私たちは匠になれますか #あす卒 感想
まず最初に断っておくと、この感想を書くにいたり、img様含め誰からも金銭の授受は一切しておりません。そもそも一端の会社員ですので、そんなことをしたら確定申告というイベントが発生します。
というわけで、今更ながらimg「明日の卒業生たち」の感想なるものを書きます。なんで今なのか。思いつきで書き上げた感想noteに主宰が乗ってきたからです。多分売上貢献は出来ませんが、それでもよければ。
さて、まず早速ですが、皆様は自分が死んでしまって悲しんでくれる人はいますか?この明日の卒業生たち、匠という中心人物は、あまりにも周りに愛されています。恋人、生徒、弟、、、恐らく嫉妬に溢れた男性諸君、女性諸君は多かったでしょう。私も何度も、笑生そこ代われと思ったことか。
なぜ匠は愛されている。それが伝わるのかは、やはり演じる丸山正吾さんの演技による影響の大きさは外せないでしょう。
30なんぼの設定ではあるものの、とにかく歳下目線では人生経験が豊富で、人を導くボキャブラリーや空気感が抜群。子供に話しかけるように優しく、でも子供扱いしない空気感。恐らく高校生の幸子だけでなく、社会人になった人もその優しくも芯の通った言葉に魅了されたことでしょう。そのキーマンの演技が、他のそれぞれの相手への共感を呼び起こしていたのではないだろうか。という印象。
恐らく、各役者様のファンの方々も、いつもと違う姿に感じたという人が多いのではないでしょうか。私自身、今出舞の伸び代というか、今出舞がこれから目指すべき姿や役者としての姿が見えた、そんな気持ちでした。それはもちろん、光姫としての苦しみ、匠への想いが溢れ出た部分を存分に出した今出によるものでもあり、一番辛いはずなのに、一緒に匠を偲んでくれた笑生役の高橋明日香さん(パイセン)によるものだろうと思います。笑生さんの、甘えるときは甘える、いざというときの心の深さ、安心感の二面性は本当に芯が強い。その姿がドンと現れているのも、この3人の関係の深さを表しているように思います。
さて、皆様はそんな匠になれますか?もちろん、目指す姿ではあるはずですが、もしも若くして命を落とした時に同じように色んな人の感情を揺さぶるように生きてたかな?と、どこか不安になることがあるでしょう。もちろん、今ここを読んでいる方々は死んだことはないでしょう。ですが、私は以前1度だけ、流行病で命を落としかけましたのでちょっとだけその不安に対する姿勢や心持ちは分かるつもりです。
私なりの結論、あなたも「誰かにとっての匠」になれるはずです。命はそんな軽いもんじゃない。ただ、その「誰か」を増やせるよう生きていく。誰かの心に大きな影響を与えられるように生きていく。という心を持つべきだな。
と、素直に思えたらあなたも匠に心を揺さぶられてるのですよ。
さて、丸山正吾さんから金でも貰ったかのようにゴリ推ししてましたが、作品としてのあす卒の感想をば。
あす卒の根底にあるものは、「素直な気持ちゆえの後悔」なのかなと思います。とにかく人物同士の関係性が風通し良く、思ったことをストレートにぶつけてるシーンが多い。言葉の裏を考えようとかそんなことはなく、素直に言葉をぶつけて、素直に受け取って、言った側が後悔する。恐らく生きてきて誰もが経験したことがあることでしょう。
もちろん人間なので、素直な気持ちを出したくないけど出してしまった人(幸子、亜希子)、素直の権化のような人(いろは、ましろ)、ストレートに受け取ってしまった人(紗雪、里美)、ストレートに受け取りきれない人間らしさを見せた人(華)。様々見せることで、きっと誰かに共感出来るんじゃないかなと思います。そして、誰かの言葉がきっと刺さると思います。
自分は、当時の精神的な揺らぎもあって、「あんたの理想を押し付けないで」という幸子のセリフ。これがすごく刺さった。きっと幸子が感じていた言葉の意味とは違うけども、自分にもどこか覚えがあり、自分が言われてしまったような気分になりました。これは教訓だぞ、男子諸君(ん?)
