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イルサ、ヴェスパー、ことの終わり。PART ONE

目次
◆はじめに
◆ローグネーション
・イーサン・ハントの運動
・最初の出会い
・二回目の出会い
・靴を脱ぐということ
・三回目の出会い
・四回目の出会い
・五回目の出会い
・六回目の出会い
・別れ
◆フォールアウト
◆デッドレコニング
◆カジノロワイヤル
◆つづく
◆ことのおわりに

◆はじめに

往年のボンドやイーサン・ハントは組織に所属し、与えられたミッションを完遂する為に生きており、命令を無視した単独行動や、セックスや器物破損といった彼等の「自由」な振る舞いはあくまで組織によるケツモチの範疇で行われていた。しかし時代の移ろいがこの二大スパイヒーローシリーズにおける組織と個人の向き合い方を変えた。スパイとは支配され、虐げられ、裏切られて、使い捨てに遭う弱者の象徴になった。結果、ヒロインのロールもトロフィーやチームの紅一点といったクリシェから変容した。

ショーンがその遺伝子を全てのボンドに刻印した
オールドスクールのアイコンである事は変わらない。

MIのローグネーション〜デッドレコニングのイルサ・ファウストと007カジノロワイヤルのヴェスパー・リンドは、近年のスパイ映画におけるヒロインとは、という問いに対する完璧な答えに見える。どちらの作品も強大な力に支配された日陰者の男女が自由を得ようとする悲恋を骨子とした活劇だがイーサンとボンド、イルサとヴェスパー、それぞれの行動規範が二つの作品における運動の差異を生み出している。先ずはローグネーション〜デッドレコニング、そしてカジノロワイヤルの順番でディティールをおさらいしていく。※フォールアウト〜デッドレコニングにおけるイルサはホンの中核に据えられていないので重要なポイントのみに触れる。

◆ローグネーション
・イーサンハントの運動
飛行機に飛び移り、離陸の風圧に抗い、吹き飛ばされそうになりながらしがみつき、回転しながら機内に叩き込まれる。巨大な貨物に我が身を括り付け、パラシュートを開き空中目掛けて後ろ向きに吹っ飛んでいく。ガラス張りのボックスに閉じ込められ、充満する催眠ガスに抗いながら暴れ、崩れ落ちる。イーサン・ハントとは物理に抗って運動する人間であり、そこにMIの活劇の背骨がある。

デパルマ版のクリシェのようなタイトルデザイン
IMFチーム皆殺し解体から始まるデパルマ版

・二人の出会い
両手を縛られたイーサンの前にイルサが現れる。

徐に靴を脱ぐイルサ

イーサンに鍵を投げシンジケートの屈強な男たちを解き放った長い脚で叩きのめしていくイルサ。受け取った鍵が使えないイーサンは逆さまになり括り付けられた鉄パイプを根性で逆さまに昇って抜け出し、イルサに加勢する。イルサの導きで逃走するイーサン、だがその背後で自ら鉄格子の扉を閉めて「私は残る」と告げるイルサ(連想される懺悔室のクリシェ。神父を鉄扉で閉じ込めたグラントリノのイーストウッド、クローゼットの映写室に母親を閉じ込めたフェイブルマンズのスピルバーグ)。背後から迫る追っ手の声がする。イルサを見つめ、後ろ髪を引かれながら銃撃を受けて走り出すイーサン。

自分の事は自分で守れる女、イルサ。
シンプルに裏山椎茸

・二度目の出会い
「知りすぎていた男」のティンパニとシンバルへのオマージュである狙撃シーン。ベンジーとシンジケートの男、イーサンとシンジケートの男、イルサの三つのポジションと舞台上がスコア上のワンノート目掛けて同時に進行するサスペンス。閉鎖されていく劇場、イーサンの導きで逃走するイルサ。屋根の上を滑り降りる前に靴を差し出すイルサ。

「脱がせて」靴を脱がせるイーサン。

素足になったイルサは勢い余って落ちそうになるイーサンを助ける。そしてイーサンはイルサを抱き抱え、ロープを伝って地上に降りる。カーチェイス、イルサは自ら車から転げ落ちてイーサンから去る。
「私の見つけ方は知っているわね?」

