どうして理解してもらえないの!と泣いていた大学時代の私へ。それ、絶対アンタのせいだよ(笑)

このお話は教育に携わる全ての人に届きますように、と願いを込めて綴ります。願わくば、これからの聴覚障害をもつ子供達・若者たちが少しでも明るい未来を歩んでいけますように。

私は5歳のころから感音性難聴です。右耳は全く聞こえません。左耳は補聴器をいれています。補聴器を外した状態では電車や車の音、耳元の大声が辛うじて聞こえます。補聴器をつけた状態だと、1m以内の静かな環境なら1対1で普通に話せますが、2〜3人での会話は少し難しく、4人以上では誰が何を言っているのかほとんど分かりません。少し離れた場所から話しかけられても、どこから声がしているか分かりませんし、言葉の輪郭が不明瞭で何を言っているのか理解できないことが多いです。でも、分からない中でも推測して理解して返答をするので、一応コミュニケーションは成立しており、周囲の人は聞こえていると勘違いしてしまうそうです。

今日は、私の大学時代のできごとを共有させて下さい。

大学時代、ぼそぼそと話す教授の授業は、何を言っているか分かりづらくて苦痛でした。でも出席しないと単位がもらえない必須科目だったので、頑張って出席しました。全身全霊で耳を傾けて(本当に全身を耳にして)聞いていたので、授業が終わったあとはくたくたに疲れきっていました。それでも全部聞きとれるわけではないので、分からない部分は自分で教科書を読んだり調べたりして必死に勉強しました。

そんなある日のこと、私は今でも忘れられない経験をします。

その国家試験の対策授業は、珍しく座席指定になっていて、私の席はものすごく後ろの方でした。さすがにいくら耳を傾けても何を言っているのかさっぱり分かなかったので、勇気を振り絞って「実は私、耳が悪くてマイクの音が聞き取りづらいので、前の座席にして頂けませんか?」と学生課にお願いしにいきました。すると、「え?君、今普通に喋れてるよね?僕の声、聞こえているよね?だったらマイクの音も聞こえるでしょ?今までどうしてたの?君、成績いいし、別に困ってなかったんでしょ?今から座席を変更するのは無理だし、今更君だけを特別扱いできないよ。」と言われてしまいました。

私はもう爆発しそうで、自分の感情をこらえるのに必死で、何も言えませんでした。「ああそうですか、無理なんですね、じゃあもういいです!!!!!すみません!!!!!」と投げつけるように言うのが精一杯でした。

家に帰ってから、ずっと泣いて叫んでいました。聞こえないことがどうして分かってもらえないの!!!!!困っているのに、なんでアナタが困ってないと決めつけるの!!!!困ってるって言ってんじゃん!!成績良いから困ってないってどういう根拠だよソレ。私が必死にやってきたから、良い成績取れたわけであって、何も困らずに当たり前のように勉強してその成績取れた訳じゃないからな!!!!じゃあオマエも耳が悪くなれば良いよ!!!!!くたばっちまえ!!!!もうオマエなんて頼らねーよ!!!もう二度と誰も頼ってやるもんか!!!どうせ誰も理解してくれないんだ。誰も助けてくれないなら、もういい。私は一人で勉強する。もう自分の世界を閉じよう。

そして、今の会社に就職するまで、私は誰に頼ることもなく生きていきました。頼ったりお願いしたりするだけ自分が傷つくから、それなら初めから期待しない方が良い。そんな風に思っていました。

----さて、私はあの時、学生課の人にどう言えば良かったのでしょうか。今なら答えが分かります。それを伝えたくて、このnoteを書きました。

私はこのように説明するべきでした。

「普通に聞こえるように見えるかもしれませんが、それは静かな環境で1対1だからです。口元を読み取ったり、推測したりして何を言っているか理解しています。聞こえる様に見えるかもしれませんが、実際に一語一句ちゃんと聞き取れている訳ではありません。特にマイクの音は、歪んで聞こえるので、言葉の輪郭がぼやけてしまい、聞き分けるのが難しいです。これまでの授業でも、本当は聞き取るのが難しかったのですが、全身全霊で神経を研ぎ澄ませて聞いて何とか凌いでいました。何を言っているのか分からない授業もありましたが、必死に教科書を読んで自分で勉強してきました。今までは自由席でしたし、友人の助けもあって何とかなっていたので、前の席にすることをお願いしてきませんでしたが、今回はさすがに後ろの席すぎて、何を言っているのかさっぱり分かりません。また、国家試験対策なので、重要度が違います。どうしてもちゃんと聞き取りたいので、どうか席を前にして頂けませんか?」

自分がどのように聞こえていて、どんな風に困っているのかを、分かりやすく丁寧に説明する必要がありました。説明せずに理解してもらおうというのは傲慢です。理解してもらいたいなら、難聴者の私の側に説明する責任がある。今なら、そのことがよく分かります。あの学生課の人に悪気はなく、どうしても理解できなかったんだ。上手に説明できなかった私が悪かったんだと今なら理解できます。自分が説明しなくて、理解してもらえるはずがない。聞こえる人が聞こえない(聞こえにくい)ことを想像するのは本当に本当に難しいことなのだから。

教育に携わる先生方にお願いがあります。どんな些細なことであれ、「困っているので助けて下さい」というのにはとてもとても勇気がいります。もし、生徒が「こうしてもらえませんか?」と言ったときは、たとえ実現が困難なことだったとしても、「無理」と一言で返さないで頂きたいです。「それは難しいかもしれないけれど、他の方法を一緒に考えよう」と言って頂けると嬉しいです。もし、その子が困っていないように見えたとしても、「その支援、別になくても大丈夫だよね?君だけ特別扱いはできないよ」と決して言わないで下さい。そのお願いは、ものすごい勇気を振り絞ってようやく言えたお願いなのです。それがすげなく断られてしまったら、その子は二度と誰かにお願いすることができなくなってしまいます。あの日以来、私はずっと誰かにお願いするのが怖かったです。そんな思いを子供たちには味わって欲しくないです。厚かましいお願いであることは重々承知していますが、もしよろしければ…どうか心の片隅に置いて頂けますと幸いです。

聴覚障害あるいは、目に見えない困難を理解してもらえなくて苦しんでいるあなたへ。理解してくれる人はきっといます。どうか自分の言葉で、自分のことを丁寧に説明することを諦めないで下さい。

大学時代の私は誰にも頼らず孤独でしたが、今は違います。職場の皆が、支えてくれます。「今、〇〇って言っていたよ」と実況中継してくれます。マスクの人と対応するときは代わってもらいます。何かあれば肩を叩いて知らせてくれます。そうしてもらえるようになったのは、自分のことを説明して、お願いできるようになったから。まだまだうまくいかないこともあるし、時には孤独を感じる時も、もちろんあるけれど、あの時よりもうんと幸せです。支えてくださる皆に感謝感謝の日々です。

--------願わくば、これからの聴覚障害をもつ子供達・若者たちが少しでも明るい未来を歩んでいけますように。そう願ってやみません。

お読みいただいてありがとうこざいました。心より感謝申し上げます。

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