私、ウイルスにやられました

 と言っても、新型コロナウイルスのことではない。私がやられた相手は、水痘・帯状疱疹ウイルスだ。早い話が、帯状疱疹になったのだ。

 始まりは4月28日の夜だった。いま総合診療医・徳田安春氏とコロナについてZOOMで対談を行い、少しずつYouTubeで公開している。

 その対談はとても有意義で、あっという間に時間がたつ。終わったあともテンションがやや高い状態がしばらく続くほどなのだが、その日はなぜか「ちょっと疲れた」と感じたのだ。「なんだか頭が痛いし寒気もするし、もしかしてカゼかも」と思いながらシャワーに入ると、右わき腹にポツンとひとつ湿疹ができていることにも気づいた。でも、もう60年近く生きていると湿疹のひとつやふたつできていても驚くことはなく、それよりも頭痛や寒気が気になって、こういうときに服用する漢方の麻黄湯を飲んで寝たのだ。

 翌・29日は祝日だったが、午前中から雑誌の取材を受ける予定があった。こういう時期だがオンラインではなく、できれば感染対策を行いつつ会ってインタビューし、写真撮影もしたいと先方は言い、私も承諾していた。朝、起きるととくに熱が出ている感じはない。頭痛は軽くあるが、悪化はしていない。これなら問題なく出かけられるな、と着替えるときに、例のわき腹のあたりを触ると…なんと手に触れる湿疹の数が増えている!よっつ、五つくらいはあるようだ。

 昨夜は鏡で確かめることすらなかったのだが、そのときはさすがにからだをひねって鏡に映した。直径5ミリくらいの赤い丘疹が、たしかに五つほどできている。線状にではなくて、直径5センチほどの円内にごちゃっとある、という感じだ。かゆみはなく、傷でもないのに触るとヒリヒリする。

――あー、これは帯状疱疹だ。

 こう言うと、私は精神科のみならず皮膚科の知識もあると自慢しているようだが、そうではない。私は2ヶ月ほど前、診察室で「先生、なんだか湿疹ができたんですけど」と前胸部に同じような湿疹―その人の場合はもっとたくさんだった―があるのを見せられて、「あれ、これって帯状疱疹ってやつじゃないでしょうかね。いえ、確信はないんですけど。けっこうハデにできてるから、ここで適当にクスリ出すより、皮膚科に行って確かめてもらいましょう」と紹介状を書いた。結局、その人は大きな病院の皮膚科に入院して、抗ウイルス剤の点滴を受けることになった。その経過を退院した本人から聞いて、「帯状疱疹ってコワいねー」といっしょに話したばかりだったのである。だから、すぐにその診断名が浮かんだ、というだけだ(その患者さんには本当に感謝している)。

 帯状疱疹は、子どもの頃にかかった水ぼうそうのウイルスによって起きる。水ぼうそうは治っても、ウイルスはからだから消えず、神経の奥の方、神経節というところに潜んでいるのだそうだ。そして、”宿主”が加齢、体力低下、ストレスで免疫力低下、といった事態になると、もう一度、活動を活発化させ、神経をたどって出てきて皮膚に湿疹を作る。ものの本を見ると「好発年齢は50代から60代にかけて」とあるから、まさに50代から60代になんなんとしている私に、ウイルスが「よっ、ここまでよく生きたな。オレのこと、覚えてる?」とあいさつに来たのかもしれない…。

 などと、のん気なことは言ってられない。同じヘルペスウイルスでも、口のまわりにできる単純ヘルペスなら軟膏だけでほとんど治るが、帯状疱疹は抗ウイルス薬を内服しなければならない、とされている。しかも、湿疹ができてから72時間以内がウイルス増殖の「ゴールデンタイム」なのだそうで、その間に内服を開始するのが望ましい、ともいう。

――どうしよう…。今日は祝日だから病院はあいてない。それに夜まで仕事がある。明日は平日だけど、8時50分から夕方まで大学のオンライン授業がある日で、18時からは「コロナWeb心の相談」のスーパーバイズに入らなければならないし…。

