー。そんな彼の前にリーという謎めいた女性が現れる。ジョーカーの狂気はリーへ、そして群衆へと伝播し、拡散していく。孤独で心優しかった男が悪のカリスマとなって暴走し、世界を巻き込む新たな事件が起こる。

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公開当時、大きく話題を呼んだ『ジョーカー』の続編。
タイトルに入っているフォリ・ア・ドゥ(Folie à deux)とは、フランス語で「二人狂い」という意味。一人の妄想が誰かに感染し、二人または複数人で妄想を共有することがある感応精神病のことを指すという。
終わってみるとなんだかこのタイトルも味わい深い。

まず画面に映し出されるのはジョーカーのアニメーション。
ワーナーなのでルーニー・テューンズ風なのだが、手掛けているのはあのシルヴァン・ショメだ。少しの時間だが、彼の新作アニメを映画館で観られたという喜びは結構大きい。そしてこのアニメの内容がかなり示唆的。
画面に再び現れたアーサー・フレックは相変わらず痩せこけていて、面白くないのに笑いが止まらなくて、妄想の中でだけは幸せで、刑務官から暴行を受けている。
『ボーはおそれている』とは全く違うホアキン・フェニックスの体型にまず驚く。ひたすら追い込まれるという点ではある意味ジョーカーもボーも同じなのだが。改めて彼の演技力を目の当たりにすることができるシリーズだ。

この映画を観る人の9割くらいは「続編でこんなことわざわざ言われなくても分かってるよ!」なのだろうが、実際、ここまで丁寧に長々と二時間半近くかけて一作目の解体をする必要がある社会になってしまった。それはもちろん、日本も例外ではない。2021年のハロウィンの日、一人の男がジョーカーの格好で電車内で無差別に人を襲った。彼は後にジョーカーに扮した理由として「ジョーカーは殺人行為をなんとも思っていないキャラクターに見えた。その感覚を持つためになりきろうと思った」と述べている。
こんな状態の世界で、ジョーカーの二作目を作るとしたらどうするべきか?
その答えがこの作品には込められている。
作り手のある種の真面目さ(真面目過ぎさ?)、誠実さが現れているのだろう。

終盤、アーサーが満を持して一作目のオープニング同様ゴッサム・シティを走るところで「あぁ、彼の物語の輪が閉じようとしているんだな…」と、なんだかじーんときてしまった。もちろん、一番最後の彼の姿勢も一作目のタイトルシーンが重なる。
こんなのが観たかったんじゃない、と批判されるのも分かる気がするが、個人的には決して嫌いじゃない、支持したいと思える作品だった。
何よりこの脚本を読んでGOを出せるDCはすごい会社だ。もちろん、一作目の大ヒットがあるので好きにやってくれという感じなのだろうが、器が大きいというか、度胸がある。マーベルでは無理なんじゃないかな。

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