日常が特別に
急遽決めた帰省。最近地元に帰りたくて仕方がなかった。
未知だった世界が日常になりつつある中で、かつての日常は自分が思っているよりもずっと特別なものになってた。
東京に来て半年。星なんか見えるはずもない場所。彼から「今日の月きれい!」と連絡があって見上げた時、空が狭くて家からは月すら見えないことに気付いたあの日、なんちゅうところに来たんやと思った。あんなに一人になりたくて、一人の時間が好きやったのに、ふと孤独を感じることも増えた。それでもここでの時間は元々期間限定と決めてたし、その時間を満たすも枯らすも自分次第と言い聞かせて生活してきた。
大都会でも秋の空気が、香りが故郷と同じだと知った時、それだけで嬉しかった。そんなこんなで最近やっと東京での暮らしの良さを見出して悪くないなと思い始めた。それでもやっぱり故郷が恋しい気持ちもどこかで膨らんでた。帰ったら余計に戻ってきたくなくなると思ったけど、引き寄せられるように帰ってきた。
京都駅で新幹線を降りた時、551の懐かしい匂いに安心する。スマホを鞄にしまって琵琶湖線の車窓から景色を眺めながら揺られる。最寄り駅に近付いてくると自然とうるっとしてた。全然と思ってたけど、思ってるより心が疲れてるのかもしれないと気付いた。母がいつも通り駅まで迎えに来てくれる。家に着くと祖父母がおかえりと言ってくれる。ほっとする母の味が食卓にならぶ。
近所の道は所々家が建て替えられててちょっと違和感がある。歩き慣れた河原町も新しい店がぽつぽつ。前のお店は全然思い出せない。
街も変化してるし、疎遠になった友達もいる。でも会いたいと思った人たちに少し勇気を出して連絡したら時間を作って会ってくれる。変化を寂しく感じることもあるけど、そうして変わらない安心感もちゃんとある。やっぱりずっとここに居たいなぁ思う。そう思うのはきっとこの時間にも限りがあるから。
こうして安心して帰って来れる場所、帰りたいと思える自分の居場所があるってすごく幸せなことだと思う。そう考えると、新しく踏み出すことや安定の外に出ることは、いつかの特別をつくる事なんだと気付く。
離れてみないとこんなことにも気が付けないとは私も馬鹿だなぁと思いながら、何となくこれからも頑張れそうな気がした。
関西にいる自分は唯一無二で自分らしく居られてる気がするのに、東京の自分はまだ大多数の中に一人埋もれてる感覚。それでもいつかここも特別になるのかもしれないと思うし、帰りたいと思える場所にしたいと思った。
帰りの新幹線でそんなことを考える。
明日からはまた日常が流れる。
短かったけどいいリフレッシュやった。