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大筋以外も奇妙な世界 #ストレンジラブ

最後の乗客で主演された冨家ノリマサさんが立つ舞台というのど、ご縁があり浅田光さんにもご紹介頂きました。

あらすじ

軽度の知的降がいを持つ心優しき初老の男は本当に誘拐組なのか
事件から14年目に突如として現れた不思議な少女との出会いに心が掻き乱され、、、

非常に色々な考え方、捉え方ができそうな物語でした。もちろん、役者さんそれぞれの演技やストーリーも魅力的。ただ、この作品を120%楽しむには能動的なアプローチが必要かもな。といくつかの引っかかりに思いました。

透き通るような演技

まずはお芝居の面。個人的には皆様凄く透き通った演技。セリフに対して「よし、飲み込むぞ」みたいに身構えることがよくあるのですが、凄く自然にセリフが入ってきます。度数が高いのにスーッと飲めるタイプのお酒とか、(付け焼き刃の知識ですが)ドラムのモーラー奏法のようなイメージ。変に主張せず、でもしっかり届く。
そのあたりを強く感じたのは、真弓役の浅田光さんの演技。真弓は決して「悲劇のヒロイン」のような自己主張はしません。むしろ、瑞樹の家の中にしかいないのだから、アピールする相手もいないのです。しかし、それでも観ているお客さんには届けなければならない。世界観的にも、変に声を上げられず。でも優しいとは違う、静かに、でも胸にスーッと入ってくる綺麗なお芝居という印象でした。

また、もう1人のヒロイン的な存在レナ役の高岡薫さん。この方は掴み所のない、悪なのか正義なのかも分からない。純粋なのか計算なのかも分からないノイズ感。ここに、感情移入しきれない不気味さがあり、この物語における「捉え方の多様性」があるように思いました。
結論、彼女は彼女なりの正義感を根拠に行動している。瑞樹を慕ってはいるのだろうが、「復讐」という行動原理から瑞樹を利用している。という構図を敢えて作り出して観ている側を引き込む。そんな印象でした。

私が個人的に気になったのは刑事の2人(大橋てつじさん、小川拓也さん)と綾香役池田恵理さん。この方々については後述します。(批判じゃないから安心して読み進めてください)

そして、冨家ノリマサさん演じる瑞樹。軽度の知的障害がある「おじさん」というかなり癖の強い役どころ。セリフもほぼ単語か簡単なやり取りのみ。つまりは、彼がお客さんに直接説得するような訴えはありません。演劇でよくある独白のように、「私はこう思っているんです」という明確な訴えは言葉にはありません。でも、彼の生きる姿を観て各々感じ取ったものがあるでしょう。冨家さんのお芝居は、僅かに表に出てくる「瑞樹」らしさを感じるものでした。

そこに対して観ているこちら側が1歩踏み込んだ考えを出す方が、この作品を楽しめるのかなと思いました。彼の生きる姿とその周りの人との関わりなどから「私はこう受けとったよ」と、言葉にするのが弔いの言葉にもなるのかもしれません。

何を感じ取ったストーリーか

今作は、2人の人物が死にましたが、直接的な「殺人」ではありません。少し遠回りした要因での死でした。昔あった漫画「怨み屋本舗」で言うところの「実質的殺害」のようなもの。この直接的でないというところこそ、観る側に委ねられた部分ではないでしょうか。
つまり、瑞樹・洋二の父とレナの父がそれぞれが「殺された」と判断したら、どちらかの味方での視点に。双方とも「殺された」のなら感情移入がぐちゃぐちゃになり、ドライに「どちらも殺人ではない」と判断したら、少し客観的というかドライに感じるのではないでしょうか。
私はどちらも「殺された」と判断していたので、復讐に向かう気持ちは理解できました。ただ、その中でのレナと瑞樹の関係を深読みするまでは時間がかかりました。