 そんなことを思いながらその日の予定はこなしたが、「帯状疱疹だ」と思った瞬間から、心なしかわき腹や頭の痛みが増してきた感じがする。からだもなんとなくだるい。全身がウイルスの増殖に攻撃されてるというイメージにやらているのか、本当に不調なのかももはやわからなくなっていた。ただ、その夜は、痛みで目が覚め、手持ちの鎮痛剤を飲んだほどのわき腹のピリピリはたしかにある。

 翌日は朝からオンライン授業をなんとかこなしたが、やはりわき腹と頭が痛い。それにしても、なぜわき腹の神経節に潜むウイルスが頭痛を起こすのだろう。そこから脊髄までは遠いけれど、やっぱりそのあたりまでウイルスが遠征し、結果として脳脊髄液圧もちょこっと上がって脳が圧迫されるのでは…などとインチキ推論をしてみるが、だからといってラクになるわけではない。むしろ、脳と脊髄を循環する液の中でウイルスたちがのびのび手足をのばしている図などが頭に浮かび、いよいよ頭痛がひどくなってくるのであった。

 「やっぱりこれはダメだ」と決意し、授業と「心の相談」のあいだのわずかな時間、ネットで調べて近所にある内科クリニックに行くことにした。

 クリニックの待合室には誰も患者さんがおらず、問診票に記載すると2分くらいで名前が呼ばれた。診察室に入り、品のいい白髪のドクターに「一昨日からこれが」とシャツをまくって湿疹を見せると、瞬間的に「帯状疱疹ですね」とのことだった。「もう湿疹は枯れかけてますね。これからクスリを飲んでも効くかどうか…」と言う。増殖のゴールデンタイムは越してしまい、ウイルスをクスリでは抑えきれない、ということだ。しかし、私としてはもうそれしか希望はない。「なんとしても出してください!」と言ってしまった。

 そして、心配なのは「帯状疱疹後神経痛」だ。これは、湿疹などが消えたあとも、ウイルスが暴れた神経の損傷が残り、長年にわたってそのあたりの痛みが遺る、という恐ろしい”置きみやげ”なのである。「神経痛になりますか?」ときくと、ドクターからは予想された答えが返ってきた。「いまの時点ではわかりませんね。」そう、帯状疱疹後神経痛は2割ほどの人で起きるが、それが出るかどうかは、まさに「神のみぞ知る」らしいのだ。

 私は、もうひとつ、質問してもしょうがないとわかりながら、きいてみることにした。「いったいどうして帯状疱疹なんかになったんでしょう?」。それにも「わかりませんね」という答えが返ってくるかと思ったが、意外なことにドクターははっきりとこう言った。「自粛で家にいなければならない、というストレスでしょうね。」

 ストレス…精神科医がストレスで帯状疱疹に…。私は混乱した。しかも、私はこの自粛要請期間も、大学こそオンライン授業になったが、病院での診療、「心の相談」のスーパーバイズには出かけており、むしろ帰宅時間はいつもより遅くなっているほどなのだ。もしかして、その忙しさがストレスになっているということなのか。いや、それはやりがいがあるのであって…。考えれば考えるほど混乱は深まったが、まずはクスリも処方してもらえることになったし、「なぜかかったのか」はそれ以上、考えないことにした。

 処方されたクスリは、帯状疱疹治療薬でいちばん新しい「アメナリーフ」だ。このクスリは、帯状疱疹ウイルスが二本鎖DNAをほどいてどんどん複製を作ろうかというときに、その”ほどき作業”を邪魔する作用を持つのだそうだ。あわれウイルスは「DNAをほどかないと複製を作れないよー」となり、それ以上、勢力を強められなくなる。

 クスリってすごい。というか、そんなことができるなら、新型コロナウイルスにも同じ仕組みで増殖を防ぐクスリだって近いうちにできそう…と、私は希望に胸を膨らませたのだった(単純だ)。

