鈴木 茜/こびと農園
東京都で2拠点就農。都市型農業として経営を模索する
■プロフィール
子供の頃から、卵や小麦、牛乳、肉、魚に対する食物アレルギーがあって体が弱く、野菜と大豆など自然食中心の食事で育つ。小学校でも給食が食べられないため、自分だけが母の手作り弁当を許されたが、級友の間では浮いた存在に…。
中学進学後は・対人関係に対する悩みから不登校になり、摂食障害を経験。体重が半分以下にやせ細り、心療内科や精神科などを受診する生活をおくるなかで、『世界がもし100人の村だったら』という1冊に出会う。この本を通じて、世界の貧富の差や食糧問題に関心を持つようになり、現代の日本の農業が抱える後継者不足や食料自給率の問題を学ぶうちに、中学3年生で就農を志す。
2009年、神奈川県立中央農業高校の園芸科学科に進学後は、園芸福祉の勉強を通じて、農作業の精神療法的な効果に関心が高まり、自分と同じような悩みを抱える人の役に立ちたいと考えるようになった。
家族や教師から大学進学を勧められたが、農業大学や農業アカデミーで何を学べばいいか想像がつかず、少しでも農作物に近い仕事を希望して、東京・大田区の青果物流会社に入社。
仕入れ業務などを担当していたが、生産者になりたい思いが強まり、2016年1月、熊本県の農業法人に転職。栽培を学び始めた矢先に熊本地震が発生し、経営悪化により、農園が閉園。
「自分は農業に向いていないのではないか?」と悩んでいたところ、東京で新規就農した女性のインタビュー記事を読んだことがきっかけで、東京都農業会議へ相談。2017年3月からは、立川市のミニトマト養液栽培農家に就職したが、このままでは自分が思い描く農業を実現するのは難しいと考えて独立を決意し、3年で退職。
2020年4月には東京農業アカデミー八王子研修農場に入学したが、コロナ禍の影響で授業は滞りがちだった。勉強しながら農地の斡旋を希望していたが、2021年当時は、住まいのある三鷹市では借りられる農地がなく、武蔵野市と小金井市で農地を借りる2拠点就農を選択し、2022年4月に独立。
東京NEO-FARMERS!メンバー、江戸川区ファーマーズクラブ東葛西、わくわく都民農園小金井シニア農園の講師のほか、NPO法人ぶどうの木の農福連携技術支援者として、障がいを持つ人たちの支援にあたる。日本農業技術検定3級、野菜ソムリエ、農林水産省農業女子プロジェクトに参加。
■農業を職業にした理由
中学時代から就農の夢を抱き、農業高校に進学したが、当時は雇用就農の機会も少なく、せっかくつかんだ熊本県の農業法人への就職も、2016年の熊本地震がきっかけで農園が閉鎖。
東京で新規就農者を支援する東京都農業会議の協力で、立川市のトマト農家に就職、農業アカデミーで勉強しながら、農地を探し回ったが、住まいのある三鷹市では2021年当時、借りられる農地が見つからなかった。
東京都で新規就農する場合、東京都農業会議に経営計画書を提出して、内容について助言をもらったうえで、就農地の区町村で認定新規就農者として認定してもらうため、別途、青年等就農計画を作成して提出する必要がある。
しかし、ようやく農地を見つけた武蔵野市と小金井市では当時、認定新規就農者制度が整っておらず、認定を受けられないという問題があった。(そこで「青年等就農計画」を提出しておらず、農業に関わる補助金や融資を受けることができなかった。)
補助金や融資なしでは生計が立てられないと悩んでいた矢先に、東京都の創業支援窓口「Tokyo創業ステーション」から、起業することで中小企業向けの創業助成金が受けられる方法を教えられる。
そこでコロナ禍のステイホーム期間中に需要が増えた市民農園や家庭菜園の利用者に向けて、農作業を体験しながら収穫が楽しめる農園を目指すという事業計画を提案し、助成金を受けて、2022年4月に就農。
現在は、都民農園の講師や障がいを持つ人が働く作業所で農福連携技術支援者としての顔を持ちながら、飲食店や加工業者向けに大田市場から仕入れた野菜や果物の卸売なども行っている。
■農業の魅力とは
東京で農業を始めるには、好条件の農地を確保することが大変ですし、武蔵野市と小金井市の2拠点で独立を決めた後も、近隣の先輩農家からは頭から「あなたには無理だ」と反対されました。
でも最近、東京都農林水産振興財団から、新規就業者として奨励を受けた際、その先輩から「よく頑張ってるね」と褒められました。地道に、愚直にやっていた姿勢がようやく認められたのだと思います。
自分で蒔いた種から芽が出る瞬間に植物のエネルギーを感じられるのが農業の魅力だと思っています。都市で働く私たちは、仕事や家事、子育てなど、毎日ストレスにさらされていますから、畑で体を動かして汗をかくことでリフレッシュしてほしい、そして、畑仕事の面白さを伝えたいと思って、農作業体験ができる農園を立ち上げました。
こびと農園と名づけたのは、小さい頃から食物アレルギーで卵や牛乳、肉や魚などが食べられず、身長144cmの体に強いコンプレックスを持っていた私自身を象徴する言葉から名付けましたが、私と同じように悩みや苦しみを経験してきた方に農を通じて心に豊さと癒しを提供したいと思っています。
私の考えに共感し、応援してくださるファンも少しずつ増えています。苦しいこともたくさんありますが、農業を絡めることでいろいろな可能性が広がっています。熊本県の農業法人に就職した直後に、熊本地震で就職先が閉園した時には、「自分には農業が向いていないのかもしれない」と落ち込みましたが、今では天職だと思ってます。
また農業アカデミーで栽培技術を勉強しながら、中小企業向けの起業や経営について学べたことは、農業経営以外の視点を持つことにつながったので、とても良かったと思います。
■今後の展望
武蔵野市と小金井市は車で10分くらいの距離ですが、2拠点に畑を持つことは、生産効率は下がります。毎日見回って手間をかける必要がある作物と、そうでもない作物を畑ごとに分けています。事業規模を大きくしていきたいので将来的には人を雇用したいと考えています。
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