更新忘れ〜続・好きなモノの話①〜

誰が見てるか
誰か見るのか
わかりませんが

西村 泰平(にしむら たいへい)です。
毎週日曜日更新と謳っておいて更新忘れてました。
失敬。

てことで前回の続き
好きなモノの話① 今日は人の話です。
千葉県の拓大紅陵が好きなのと同時に
その拓大紅陵高校を1982年から2014年まで率いていた名将小枝 守監督が好きなのですが小枝監督の経歴を。

東京・日大三高で選手、コーチとして甲子園に行き、監督としても17年ぶりの甲子園に導いたにも関わらず名門がゆえの事情により志半ばで日大三高を去ることになった小枝監督は東京で監督はやらないとして次に選んだのが開校間もない千葉の拓大紅陵でした。
1983年秋の千葉県を制し、関東大会でもベスト4まで進み赴任3年で春の選抜出場を物にした拓大紅陵は準々決勝でPL学園に0-6で負けたものの初出場でベスト8、勢いそのまま夏の千葉も制した拓大紅陵は千葉の新勢力として一気に名を轟かせた。

86年のチームでは秋春と千葉県のみならず関東負けなしで春夏甲子園に出場。
『東の拓大紅陵、西のPL学園』と紙面を賑わせたが、甲子園での成績は奮わなかった。

その後、88年夏に出場したチームも最強世代と言われたが奮わず。
そして4年ぶりに出場した92年夏はスタイルの違う4人の投手を使い分け見事決勝に進出したが福岡・西日本短大付属に0-1で敗れ準優勝。
当時、エースが1人で投げ抜くことが当たり前とされていた時代に4人の投手を使い分け、4人が勝ち投手になったのは史上初の快挙だった。

その後、春夏計3回甲子園に出場し
2014年に32年間率いた拓大紅陵の監督を退任。
16年には高校日本代表監督に就任。
16年アジアチャンピオン、監督生活の総決算として挑んだ翌17年の世界大会では3位に導くなど益々のご活躍が期待されていたが、19年1月に肝細胞癌のため逝去。享年67歳。

この年の8月に行われた高校日本代表の壮行試合。
僕も観に行きましたが、試合前に小枝監督の追悼セレモニーが行われ、高校代表の応援を拓大紅陵(習志野高校)が務めるなど感動的な1日でした。

小枝監督が常におっしゃていた言葉で、小枝監督の著書にも書いてある
『人に生まれ、人と生き、人に生かされ、人を生かす』
これは人生の順番。


今は人と生き、人に生かされている段階
いや、この世界に踏み入れたという意味では
人に生まれた段階かもしれない。
同期という一生に一度の仲間と過ごして
いろいろな人に揉まれながら生きていきたい。
そして人間的成長をしていきたい。


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