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矢野賢太郎/けんちゃんファーム

法人名/農園名:けんちゃんファーム
農園所在地:長野県下伊那郡喬木村
就農年:2020年(就農5年目)
生産品目:市田柿、キュウリ


自分がつくる作物で人を笑顔に! 20歳で移住就農して5年目、特産の市田柿とキュウリで地域を盛り上げる

■プロフィール


埼玉県戸田市出身。農業とは縁のないサラリーマン家庭に生まれ育つが、中学2年生のとき、新聞を読んでいた祖父が「これからの時代は農業だぞ」と話したことをきっかけに、農業に興味を持つ。農業系の県立高校への進学を選んだ。

高校で農業を学び、野菜を栽培する楽しさを知り、農業は自分に合っていると感じた。卒業後は農業に就きたいと考え、高校3年生のときに都内で開催された「新・農業人フェア」へ足を運ぶ。全国各地からさまざまな農業法人や団体が出展する中で、父方の亡き祖父が暮らしていた長野県に親しみを感じていたので、同県で就農することに決めた。

行政やJAが支援するプロジェクトとして、新たに始まる研修制度「南信州・担い手就農プロデュース」のブースで話を聞き、かねてから観光農園に興味があったのでイチゴ狩りが盛んな喬木村の紹介を受けた。

高校を卒業すると、同研修制度の一期生として2年間、南信州の特産品である市田柿とキュウリの生産を学び、これらの生産者として独立就農を果たす。20歳のときだった。

現在、就農5年目の25歳。けんちゃんファームの園主として、市田柿(40a)、キュウリ(8a)の圃場を構え、一緒に移住した母と、柿繁忙期のパート従業員と共に農業に励んでいる。

■農業を職業にした理由 独立就農 市田柿とキュウリ

当初は喬木村でイチゴの観光農園をやりたいと考えていたが、様々な理由で断念することになった。ここ数年の間に、イチゴ栽培の初期投資の価格が高騰し、また円安の影響で燃料代も高騰した。コロナの時はイチゴ狩りも閉園することになり、就農して実感したのは、市田柿とキュウリとイチゴの複合栽培は自分には難しいと感じ、イチゴ栽培は断念した。研修制度では市田柿の栽培から加工までを学んだが、少し苦手意識があった。さらに、市田柿を干し柿に加工するには、干場などの場所や機械への設備投資が必要だ。

当初は市田柿をやることに迷っていたが、知り合いから柿もみ機を格安で譲ってくれるという話が舞い込んできた。「それならやってみようかな」と思い始めると、市田柿の農家が多い喬木村ならではのネットワークで、他の知り合いからも中古機械を譲り受けることができ、市田柿に必要な機材が揃った。

行政やJA職員の協力もあって、農業ハウス付きの農地を借りることができたのも幸運だった。そのハウスは市田柿の干場として活用している。

プロジェクトの後押しもあって、2020年4月、市田柿とキュウリで独立就農を果たす。地域では、市田柿の生産者は、夏野菜をやるのが定番の作型だ。

1年目、2年目の市田柿は失敗の連続だった。1年目は、干場のハウスの温度管理が上手くできずに柿の渋が抜けなかった。2年目は、温度のかけすぎでカビが発生しロスが多かった。こうした経験もあり、3年目からはだんだんうまくいくようになった。大事にしているのは、柿の粉のきめ細かさ。柿もみをする時間や気温や湿度などの条件によりでき上がりが違ってくるので技術のいる作業である。

農業経営で大変なのは、市田柿とキュウリの間の春先の収入。地域ではその間にイチゴをやる農家も多いが、今は市田柿とキュウリの生産量を増やして収入が上がるようにトライしているところだ。

果樹の栽培から干し柿への加工まで大切に作った市田柿は、JAへ出荷。2024年は、知り合いの市田柿農家から贈答用の顧客を引き継がせてもらい直販も始めたところだ。リピートにつなげるために、味で評価される市田柿を作りたいと抱負を語る。

■農業の魅力とは

農業をやってよかったと思うのは、大切に育てたキュウリや市田柿を食べた人に「おいしい」と言ってもらえた時です。
 
栽培して楽しいのはキュウリです。なぜなら、1個の生柿は1個の干し柿にしかならないけど、キュウリは手を入れるほど、収量が増えたり、病気から回復したりするなど、自分がやったことに応えてくれるからです。毎年、反収が増えていくこともやりがいを感じ嬉しいです。

5年目のシーズンに、自分の作ったキュウリを美味しいと言ってくれる人が沢山いました。キュウリでも味で評価されることが分かって嬉しかったです。土壌の窒素成分を控えるなど、栽培方法を改善した結果に繋がったと思います。

おいしくなるようにと手をかけて栽培したキュウリや市田柿で、人の笑顔が見られることが、農業のやりがいです。

また、喬木村で農業をすること自体がとても魅力的です。喬木村に引っ越してから、たくさんの人と知り合いましたが、みなさんとても人柄がいいです。農家さんが多いので、旬の野菜や果物をたくさんお裾分けしてもらい、地域の方のご厚意がとても嬉しいです。
 
今、住んでいる地域は市田柿の産地なので、実家が柿農家の人や、柿のことをよく知っている人がたくさんいます。繁忙期は近所のパートさんに来ていただき、皆さんベテランなので作業がとても早く大変助かっています。

喬木村は山に囲まれ、空気も澄んでいて、農業をして暮らすには恵まれた環境です。埼玉県の実家から喬木村に戻ると、帰ってきたと思えるふるさとになったと感じています。
 

■今後の展望

「南信州・担い手就農プロデュース」の研修制度は自分が1期生で、今は7期生までいて、移住就農者の知り合いも増えました。2期生からは後輩ということになりますが、いまだに自分が一番年下で、自分が知る限りでは最年少の市田柿の生産者です。育ててくれた地域の期待に応えられるように、よいものを作っていきたいです。

2024年度は喬木村のふるさと納税の返礼品に選んでもらいました。おいしい市田柿を作って全国の皆さんにお届けして、喬木村は良いものを作る村だと思ってもらえたら、地域に貢献できるのではないかと思っています。喬木村代表の市田柿生産者のつもりで頑張ります。

喬木村で農業をしたい人の農業体験も受け入れていきたいという気持ちもあり、今年は初めておてつたびをお願いしました。自分より1歳下の方と、母と同世代の50代の方が参加してくれました。様々な地域の方と仕事を通して交流ができ、仲良くなれることが嬉しかったです。
 
最後に、学生から独立就農した自分から、農業に興味を持つ方へのメッセージです。周囲に応援してくれる人がいて、農業ができる環境があるのなら、全力で農業をやった方がいいと思います。
 
決まった休みがない農業は本当に好きでないと続かない職かもしれませんが、良いものを作って人を笑顔にすることが、自分のモチベーションです。良いものを作れば自分がセールスをしなくても、リピートや口コミでお客様が増えていくと思います。人を笑顔にさせた分だけ儲かるという気持ちで、これからも農業を楽しんでいきたいです。
(取材:2024年11月)

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