蜜柑の木は、太陽の塔だった

まるで、太陽の塔だった。太陽の塔は、誰に何を言われることもなく、誰かに作られたのに、この場合は岡本太郎にだが、まるで自分の意思でそこに建っている。建っているより立っているに近いな。遠くで見れば、小さくて、小さくて、なんてことない、なんてことない、ものなのに、下に立つと、大きくて、大きくて、飲み込まれたような、抱きかかえられたような、気分になる。まるで、太陽の塔だった。空っぽでもなく、決して何かに埋もれてるわけでもない、埋もれたものは、むしろ、いつかへの期待、といった形だろうか。ただ緑茶を、飲んで、過ごすだけ、だけど、きっと少しくらい、速度を超えた方が良かったんだな、緑茶が、いつもより苦くなって、茶渋が、取れなくなった。取らなくて良くなった。暑くて暑くて、耐えられない、歌にも、世界が見えた、から、また、まだまだ、懲りずに、動いていくのだろう。耐えられなかったのは、暑さでも、寒さでも、苦さでも、悲しみでもなく、ただ私の、私を取り囲む、得体の知れない、蜜柑のようなものだった。その蜜柑の、皮を剥くことを、戸惑っていたのは、きっと誰もが、誰もで、今まで浴びてきた言葉とか、そんなものだろうか。でも、腐らずに待っていてくれた、その蜜柑は、まだまだ香りがして、香りがして、全てを体の全てを、全部世界の端に、流して、いま立っている場所が、きっと、あの日植えた蜜柑の木だ、と思わせてくれた。いや、忘れていたのかもしれない、から、思い出させてくれた。まるで、その木は、太陽の塔だった。もう一度、こんな場所に、生まれてしまうのならば、蜜柑の香りのする、太陽の塔を、ただ立ててみようと、

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