・靴を脱ぐということ
旧約聖書によれば、靴は地位と権利を象徴し、靴を脱ぐという行為は地位と権利の放棄を意味する。イスラエルの指導者モーセは、神の前に進み出たとき、靴を脱ぎ、裸足になる。「神は仰せられた。『ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は聖なる地である」(旧約聖書出エジプト記3章5節)。また、モーセの後継者ヨシュアも、同様なときに靴を脱ぎ、裸足になった(旧約聖書ヨシュア記5章15節)。彼らはこのときに神託を受け、真に国民の指導者となった。ユダヤ人の「コーヘン」(祭司の家系)と呼ばれる人は、ユダヤ教会堂(シナゴーグ)で、人々を祝福するとき、靴を脱ぐ。ちなみに、日本の天皇は、即位後に「大嘗祭」(即位後初めての新嘗祭)というものを行なう。そのとき、天皇は白い衣に着替え、「裸足」になって神(天照大神)の前に進み出る。「靴を履いてはいけない」、天皇はそこで神託を受け、真に「天皇」となり、国民の指導者となる。

・三度目の出会い
カサブランカ。プールから上がるイルサにタオルを手渡すイーサン。データを盗み出すべく巨大なプールに飛び落ちるイーサン。回転する巨大なアームに翻弄されながら強烈な水流に抗い壁面にしがみつくイーサン。酸素を失い気絶したイーサンを抱き抱え、水流に身を任せながら鮮やかに脱出するイルサ。心配そうに介抱するイルサは勿論、素足である。が、服を着るとベンジーを気絶させてデータを奪い、朦朧とするイーサンから去るイルサ。

・四度目の出会い
ライダースーツを纏い、ヘルメットを被ったイルサはバイクに跨ると猛然と回転しながらシンジケートの男たちを蹴散らし逃走する。複数のバイクとカーチェイス。細い路地をバックギアで爆走、ジャンプ、回転、クラッシュ。逆さまになったイーサンとベンジー。通り過ぎるイルサとシンジケートの男たちのバイク。イーサンもバイクを駆りイルサを追う。チェイスの果て、コーナーを抜けると突如立ち塞がるイルサ。急ブレーキ、回転、クラッシュするイーサン。朦朧とするイーサンを見つめながら俯き、メットのフェイスカバーを下げ、後ろ髪を引かれながら去るイルサ。

かわいい

・五度目の出会い
駅の雑踏を歩くイルサ、そしてその先で待ち受けるイーサン。カフェのテーブルにつく二人の周りをベンジー、ルーサー、ウィリアムが離れた所から取り囲む。二人で逃げようと誘うイルサ。攫われるベンジー、追うイーサン、雑踏に消えるイルサ。

このシーンは凝ってますね、大変そう。
はい、わかりました。
はい、わかりました。

・六度目の出会い
爆弾を巻きつけられたベンジーとテーブルに着くイルサの元へ現れるイーサン。レーンとの交渉の末ベンジーを逃すことに成功したイーサンとイルサは阿吽の呼吸で追っ手を倒し逃亡する。イルサに背を二回叩かれ、振り向き様に敵を撃つイーサン。背中を預けるというのはこういう事である。並走するイーサンとイルサの美しいランニングフォーム、言葉を交わさずとも見事な連携でお互いを守り合いながら次々に追っ手を倒していく二人。「お前の根性を試してやる」宿敵ボーンドクターを長い脚に絡め取りナイフでとどめを刺すイルサ。レーンをクリアボックスに閉じ込めガスで昏倒させるイーサン。(冒頭のレコード店のクリシェ)

シンプルに裏山椎茸

・別れ
「これで君は自由だ」
イーサンを抱きしめるイルサ
「私の見つけ方は知ってるわね?」
去っていくイルサ。


・イルサ・ファウストの靴が表明するもの


ここまで追ってきた通り、ローグネーションとはイーサンがイルサを探し出すと、イルサはイーサンのもとから立ち去るというエピソードの繰り返しで出来ている。

その全ての繰り返しにおいて、イルサはイーサンと互角の能力をもってシンジケートと、MI6と、時にはイーサンと、「自らが信じる正しさ」のために孤独に戦い続ける。同時に、イーサンの目の前で靴を脱ぐというアクションの繰り返しにより、イルサが「自らが信じる正しさ」のために孤独に戦い続ける、自分と同じ行動原理を持つイーサン・ハントに(つまり自分自身の行動原理に)対して信仰を抱いたことが示される。逆に言えば、鏡映しのようなイーサンとの出会いにより、自分自身の行動原理、生き方への信仰を得たイルサは、靴を脱ぐことで自らを縛る地位、立場の放棄を表明したのだ。そして、ソロモン・レーンを捕まえることで全てを手放すことに成功したイルサがイーサンの元を立ち去り、IMFが束の間のバランスを取り戻したことを示唆して映画は終わる。ローグネーションは終わり方の演出で紛糾して追撮を行い、このエンディングに辿り着いたという記事を読んだ。これは想像でしかないけれど、恐らく、そもそもマッカリ―が狙っていたエンディングは最初の出会い~別れと立ち位置が逆になる、立ち去るイルサ、見送るイーサンというクリシェだったのではないだろうか。