あなたは誰の味方で追いかけたか

直接的に事件に加担しないまでも、兄洋二と幼なじみ時田に利用されるような形で誘拐に加担した瑞樹。おそらくここに「瑞樹が能動的に加担した」と解釈した人はほぼいないでしょう。洋二を信じており、あれを「犯罪」として捉えきれない部分があり苦しんだ描写はありましたがそれも含めて「利用された」ような描写でした。事実「精神に障がいがある人は利用されやすい」旨の発言が綾香からされており、真弓が強く否定しました。真弓の意思はもちろん分かるのですが、客観的事実はやはり思考が追いつかない人は利用されやすい。(闇バイト、詐欺の受け子等)というバイアスがかかります。ボヤーっとした瑞樹と洋二の関係ににある種白黒付けた一言ではないでしょうか。

という、瑞樹が利用された。レナは被害者である。という思考ロックをしたと思ったら、今度はレナが洋二に復讐するために瑞樹を利用しているような描写がありました。そもそも論、21歳の女子大生が知的障がいのある初老男性、それも親族でもなんでもない人間にあそこまで信頼を寄せるというのはかなり稀。むしろ違和感だらけかな。そういう恋愛(?)ものなら理解出来るけど、実際彼女の行動や表情は凄く「裏がある」感がありました。この文章を書いている間にも「あれ?レナも瑞樹を利用しているんじゃないかな」とすら思い始めました。もちろん純粋な気持ちかも知れませんが、ストレートではない、奇妙な「ストレンジラブ」であることは間違いないので

瑞樹という人物像

「軽度の知的障がい(表記はあらすじに準ずる)があり、得手不得手がハッキリしている」という説明がありました。真弓は「個性」と強く反論しましたが、私は次の点を踏まえて「ハンディキャップ」と書きます。
何がハンディがあるのか。それは、彼自身が考えがないわけではなく、その考えが殻のようなものに何重も包まれていてなかなか外に出てこない。と私は考えました。
実際、ほとんどが単純行動であったのに対してほんのわずか。それこそ僅かに「殻」を突破して出てきた彼の本当の「素」から感じ取れるものがあったと思います。
具体的には私が残ったのは2点。

1つ目は、真弓に抱きしめられた際に、不器用ながらその身体を包み返したところ。何も考えられない(考えが足りない)なら、あそこはフリーズするか直ぐに抱きしめ返すと思います。ですが、あのシーンでは間違いなく一度状況を飲み込みました。となると、普段の行動は根底から複雑なことを考えられないのではなくて、アウトプットにハンデがあるだけなのかなと思いました。

2つ目は、真弓が涙の原因を「玉ねぎを切りすぎた」と言った直後。「嘘つきは泥棒の始まりです」と間髪入れずに返したところ。その「間」に違和感を覚えた方も多いでしょう。先程のハグについては動的な反射で抱きしめ返す可能性もありました。しかし、この場合は脊髄反射ではなく明らかに言葉と状況の矛盾を鋭く突いています。「おかしいですね」のような疑問ですらなく断定。その判断が速い。この後書く刑事達の発言の引っかかりと絡めると深い深い考察ができるはずです。

「間」についての疑問

さてもったいぶったのですが、私が引っかかった刑事達。正直なところ刑事2人のセリフはどこかお芝居口調のようでした。まるで小説で知的な人物が喋っているのをそのまま読んでいるかのような。少なくとも、普段の生活そのままの人間っぽさはなくどちらかというと古畑任三郎のような、フィクションぽさがありました。これが最初の瑞樹の家でのシーンで感じました。聖書の言葉を急に持ち出して来たり、玉ねぎについてウンチクを話していたり。刑事ってそんなものかというと、彼らの言葉を借りれば「最大公約数で語らないで欲しい」のようなので、やはりこの不可解な行動は「脚本的」なのでしょう。

その後、ラブホテルの一室での刑事2人と綾香の間で私の考えと真逆の会話がなされます。綾香に対して
「まるで脚本があって、そのセリフを読むようだ」と言いました。それほどまで綾香の返しや間が完璧でした。ここに関しては若干メタに受け取った方による笑いが起こりましたが、私はこの間の取り方はむしろ自然と思っていました。むしろ前述のように刑事2人の方が脚本を読むような口調でした。終演後もここの矛盾というか食い違いは少し考えていたのですが、先程の瑞樹の「嘘つきは泥棒の始まりです」の返しの間について絡めてみましょう。

