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城田将也/城田屋ファーム
法人名/農園名:城田屋ファーム
農園所在地:長野県下伊那郡喬木村
就農年:2019年(就農6年目)
生産品目:市田柿、ズッキーニ、干し芋
地元の魅力を再発見、アパレルの経営感覚で農業ベースの心地よいライフスタイルを提案
■プロフィール
長野県・喬木村出身。実家は主に祖母が特産品の市田柿の生産に従事する兼業農家。幼い頃は地元の小学校に通い自然豊かな環境で暮らしていたが、中学・高校生になると田舎を出て都会で生活したいという思いが強くなり、高校卒業と同時に地元を離れることを決意した。
18歳で名古屋へ出て、営業職でキャリアをスタート。その後、22歳の時に飲食業界に足を踏み入れ、ハンバーガーのキッチンカーを手伝うようになった。24歳でかねてから興味のあったアパレル会社に就職し、26歳で自らのアパレルショップを経営。ヒップホップカルチャーを取り入れた西海岸風ファッションを提案してきた。
飲食とアパレルで約20年の経験を積み、体調を崩したことをきっかけに喬木村へUターンすることになったが、その時点では農業をするつもりは全くなかった。それが一転、帰省後すぐに始まった柿の収穫を手伝ったことで、自然の中で手や体を動かす農業の楽しさと自営業としての魅力に気づいた。
農業を本格的に始めることを決意し、継承したのは、祖母亡き後に両親が兼業で行っていた市田柿の生産だった。従来の作り方を見直して、硬い干し柿から柔らかい干し柿へと商品を改革。柿干場としてビニールハウスを導入し、品質の向上と効率化を実現した。
周囲の農家から畑を任されるようになり、市田柿の栽培面積は当初の5倍の約2ヘクタールに拡大し、生産量も大幅に増やした。農業を通して地域の発展に貢献している。
■農業を職業にした理由
名古屋でのアパレルショップの経営で、自分の考えで行動し、自由なペースで仕事を進めることが身に付いていた。ふと実家の農業を手伝い、空の下で働くその感覚は今までの都会のビジネスとは正反対だったが、同じように自分にフィットする心地よさが感じられた。好きな音楽を聴きながら仕事ができることもしかり。「これならやれる」と確信した。
ほとんど帰らなかった故郷で一転して、家業の市田柿を継ぐとは、誰も予想しない展開だった。喜ぶはずの両親が表情を変えなかったのは、帰ってくると思わなかった息子が喬木村に戻って農業することへの驚きで言葉を失ったのかもしれない。
故郷である喬木村の魅力にも改めて気づいた。周囲の山々に守られた穏やかな自然環境で、冬の積雪も少なく農業をするにも恵まれている。フルーツ王国と呼ばれるほど果物の種類が多く、農産物が豊富に穫れ、四季折々の体験ができる。農業をベースに喬木村ではまだ誰もやっていないことに挑戦vできると感じた。
それまで農業は手伝ったこともなく、全く知らない世界だったが、サポートしてくれる人が周囲にたくさんいた。隣の畑のベテラン農家やJAの指導員に教わりながら、初年度から400コンテナの市田柿を出荷する農業経営者になった。
■農業の魅力とは
自営業として自分の考えで経営できることが魅力。自分次第で従来のやり方を変えていけることにもやりがいを感じています。
実家を継いだ初年度から市田柿の加工方法をガラリと変えました。それまで実家で作っていた市田柿は、軒下に吊るして干した硬い食感のものでした。今は柔らかい市田柿が好まれていて、自分もそのほうが好みです。高齢者や子どもも安心して食べられる柔らかい市田柿を作りたくて、自分の預貯金を切り崩して柿の干場となるビニールハウスを建てました。既存の販路はJA出荷と直販が半々でしたが、新たな温泉施設や菓子店、土産物店などに広げています。
下調べなしで就農したので、国の支援が受けられることも知らず、翌年なって喬木村で認定新規就農者の認定を受け、現在の経営開始資金にあたる給付金を5年間受けることができました。
地域では市田柿と夏野菜のキュウリが一般的な作型ですが、自分が好きなズッキーニを選び20aで栽培しています。キュウリと比べて管理に手がかからず、市田柿の生産と両立しやすいと判断したからです。しかも、ズッキーニはおいしくて美容にもいい。主に東海地域の飲食店に直販して人気を集めています。
また、祖母の代から家庭用に作っていた干し芋があまりにもおいしくて商品化しました。柔らかい半生タイプで蜜が入った干し芋は好評で、地元の需要で完売する人気商品となっています。
世の中のニーズを察知して、自分の好きなものを打ち出しつつ、新たな価値を生み出す余地がたくさんあることが農業の魅力です。
■今後の展望
ここまで市田柿の経営面積を拡大して生産量を増やしてきましたが、自分一人でできるのはこれがマックス。繁忙期はおてつたびを受け入れて手伝ってもらっています。
農業だけで終わらせるつもりはなく、農業を基盤に多方面に事業を広げていきたいと思っています。例えば、喬木村には民泊とサウナがないので、自分も楽しめる屋外型のサウナを作ったり、農家民泊で農業体験や地元の食事を提供したりすれば、観光客だけでなく、おてつたびで来る人を増やすこともできます。地域に外の空気を入れることは大事だと思います。
農業は確かに大変なことも多いです。貯金を切り崩したり、天候にも左右され、昨年は猛暑で大きなロスを出したりしました。全て自分の責任でやっていくのは怖いかもしれませんが、それを考えていたら何もできないので、楽しみながらやることが大事。農業は自分の時間を作ることができるし、そこで新たな挑戦ができる余地もあります。
農業とは別に『RAINDAY』というアパレルブランドを立ち上げました。雨の日に農作業ができない時間でやるという発想から来ています。メインはスケーターファッションで、名古屋と地元のカフェやイベントで販売し、たまに東京に持って行くこともあります。普通に洋服店に置くのではなく、カフェや美容院などちょっと変わった場所に置くのが自分らしいと思っています。
これから農業を始めようとする人に伝えたいのは、農業は自由で自分次第でいくらでも広がるということです。農業を起点に自分のやりたいことを見つけてどんどん挑戦してほしいです。
私にもやりたいことがたくさんあります。地元をもっと面白い場所にするために、喬木村に来た人が「こんなところがあったんだ!」と驚いてくれるような体験を作っていきたいです。
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