佐藤 智哉/湘南佐藤農園
台風被害で1度は離農。マイナスからの再起で飲食店経営まで
■プロフィール
学生時代から交際していた妻と5年越しの交際を経て、26歳で婿養子として結婚。サラリーマン時代は、卸会社、外資系人材派遣会社、治療食・治療食専門の食品メーカーで営業職を担当しながら、義父の畑で農業を手伝っていたが、2011年9月、台風の影響で1,200坪あったハウスの4分の3が全壊。
義理の両親が営農する分を残して、一度は離農したが、2014年に義父の病死を機に、家業を継承。アイメック農法の導入で糖度10を超えるトマトが人気を集めるが、甘すぎると皮が固くなって高齢者が食べにくいことに気づく。そこで糖度を抑えたトマト作りを研究した結果、糖度8度の皮の薄いトマトを作ることに成功。
「トマトは毎日食べても飽きない料理の脇役」という考えのもと、売り物にならない裂果を利用したジュースの開発、委託生産に乗り出す。6次加工したトマトジュースの活用を提案したいと、2021年には、自家製トマトソースと野菜を使ったピザのキッチンカーを始める。
トマトソースの輸入品を使った他店と差別化をはかるため、家庭料理では作るのが難しいピザにこだわった結果、評判を呼び、2022年には実店舗をオープン。
若手育成にも熱心で、30〜40代の若手を中心に農場長など常勤スタッフ2名、パート6人を雇用するほか、援農ボランティア20人が手伝っている。藤沢市認定農業者、援農ボランティア養成講座講師、藤沢市農地利用最適化推進委員。
■農業を職業にした理由
神奈川県藤沢市で100年続く野菜農家に婿入りし、結婚当初からサラリーマンを続けながら義父の野菜作りを手伝っていたが、2009年に脱サラして専業農家に…。ところが2011年9月に、台風被害で900坪分のハウスが全壊し、生産規模を4分の1に縮小せざるを得なくなった。
残ったハウスは、義父が細々と農業を続ける規模しかなかったため、一度は離農して、再び会社勤めを始めたが、農業を教えてくれていた義父の死を受けて、2014年に家業を継ぐことを決意。
台風被害の傷は癒えず、マイナスからのスタートだったが、向こう5年で藤沢市内の同じ生産規模の経営者を追い抜き、地域の売上トップを目指すための事業計画を立てて、アイメック農法を導入。その結果、糖度10度の甘いトマトが人気を集めるようになる。
ところが、糖度が高すぎると皮が固くて残す高齢者がいることに気づき、灌水量の調整など、試行錯誤を繰り返した末、皮の薄いトマト作りに成功。現在は皮が割れたり、形が不揃いで売れないトマトを利用して、ジュースやピザ作りなど、さまざまな事業を展開中だ。
■農業の魅力とは
ウチは農業も飲食店も同じように力を入れる二刀流です。農産物の廃棄ロスを無くすための6次産業化は一般的ですが、農業の片手間に経営するやり方では両方とも中途半端に終わります。
生産規模を拡大する考え方もありますが、近隣にはまとまった耕作地が少ないため、他と差別化を図る都市型農業のあり方を模索した結果が、今のやり方につながっています。
2014年にたてた5ヵ年の事業計画の目標は、1年前倒しで4年間で達成しました。本格ピザの販売を始めたのは、トマトの美味しさを具体的な形で提案したかったからです。
パスタはご家庭でも作れますが、ナポリピザを作るには500℃の高温で焼き上げられるオーブンが必要です。名店を食べ歩いてわかったのですが、多くのイタリア料理店では輸入品のトマトのホール缶を使っているので、国産100%のトマトソースは、強い"セールスポイント"になると思いました。
またピザ生地をお皿に見立てて、トマトソースから具材まで、ウチで作ったすべての野菜を食べていただきたいという思いが実現しました。本格ピザのキッチンカーをフランチャイズ化したいというお申し出も2社からいただきましたが、自分たちが作ったトマトや野菜で成立しているピザのクオリティーを維持したいので、お断りしました。
国際情勢の影響で農業や飲食を取り巻く環境は厳しくなっていますが、少しでも他者との差別化をはかるために努力を続けることが、生き残りに重要なのです。新しい農業の形を作るために、一緒に働いてくれる仲間を募っています。
■今後の展望
すでに現場作業は農場長に任せて、私はスタッフの配置や作業内容の指示出しが中心ですが、農業でも飲食店でもオペレーションを作るのが大変です。
ひとつの作業にかかる所要時間を計測して、スタッフの能力によって作業量を決めるなど、徹底的に数字で管理して無駄を省くことで、1人あたりの労働時間を削減して、週1〜2日の休みを取ることができるようになりました。
一方、スタッフ1人ひとりの個性を見極めながら、経営ビジョンを共有し、彼ら・彼女らが将来どんな目標を持っているかを話し合う時間も大事にしています。
夢は、湘南佐藤農園で学んだ人たちが独り立ちして、いろいろな地域で就農し、それが日本の農業の活性化につながってほしいと思います。以前、ある企業が農業に参入する際、ウチの農園で1年間トマトの栽培を研修し、彼らが作ったトマトがネットショップの市場で人気になったこともありました。
自然災害で一度離農した後、父の急死で再び戻ってきた私を受け入れてくれたのは、地域の人たちです。援農ボランティア講座の講師も努めていますが、今度は私が農業に恩返しする番だと思っています。
#30代で就農
#関東
#事業承継
#経営手法
#経営哲学
#挑戦者
#SNS活用
#ユニークな経歴
#生産加工
#直接販売
#ポートフォリオ経営
#最新テクノロジー
#地域活性化
#農業体験
#農業教育
#六次産業化
#ライフスタイル
#都市型農業