マンデラエフェクトとデジャヴュの話
こんばんは。
さて。
昨年秋から心霊系、スピ系にハマり、本や動画を読み漁り、一巡した感があります。
初めの頃こそ、すごい、こんな世界が、こんな知識が世の中にあったなんて!と感動しました。
心霊系は子供の頃から慣れ親しんでいるので、幾つになっても私は楽しめると思います。
しかし、スピ系は違います。
大人になってから出会った、異質なものだと感じていました。
一周して唯物的思考に戻った
去年の秋口から何冊もスピ系の本を読み、動画を見続けました。
最終的に、だいたい同じ説に行きつきました。
また、この業界でお金を稼ぐ方々のビジネスモデルも見えてきたことで、すごい、と思って見ていたことが、とても当たり前のことのように思えてきてしまいました。
中でもスピ系を通して私が学んだことといえば、
願ったら叶う、とか、嫌なことはしない・私のままでいい、全てに感謝、等は多分正確じゃない、言葉通り受け取ってはいけないということです。
願いには、人事を尽くして天命を待つ、しかないし、
面倒なこと・嫌なことから逃げた時や、調和を破った時の罪悪感と無力感は、スピ系の教えをもってしても消せなかったです。
(悪からは逃げていいと思います。ハラスメントやブラック企業や暴力、嫌味、いじめなどなどの、この世の憎むべき悪。悪事。
定時で帰りたくて逃げた時、掃除やお金のやりくりなど、自分がやるべきことから逃げた時、と言う意味合いです。)
感謝は…正直検証しきれてないです。何万回も言うとか、書くとか、よくあるワーク。やってないです。やったらどうなるか、興味はあります。
善良で居るしか無いと結論づけて一周巡ってきました。
かくあって、私は再び唯物的な思考に戻ってきました。
唯物的、の自分内定義としては、「何らかの超自然的なこと、不思議なことには、物質的な原因がある」、です。
目に見えなくても、絶対に、何か素粒子とか物質、電気とかエネルギー、化け学反応とか、なにかしらの「原理原則」が働いている、という自分の思考を、唯物的、だと捉えています。
自然発生的にスーパーナチュラルな何かが起きるのではなく、振動でも音波でも素粒子でも磁力でもエネルギーでもなんでもいいんですけど、その何物かの作用だと信じる立場です。今は。
結果、人間の感覚器と脳のフィルターを通すと、幽霊や神様が見える、声が聞こえる、というのは普通にありえることですよね。
もしかしたら、物質として幽霊や神様が実際いるかもしれません。見えないだけで。
そんなことを考えてばかりの退屈な日常を紛らわすには、非日常でアンビリーバブルな話でないと満足できないような脳味噌になってしまいました。
マンデラ効果というか個人的な記憶のバグ
そこで次にハマったのが、都市伝説の話題でした。
心霊系、スピ系と同様、信じるか信じないか、という論点ではなく、「もし、それが本当だったら私はどうしよう」と想像を膨らませるのが楽しいのです。
(なので、都市伝説に含まれる陰謀論も、そういう話もあるんだな、と認知するくらいで、事実だと受け止めてはいません。)
夜な夜な、YouTubeチャンネルナオキマンショーやミルクティー飲みたいを見漁っているうちに、自分の記憶も呼び起こされて、アレ?と思うことがありました。
それが、マンデラ効果とデジャヴュです。
マンデラ効果は、多くの人間が共通して起きることでありますが、私がそれに似ているな、と思ったのは私個人の記憶に関してです。
なので、正式にはマンデラ効果ではなく、ただの思い違いです。
強烈に記憶に残っているのに、事実と違うから、どうも首を傾げてしまうんですよね。
覚えている限りで二つあります。
ひとつは、昔記事にも書いたことがあります。
かもめ食堂のシーンの記憶違いです。
もたいまさこが山でキノコをとるシーン。
もう一つは、小学生の頃再放送していた、新世紀エヴァンゲリオンのワンシーンです。
クラスが男女に分かれてプールの授業を受けているシーンです。
普段エヴァンゲリオンは見ていなかったので、たまたま見たシーンが印象的で、ずっと記憶に残っていました。
大学生になって、DVDを借りて、テレビシリーズと映画を一通り見たけれど、そんなシーンはありませんでした。
しかし、答えは簡単でした。
テレビシリーズは、どうやら何回も作られていて、構成や作画などが都度微妙に違うことを知りました。派生作品もたくさんある。
ということは、たまたまあのシーンが挿入された放送を見ただけということですね。確認してないけどたぶんそうでしょう。知らんけど。
デジャヴュ
もっと納得いかないのが、デジャヴュです。
一般的には、夢で見たことを現実で体験するとか、この場所に来たことある、なんとなく知ってるという既視感をいうことと思います。
ネットで調べても、感覚論があまり出てこないのですが、もしかしたら皆さん言わないだけで、私と同じ感覚を持っているのかもしれません。
私の場合、なんとなく知ってる、とか、なんかみたことある、という感覚はむしろ体験したことがありません。それってどんな感じ…?
