奥野 亜里沙/ARISA GARDEN京都
万願寺とうがらしの新たな歴史を若い世代が作っていく!
■プロフィール
兵庫県宝塚市で生まれ育ち、同志社大学国文学科を卒業した2010年、リーマンショック後の就職難のなか、海上自衛隊に入隊し、厚木航空基地で4年間にわたって地上勤務。
結婚を機に、両親が住む舞鶴市に移住。母が営む古民家レストランの工房でパンや焼き菓子を作って、直売所などで販売する日々をおくっていたが、祖母の介護のため、レストラン閉店と同時にパン工房を辞める。
その後は茶農家の父や夫の仕事を手伝っていたが、離婚を機に就農を決意。
2020年、京都府の「担い手養成実践農場」で万願寺とうがらしの栽培研修を受ける。2022年、2年間の研修を修了して生産者グループの部会に加入。
万願寺とうがらしとともに、父が作る舞鶴茶の販売を手伝いながら、SNSやFM番組などを通じて、産地に関する情報を積極的に発信中。食べチョクアワード2021にも入賞。
■農業を職業にした理由
結婚を機に、日本茶農家の父が生産する舞鶴市に移住。近所付き合いのなかで、日常的に作った野菜を渡し合う様子を見るうち、「自分もお返ししたい」と家庭菜園でミニトマトやバジルなどを作り始める。
同時に古民家レストランの工房で作ったパンやお菓子を直売所などで販売したり、父のお茶栽培や、夫の服飾の仕事も手伝っていたが、離婚を機に、経済的に自立しようと、大好きな万願寺とうがらしの農家になることを決意する。
祖父の田舎である舞鶴市は、大正後期に原種が見つかって以来、品種改良を続けてきた歴史があるが、「京のブランド産品」になったのは1989年と遅いため、生産技術の向上には研究の余地があるとして、自分が就農することで産地に貢献できる可能性と面白さを感じたという。
元水田だった耕作放棄地1ヘクタールを借りて、排水性の改善など整備を続けながら、2020年から担い手養成実践農場で研修を続け、2022年5月に独立を果たす。
■農業の魅力とは
万願寺とうがらしは、玉ねぎやじゃがいもに負けない汎用性を感じていて、私なんかは1回の調理に40〜50本使うほど、日本一消費していると自負しています(笑)。
子供の頃から食べていますが、品種改良される前は、何十本に1本の割合で、辛いものが含まれていました。でも本来は、肉厚で甘いんです。
伝統野菜というわりに、ピーマンと比べると栽培技術のデータが蓄積されていないし、地域の特産品ブランドとして地理的表示(GI)に登録されたのも最近ですから、全国的な知名度もまだまだ。
私は万願寺甘とう部会長のもとで研修し、生産部会にも参加していますが、舞鶴市には30代の農家がほとんどいないので、農家としても万願寺とうがらしの生産者としても若手です。その分、自分たちが中心となってブランドとして育てていける野菜だとやりがいを感じています。
行政も特産品として支援してくれますから、栽培だけでなく、情報発信などさまざまな面で万願寺とうがらしの需要を底上げしていきたい。2021年には3カ月間のみの販売にも関わらず、食べチョクアワードで入賞したことも自信につながりました。
■今後の展望
1ヘクタールの農地のうち、万願寺とうがらしの栽培に使っているのは7アールです。2021年までは露地で苗木2,000本を育てていましたが、2022年からはハウスと露地でそれぞれ700本ずつ、計1,400本の苗木に減らしています。
最近、反収(10アールあたりの収穫高)10トンを超える農家も登場しており、私も現在の規模でどれだけ効率よく増やせるかを模索中です。
また、万願寺とうがらしは夏野菜なので、残りの農地を使って、冬の収入源になって廃棄率が少ない花や野菜に挑戦しようかと考えています。
2021年末には、父の茶園が雪害を受けました。田畑は先祖から何世代にもわたってつないできたものですから、荒れてしまうと近隣の農家にも迷惑がかかります。父のあとは私が継ぐかもしれませんから、未来へつなげるためにも、舞鶴の農業を盛り上げていきたいのです。