そして言わなきゃ良かったという後悔。これは簡単には解消できない。だから、今回の4年ごとの時間経過による演出で「実はよくよく考えたら大した事ないんだよ」という、ホッとする気持ち。もちろん分かってはいるんだけども、冷静に時が解決するってなかなか思えないですから。もし、過去にちょっとストレートに言いすぎて険悪なままの人がいたら、案外気にするほどのことではないかもしれませんよ。幸子と紗雪の関係がまさにそれ。おそらく同じ時間軸だったら「え?」と思うけれども、高校生〜社会人、ましてや結婚する年齢になるまでの16年の時間経過はちょっとした気まずさなんて大したことなかったと言いきるには十分な時間経過だったのかもしれません。
これは副次的な要素なのか、それとも脚本家八重島ツカサ氏の策略なのか。それを考えることも舞台の面白いところなのでしょう。
(にしても、八重島氏は私のことを予想されていたのだろうか。。。)
個人的には、八重島脚本の面白いところで取っ付きやすい部分は物語に散りばめられているキーワード達。今作は4という数字、パピコ、神経衰弱、などなど。これはキャッチーで好きな部分。ですが、それはあくまでもとっかかりなのかなと。もちろん面白さを増幅させますけども、やはり真骨頂は各登場人物の芯になる部分かと。とにかくモブ以外の全人物への思い入れが強い。多分、人間ですら一人一人のこと考えられる人いないですから、架空の人物でもパートナーや我が子のように理解を深めていることはimgのひとつの強みなのかなと。主催の谷口氏のトークでも、どの人物の話題を出してもペラペラと話題が出てきます。一人一人を本当に良い意味でフラットに見て、大切に扱っていないとできないことだと思います。
逆に、その人物設定をしっかり読み込んで稽古に臨める人でないとこの舞台には立てないのでしょう。逆に、設定を後出しジャンケンするようだと、それはそれで良い作品は作れないですから、やっぱり演劇って難しいなと素人ながらに思います。
さて、2ヶ月ほど前の記憶をなんとか思い出して書き綴っておりますが、最後に実際に4回ほど足を運び、3面全ての方向から観劇した素直な感想を書きたいと思います。
まず、とにかく距離が近い。普段観劇をしている私でも、推しやそうでない人と目が合うとちょっとドキッとするというか、気まずさが出てきますので、もしかしたら小劇場で観劇したりせず、推しに認知されるとかの文化のない方は目のやり場に困ったのではないでしょうか。特にサイドシートはやばい(語彙力)。私は小田えりなさんが目の前で、妙にドキドキしました。
そして当然ながら、見え方も違う。自分が見えていなかった人の表情、学校の時計台(だったかな)に登ったときの第三者視点と主観のような視点。こういうnoteを書くならもう少しちゃんと言語化できるようにすべきだったなあと反省。
半分素演劇のようなセットでの作品は、まあ見る人によって評価は分かれるでしょう。セットなんてお金をかければいくらでも良いものできますが、如何せんそれはお客の都合ではあるわけで。むしろ、それを綿密な場面転換でストレスフリーに仕上げることも劇団の力ではあるのかなと思います。今作は特に、場面の切り替わりがリアルタイムに行われており、しっかりと練られた構成であることがわかります。セットの有無はどうしても都合出てきてしまいますが、そこで手を抜くかどうかはまた別問題ですよね。これで暗転⇨場面転換ばかりだとたぶん作品そのものが間伸びしちゃうのかなと。
反面、しっかりと「今は2011年、今は2023年」みたいに場面把握できる人はよいけれども、それが苦手な人が1回だけ観劇したら「なんだかいつの時代かわからなくなった」という感想だけが残ってしまうのかな?という印象。これはどの作品でもそうですが、、、(村上春樹や東野圭吾が読みきれずライトノベルじゃないとという人もいるわけですよ)
ということで、2ヶ月遅れの#あす卒 の感想を書き綴らせていただきました。
さて今回の感想タイトル「あなたは匠になれますか」について、もう1点だけ。舞台というのはどうしても寿命が短いものです。もう少し伸ばせば、応援している役者さんも1年後には引退する可能性があるシビアな世界です。そんな儚い命にすこしでも寄り添える存在になるのが、観客である我々なのだとも思います。決してone of themの存在ではないはずです。なまじ距離が近い分、むしろフッといなくなったときの虚無感は、ある意味匠がいなくなるのと同じなのです。一人一人が重荷を背負う必要はないですが、ふと考えたときに「自分なんていなくても」とは思わずに、会いに行ってみてください。しばらく行ってなくて気まずいなって思ってたり、ちょっと言いにくいこと言ってしまったと思っても案外時間が解決してくれているかもしれませんよ。