あるのは、デジャヴュが始まる数秒前に、頭がギューーーっとなって現実感が薄らいだ後、「あ、来るな」みたいに思って、思考が止まります。
その代わり、時間が凝縮したかのようにこれから起きる数秒が頭の中で再生されて、現実の時間が追いつき、視界が脳内とリンクして、目の前の人物がデジャヴュと同じ言葉を話す、同じものが現れる、という感じです。
風景も同じ、配置も同じ、視界に映る小物も同じ。
一般的には、その人との構築した関係性があるから、次に発する言葉の想像がつくせいだ、という説明がされます。
しかし、私の感覚は、その説明に全く納得いっていません。
第一に、デジャヴュが始まる時の肉体的な感覚が、どう考えても自分の思考じゃないというか、脳の自動操縦のように感じるのです。
夢で見た脳の記憶を引っ張り出してる、の説明の方がまだしっくりきますが、目に映るモノまで一緒とか。過去に存在してないものでも夢で見るものなんですかね。
それは、全く知らない場面で暴力的に起こります。
電車に乗り合わせた向かいの席の人の会話だったり、なんかの偶然で喋った通りすがりの人だったり。普段しない話題の時だったり。
まず、視界がデジャヴと全く同じです。
次いで人物、または私が発する言葉が脳内で再生され、言葉に対する反応が起こります。そしてデジャヴュに追いついた現実では同じことが起こり、同じ反応が見られ、追いつかれたデジャヴは霧散します。
(不思議と、デジャヴュの伏線回収を終えると、時間軸が収束するような感じがあって、それ以降、自分が何を見たか思い出すことができなくなることが多いです。)
セリフではなく、モノがそこにある、みたいなケースも多々ありました。
珍しく、デジャヴュっても覚えてるのをひとつ書きます。
コインランドリーで自分の洗濯が終わるのを待っていた時、急にデジャヴュがきました。
デジャヴュの私は、スニーカー洗濯槽を開いて、他人のスニーカーを覗く、という行動をしていました。
現実の追いついた私も、思考が消えて同じように体が動き、洗濯槽の蓋を開けました。
すると、今見たのとそっくりそのまま同じデザインの靴が、同じ置き方であるのでした。
そりゃスニーカー洗濯機にはスニーカー入ってるやろ、と思われるかもしれませんが、現実の私は、「同じや…」と驚いていました。
私にはどうも、デジャヴュの時に頭に流れる映像音声そのものが、夢や想像で作り出した映像ではないと思えてならないのです。
現実にすでに存在した現実としか思えないのです。変な日本語ですけど、そう言うしか。
デジャヴュ見る方は、多分同じ感覚なんじゃないですかね。そして多分その方々は、夢とか脳のパターン分析、シミュレーション説を信じていないと思います。
どこまでいっても、現実が追いつく、という感覚でしかないのです。
そこで都市伝説ですよ。量子論とかの世界。(と、都市伝説の一部みたいに扱ったら怒られそうだけど。)
現在、過去、未来は同時に存在してる説と、多次元宇宙説。
デジャヴュで見た現実(宇宙?)は同時にすでに存在しているから、時々重なって見えてもおかしくないのでは?と思います。
他の人のデジャヴュの感覚、聞いてみたいですね。
都市伝説、面白いな〜。ちゃんと説明される日と、嘘だと種明かしされる日も、楽しみに待っています。