 それから3日。湿疹は増える様子もなく色も褪せてきたし、頭痛も8割がた治った。ピリピリもほとんどの時間は忘れているほどで、夜間に目覚めることもなくなった。神経痛が遺るかどうかは1カ月くらいたたなければわからないが、急性期症状はほとんど消失したと言ってもよいだろう。仕事もひとつも休まずにすんだ。

 ただ、気づいたことはたくさんある。これまで診察室で何度か帯状疱疹を見つけ、「これから皮膚科に行くのは面倒」という人にはこちらで気軽にクスリの処方も行ってきたが、これはただの皮膚の湿疹とは全然違う全身病なのだ。それが今さらながらつくづくわかった。それにしても、子どものときに体内に入り込み、一度は水ぼうそうを起こしておおいに暴れたはずのウイルスがそのままじっとしていて、それから40年も50年もたってから再び、こんな形で活動を再開するだなんて…。ウイルスってやつの辛抱強さというか、執念にはほとほと驚かされる。

 新型コロナウイルスには不顕性感染(感染しても症状がまったく出ないこと)もあるようだが、ひとたび症状が出た人は口をそろえて、「死ぬかと思った」「だるさというかしんどさというか、口では言い表せない」などと言う。それは単に「咳のつらさ」や「息苦しさのつらさ」ではなくて、まさにウイルスに全身が侵略されて征服されたことによるつらさなのであろう。今回、ごく軽症の帯状疱疹を経験したことで、私はそのつらさの一端を身をもって知ることになった。そういう意味では、まだ神経痛が出ていないからこんなことを言えるだけかもしれないが、「かかってよかった」などとも思うのである。

 長崎大学熱帯医学研究所教授の山本太郎氏の名著『感染症と文明』(岩波新書)には、「感染症のない社会を作ろうとする努力は、努力すればするほど、破滅的な悲劇の幕開けを準備することになるのかもしれない」として、「ウイルスと宿主の安定した関係」を「共生」と呼んでその必要性を提唱している。山本氏の今回の新型コロナウイルス感染症に対する考えは、以下のサイトでぜひ読んでほしい。

 もちろん、これは大きなビジョンであり、いまはその「共生」より、まず感染して発症した患者さんたちの命をどう救うか、これ以上の感染拡大をどう防ぐかということを私たちは考えなければいけないのは当然だ。しかしいつかは、「社会機能を維持しながらこのウイルスとの"心地よいとはいえない共生関係”」というゴールを目指していくしかないのかもしれない。

 ただ、繰り返すが、私自身は、とくにPCR検査さえ十分に行われておらず感染の広がりの様子さえわかっていない中で、「新型コロナウイルスと共生しよう。自粛を解除して経済活動を始めよう」などと言い出すのは、時期尚早にもほどがある、と思う(もちろん山本教授もそんなことは言っていない)。いや、このまま検査数を抑制し続けていれば、いつになっても「共生」のビジョンを描ける日はやって来ない。そのためにもまずはPCR検査、そしてその後は抗体検査を、と主張して地元の沖縄でそれを実践する医師・徳田安春氏といま連続対談を動画で公開している。冒頭でも書いたが、関心がある方はぜひチャンネル登録して見てほしい。

 私自身の話に戻ろう。今回、新薬アメナリーフで帯状疱疹ウイルスの増殖は抑えられても、ウイルスは完全に消え去るわけではない。また元いた神経節に戻って、宿主である私といっしょにすごして行くのだろう。まさに私の命が尽きるその日まで、帯状疱疹ウイルスとの同行二人。あまりロマンティックではないが仕方ないな。今回のパーティが終わったら、どうぞあとはおとなしくしててくださいね。

(とはいえ、私のような軽症であっても帯状疱疹はかなりしんどい病気で、ならない方がいいのはたしかです。いまはワクチンもあるようですから、もしよかったら下記の情報をどうぞ。「高齢者に勧められる」という文字列は見なかったことにしてください。)