フォールアウト
フォールアウトには二つの重要なシーンがある。

一つ目はイルサと引き換えにプルトニウムコアを引き渡すことを了承した後にウィドウからマーキングのようなキスを受け、それを見ていたイルサと再会するシーン。(ちなみにこのシーンのロケーション、恐らく「ボイジャー」におけるベンチに座ったサムシェパードの目をジュリー・デルピーが背後から隠すシーンと同じ場所だと思うんですよね)

ふーん、美味そうやん。
多分、ホワイト・ウィドウとイルサとイーサンの薄い本がある。
「私だってチューしたときないのに!」

ミッションの為に死ぬ寸前までお互いを追い込んでも(例え車で跳ね飛ばしても)、二人の間には絶対的な信頼と複雑な感情がある、それをイルサとイーサンが完全に理解している事を示すシークエンス。

二つ目はルーサーがイルサにイーサンの過去を話すシークエンス。イーサンが「守りきれない恐怖」に耐えきれず別れた妻がいる、という話をしたルーサーはイルサに「イーサンは君を君が思う以上に大切に考え、守ろうと気にかけている。君が彼のことを想うのであれば、身を引くんだ」と告げる。そこに現れ、訝しがるイーサンにイルサは「私も一緒に行く」と共に死地へ赴く宣言をする。イーサンは何かを噛み締めるようにうなづき「わかっている」と答える。イルサの顔に溢れる笑み、喜び。これはイルサが自分をイーサンの最も近くにいることが可能な唯一の女であると確信した瞬間だ。そう、イルサはこの世においてただ一人、イーサン・ハントの背中を守り、同じレベルで共闘し得る女であり、鏡映しの分身なのだ。イーサンは無謀なミッションにおいて自分を、大切な仲間を、自分と同じ様に守ってくれる美しいファムファタールに初めて出逢ったのだ。昭和な機械音痴で根性一発危機一髪のイーサンの頭脳を遠くからバックアップするのはベンジーとルーサーだが、イーサンの心と身体を最も近くで護るのはイルサなのだ。

「断らないで、お願い」
お前は帝国の逆襲のハン・ソロか
かわいい

フォールアウトのラストカットは慈しむように見つめながら「いつもこうなの?」と問うイルサに「笑わせないでくれ」と微笑むイーサンである。

かわいい

デッドレコニング

ヴェニス、ボートの上の再開、なんとも言えない微笑を湛えたその顔、突然気合が入りまくっている見事な夕暮れの光を捉えた屋上のショットで交わされる、複雑な親密さを示す束の間の抱擁、夜のゴンドラに腰掛け、そっと手を握りあう二人、全てを分かり合い、強固な信頼を背に共闘するがそれを決して愛とは呼び合わない二人、橋の上の死闘、間に合わないトム、ことの、終わり。デッドレコニングはまだ上映中であり、partⅡが控えているので明確には書かないけれど、イーサンの運動が過去最高の牽引力で映画を暴走させる、まるでバスター・キートンのような超活劇映画になっていて、そこに不足する切なさやエモの全てをイルサで解決、補填しているように見えた。つうか俺は認めないですよ、まだ認めてませんよ。ダメです、許しません。史上最高のヒロインであるイルサ・ファウストは「私の見つけ方は知っているわね?」と言ってイーサンの元を自ら立ち去らないとダメです。それ以外却下します。

◆カジノロワイヤル
◆つづく
すみません、イルサだけでもう結構な量になってしまったのと、マジで力尽きたので、ヴェスパーについては「イルサ、ヴェスパー、ことのおわり PART TWO」で書くことにします。

ことのおわりに
オットー・プレミンジャーの『帰らざる河』という1954年の映画がある。
ロバート・ミッチャムがマリリン・モンローのいる小屋に入っていくまでのワンショットが本当に素晴らしい。それはさておき、この映画のラストショットはしがらみから解き放たれ、古い生活を捨てて立ち去るモンローが馬車の上から投げ捨てた靴である。
前述の素晴らしい冒頭、ミッチャムが小屋に入るとモンローが気怠く謳っている。

「帰らざる河」
耳をすませば、その呼び声が聞こえてくる
帰らざる河と呼ばれる河がある
時に平和で、時に荒々しく自由に
愛は帰らざる河の旅人
激しく翻弄され、永遠に流されていく

河の呼び声が聞こえる 
荒れ狂う水の降るところ
愛しい人の "私のところにきて"という声が聞こえる
河で愛を失った僕の心は永遠に憧れ続ける
帰らざる河を永遠に流れてゆく
彼女は決して戻ってこない
決して


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