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二面性 #セク変2

ドガドガプラスさんの#セク変2 事前にあったとおり、確かにカオスでした。もちろんそのカオスか感じを楽しむという面もありつつ、じゃあなんでimg代表谷口さんは自分に感想を書いて欲しいと思ったのか。そこについて書きたいと思います。

舞台慣れした人への試練のような空間

まず驚くのが、歌舞伎のようなかけ声を出したり、ステージ上でお芝居中なのに客席に役者が降りてくるし、普段は後から入ってきた人が気になるような人からすると、隅っこでコソコソと動く役者陣をどう思うかっていうところ。個人的に、普段の小劇場でやられたらちょっと気になるけどそんなこと気にしてられないくらい縦横無尽に駆け巡る。ポケットのような長い階段を使った作品は何度か見かけましたが、比にならないくらいです。多分今回初めてで、前説を聞かずにギリギリで入ってきた人はパニックになるのではなかろうか。
もちろん、その人を咎めることもこういう演出をするドガドガプラスさんもどちらも間違っちゃいないのです。その異世界感を楽しめるかどうかで満足度は変わりそうではあります。個人的にも、この演出についての理解がなく、むしろチケット欲しさに騙すような宣伝をされてたら怒る人もいたかもしれないです。だからこそ、訳分からない、カオスと言った声が飛んだのかな?

チープさを否定してはいけない

前述の通り、お客さんとの距離の近い浅草らしい演劇であるため、ある種の魅力としてのチープさがそこかしこに出ている。ギャグシーンと100%分かる小道具、急に始まる謎の小芝居、ふと我に返ると「何を見させられてるんだろう」と思ってしまう滑稽なやり取り。これらの魅力がチープさであって、ここに高級感は求めなくて良いのかなと思います。変にオシャレな感じを出したり、逆に「心に刺さるメッセージをお受け取りください」なんて恐縮してしまったら、多分ドガドガプラスさんの公演の雰囲気が損なわれてしまうように思います。だからこそ、チープな感じを出すお芝居という難度の高いことをしているのが普段のストレートプレイで心を掴んでいる役者の方々なのでしょう。
例えば、情縞牧師はチープなんだけど印象深い人の典型。カルト宗教の教祖のような振る舞い、信用ならない感じ。その取り巻きも洗脳されてるような感じ。そのチープな感じが、後々のちょい正論で少し活きてきてる気がします。(こうやって人は宗教にハマるのでしょう)

また、今作の少女3人も決してオシャレで順風満帆なタイプではない。田舎者のアザミ、落ち目のスミレ、違法スレスレリフレのミツバ。この3人のような境遇のある種のリアルを演出するなら、シンデレラのような非現実なゴージャスな感じは要らなくて、アングラな感じを出す方がよっぽど世界に入り込める気がします。

おそらくその辺の世界の作り方はかなり意識していると思います。TVでコント観ながら「そんなことあるわけないだろ」と言いたくなるツボを抑えていく感じがします。
後述しますが、チープな感じが決して悪とは思いません。世界観がしっかりしていれば、アングラ感は出て然るべきですので。


二面性

今作は、これに尽きるのです。
これを語るには、AVがあくまでもファンタジーである。という前提を理解しているかどうかです。AVのプレイって、大半が「本当はそんなことしちゃダメだよ」という世界のお話が大半なのです。その境目が分からなくなった虎美須とアザミがいるわけですから。
で、その根底を踏まえて観ると、ある演出で一気に理解が深まるのです。それは、前述の虎美須とアザミが体を重ねたシーン。ずっと楽しく過ごしていたトレジャーヒルの人達が急に真面目な表情というか冷ややかな目をし始める。後からキャストが「疲れててもスイッチが入ったら~」みたいなことを発していますが、そこをちょっと人間の深層心理に訴えるような感じで表していたのがこのシーン。多分その辺を考えて観てなかったら、コメディリリーフが急に真面目になった、ご都合主義の演出に見えたかもれない。しかもトレジャーヒルの説明で「どんな性癖でも」と謳っている。ここの整合性が取れないのは個人的には嫌いです。でも、今作のコンセプトであるAVになぞらえると、その評価は一気に変わります。AVはファンタジーである。その大前提を破ることは、当事者は望んでいません。中〇しやレ〇プ、近親相〇等、AVの趣向としては割とメジャーなものも、現実でやったら犯罪である。その線引きはアンバーも語っていました。逆に、AV女優は華やかで普段からエロいという固定概念を持っていたアザミは、そこの区別がついていなかった。という伏線になっていましたね。
この二面性についての理解の有無は、作品の満足度に繋がるような気がします。特に、自分のように整合性を求める人には。

カオスたる所以

なぜカオスなのか。おそらく物語の大半がコミックリリーフ的な存在だからでしょう。よく分からないよという方は、5分だけWikipediaで調べてみてください。簡単に言えば、スリーアーミゴス(踊る)、ピラフ一味、ドロンジョ一味とかの大集合な感じなんです。サウスパーク的な部分もあるかな?だから、彼らは話の大筋とかを丁寧に語らずに、とにかく面白い世界、笑顔の世界に転換するのでしょう。もちろん前述の通り、トレジャーヒルの二面性や一等教会の正論など、果たして表面に見えている笑顔が本物かな?というちょっとした疑念が浮かぶ人も居るかもしれませんね。


言うなれば、謎肉てんこ盛りのカップヌードル

この喩えが正しいかは置いておき、完全に自分の感覚でピンと来た今作の表現です。
まず、前提として食べ物の目的は「美味しく食べ終わる」です。今作も、少女3人が目的に向かう姿がやんわりではあるものの見える。ゴールがちゃんとあるのです。そして、オシャレラーメンのように高級感溢れるトッピングなんていらないのです。ジャンクでチープ。それでも愛されるような作品。その役者(トッピング)はまさに謎肉。なんかよく分からないけど美味しいのがてんこ盛り。もちろん、その物語の中でもちゃんと「美味しい」瞬間や「この味が好きだ」という瞬間が出てくる。それらを存分に味わって「また食べたいな」となる訳です。もちろんカップヌードルにはこだわりがあります。そのこだわりを味わってもヨシ!味わわなくても「美味しければヨシ!」でも良いわけなのです。
多分、同じカオス系のものでもおもちゃ箱をひっくり返した感じのものだと、ごちゃごちゃしてる姿が面白いだけで引っかかりがなかったり、ゴールが見えなかったりするわけです。その違いがわかった上での「カオス」と言えるかどうかで楽しみ方は変わるかなと思いました。

深い理解があってもなくても

いつもみている界隈とは客層が全然違い、AVだのリフレだのトー横キッズだのについて深い理解があるかというとそうではなさそうな年齢の方も多かったですが、逆にそういう方でも楽しめるエンタメでありつつ、しっかりと根底にあるコンセプトに基づいている作品・劇団であると感じました。どちらかに寄っていることは多いですが、その二面性を上手く使えてる部分に演出の妙を感じました。悲しいかな、題材と表面だけで見るとどうしても好みは別れそうというのと、その題材に詳しい人がどこまでいるかという部分もありました。色んな人が観て、どう昇華されるかも気になります。

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