もしも刑事の言うように、綾香の「間」が不自然なものである。というのなら、瑞樹のセリフも「脚本に書かれたセリフ」という価値観のはずです。が、それは瑞樹という人間の素質に対する私の考えとは矛盾が生じます。
なので、瑞樹の性質として「心の中の考えがしっかりしている」という仮定が正しいとすると、私が刑事2人に感じた違和感とも整合性がとれます。
なので、わざわざあの「間」についてのやり取りを入れたことは、瑞樹の「間」について考えるきっかけを与える役割があったからではないでしょうか。実際その後のストーリーでその部分の伏線を回収したシーンはありませんので。

ちなみに、この「間」については、池田恵理さんの話す雰囲気がすごく自然でした。自然なやり取りなのに「不自然」と言われるという違和感が出るには、彼女の間が完璧でないといけない。「下手なセリフ口調をメタでいじって楽しんでる」という、作品の質を落としかねない事態になります。観ていて心地よい、見事な「間」でした。
横道に逸れますが、ゴリゴリのコメディのツッコミ役を観てみたいなとも思いました。もっとゲラゲラ笑える作品だと重宝しそうです。

私が普段から応援している今出舞さんの「間」も非常に上手く、それに近いものを受けたから、ここでの気づきになったように思います。

閑話休題

と、ここまで書いたほんの少し「間」から生まれた疑問や違和感でしたが。書けば書くほど辻褄が合って行く感じです。決してミステリーではないのですが、真相が明らかになるアナザーストーリー的な面白さ。これが脚本演出が計算されたものなら拍手物ですし、それに気づけた自分偉い(自画自賛)だなと。

ほんの少し残った謎

個人的に消化しきれなかった部分として、デリヘル嬢の中で少し瑞樹と距離をとっていたマイカ(大西彩有美さん演)の存在。なにか意味ありげだったけども物語を大きく動かすキーではなかった(秘密を知ってた、密告、証拠発見、身内等)と思います。私が描写の見逃しだったり記憶違いだったら大変申し訳ありません。
ただ、「ああいう人がいる」という存在そのものに意味があるとしたら、「知的障がいのある人」への距離のとり方を表しているのかもしれませんね。(後述)

知的障がいの方への距離感

この部分は書こうか迷いました。というのも、変に決めつけた書き方をしてもよくないし、そもそも物語の向かう方向が異なる場合もあるので。
まず個人的な感想として、この作品は「知的障がいのある方を可哀想と思う」とか「もっと知ってもらおう」というメッセージ性はないのかな?とは思います。真弓の言葉1つであとは具体的な結びの言葉もありません。むしろ、そういう「個性」のある人を中心に利用するという極めてロジカルな行動を取ったレナや時田と洋二のようにも思います。洋二は実弟ゆえに、「障がい者」ではなく「瑞樹」を理解した上で協力させたとも捉えられます。
また、完全に私の偏見ですが、お金もない地位もない、言わば優しいというだけの瑞樹にベターっと寄り添う女性が非常に多い。最初の青紫弥生(相原美穂さん演)がお客ではないホテルの清掃員の瑞樹と寄り添うのも然り。

綾香はおそらく幼い頃から知っているから仕事の時には「これだから~」のように一括りにする言い方はしませんでした。しかし、瑞樹の家で真弓と話した際には、「障がいがあるから利用されやすい」という認識を持っていました。やはり先程の「間」のように、彼女はどこか「こっち側」の感性を持つ存在なのかもしれません。
レナもかなりベターっとしましたが、実際は洋二への復讐の足がかりだったり含みのある表情をしていたり、デリヘル嬢のマイカは距離を取りました。実際瑞樹は「店長の弟」という立場ですから、他の女性たちも「何か気に入られようとしてるのかも?」という含みは0ではありません。

もちろん真弓のように、「瑞樹」を個人として捉える人がいることは間違いないでしょう。真弓に対しては、素早いレスポンスもあり、その「優しさ」が心を許すきっかけだったのでしょう。
逆に、その描写を踏まえずに「瑞樹は優しい」を「障がい者でも優しいから」みたいに言い換えて語ることは「最大公約数で括るのはやめて頂きたい」と言われることになるかもしれませんね。

こんな方にオススメ

ド派手な演出やトリックはないので、こじんまりとした小演劇の世界を楽しみたいという方にはよいと思いました。
また、私のように物語の描写から膨らませたり、考えをどんどん連ねたい方もよいと思います。


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