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【展覧会】アナザーエナジー展-挑戦し続ける力-|森美術館/表現の源とその日常

三週連続今週も懲りずに美術館へ行ってきた。書いてないが、先週日曜日には、「安西水丸展」にも行ってきた。

さて、今回。

昨日、美容院にいって、「今日はどこいってたんですか?」といつも通りの当たり障りないことを聞かれ、「森美術館です」と答えたら、まさかの「アナザーエナジー展ですか?」と。「私も先日行ってきました」とのこと。

こんな偶然ともいえないが、嬉しい出来事があった。他人と共通項を見つける作業はなんだか楽しい。これこそが文化芸術の良さの一側面なのだろう。そうこの日僕は森美術館で開催している「アナザーエナジー展」に行ってきた。

近年、ジェンダー、人種、民族、信条などさまざまなアイデンティティの不均衡をただし、ダイバーシティを重視する動きが世界各地に広がっています。現代アートにおいても、この10年ほどの間、1950年代から1970年代に活動を始め、今日まで継続してきた女性アーティストたちに注目が集まってきました。
本展は、このような世界各地で活動する女性アーティスト16名を紹介します。年齢は71歳から105歳まで、全員が50年以上のキャリアを積んでおり、いまも現役で高い評価を得ているアーティストたちです。彼女たちは、環境や時代が激しく変化し、美術界やアートマーケットの評価や流行が移り変わるなかでも、自らの信念を貫き、独自の創作活動を続けてきました。本展では、絵画、映像、彫刻、大規模インスタレーション、パフォーマンスなどの多彩で力強い作品をとおして、挑戦し続ける彼女たちの特別な力「アナザーエナジー」とはなにかを考えます。
世界的なコロナ禍という未曽有の状況にあるいま、16人のアーティストたちの信念や生きざまは、私たちに困難を乗り越え、未来に向けて挑戦するための力を与えてくれるでしょう。
(以上、パンフレットより引用)

はじめての森美術館。まずは久しぶりの六本木ヒルズにテンションが上がる。

そして森美術館は、53階。エレベーターで上に上昇していくとともにテンションも一緒に上がる(ような気がした)。

同じく森美術館にて、「カウズ展」がやっており、そちらは若者で大盛況。それを横目にアナザーエナジー展へ。

16人の女性たちのアート作品展示。

ここ最近美術館に通っている僕だが、また何かアートというものの在り方が理解できたような気がする。

絵、写真、彫刻、映像、インスタレーション、その他なんて形容したらいいのかわからない作品。そう、アート作品はカタチに縛られない。

あるいは、そのカタチすらもうアート作品の一部なのだ。

各展示スペースは、アーティストごとにキュレーションされている。アーティストたちの紹介に合わせ、言葉が書いてあり、それが印象的だったので、紹介しておきたい。

フィリダ・バーロウ
「わからない」という状態が、私にとっては制作で新たな冒険をする動機であり続けました。
アンナ・ベラ・ガイゲル
挑戦とは生き残らねばならないということです。あらゆる意味で生き残り、アートを通して何かを成し遂げ、恐れ、もがき続けるのです。
ロビン・ホワイト
太平洋では個人主義はあまり重要なものではありません。人間の価値は他人と親しくなり、共に働く能力によって測られます。
スザンヌ・レイシー
なぜ私たちはアートに関わるのでしょうか?「アートとは何か」というのと同じぐらい、私はこの問いに興味を持っています。
エテル・アドナン
木々はそこに立ち、時々私たちを見つめています。私たちは自然の力を再発見する必要があります。
リリ・デュジュリー
進むためのエネルギーは自分の中にあり、それが良いか悪いかを前もって知ることはないのです。
キム・スンギ
自分を見つけることは、自分を忘れることと変わらない。
アンナ・ボギギアン
芸術とは、私の中にある何かです。それは自分自身への、そして人生への好奇心です。
ヌヌンWS
私は何かを吐き出したい。話すのではなく。私の頭のなかの、心のなかの何かを。
宮本和子
アートが私の全てで、アートという創造的なものが好きです。
カルメン・ヘレラ
私は長い間待っていました。「バスを待っていればやがて来る」という言葉がありますが、私はバスを1世紀も待ってようやく来たのです!
センガ・ネングディ
私は他人がやっていることはできないのです。私にできるのは、「私が本当にやっている」と思える仕方で物事をおこなうことだけです。
ミリアム・カーン
それが一体何なのかを知らずに作品を見ることができなくてはなりません。アートは全ての人にとって、言語を介さず理解されるべきなのです。
ベアトリス・ゴンザレス
アートは人々を、そして芸術家たちを豊かにし、予想もしなかった道へと誘うのです。
アルピタ・シン
人生が続いていくように、制作もまた続いていくのです。制作のプロセス全体が幸せの源です。
三島喜美代
命かけて遊んでるっていう感じですね、一生。その遊んでる感じでずっと行ってますから、苦にならない。

このアナザーエナジー展示のコンセプトは上述の通りだが、あまり僕はそこまでそのテーマのようなものをうまく消化せずに、ただそこにある作品を鑑賞した。

鑑賞の体験は、なんかいいな、を見つけること。そして、色々な角度で見たりしながら、その作品の背景や説明なんかを自由気ままに見て、何かを感じとる、というか、考えることが楽しい。

高尚なことなんてわからないけど、想像力を巡らせる。

気になった作品を、いくつか。

まず、初っ端の大規模彫刻「アンダーカバー2」

写真①

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部屋全体を使った大きな展示。これどうやって53階まで運んだんだろうなんてことを考えつつ、カオスの中でもある種整理された物体を見る。明るい色で、森の持つ神秘的で自省を促すようなそんな印象を受けた。

それと、宮本和子の「黒い芥子」。この人のことを初めて知ったのだけどなかなか独特というか、すごい。特にこの作品はどうやって作ったのか、これをこういったかたちで表現してしまえるところがなんかすごい。まさにアート。

写真②

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そして、アルピタ・シンの「私のロリポップ・シティ:双子の出現」。

写真③

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メッセージ性が強いことが、この作品の細かさから伝わってくる。横尾忠則作品もそうだったのだが、ごちゃごちゃしているようで、そこにはある種の秩序を感じさせる何かがある。それが、強さとして表現されているようなそんな印象を受ける。極限までシンプルな作品も好きだけど、その対極に位置するような極限までごちゃごちゃした作品も好きだ。


インスピレーションの源のようなものは、やはり本人の体験に帰属するのだろう。それが今回のように女性であることを起源にしたストーリーであることもキュレーションとしては成り立つ。

これまでの展覧会を振り返っても、自然がインスピレーションの源になっている例は多いように感じる。自然の尊敬と畏怖。これらを今の時代に合わせて表現する。そんな作品の力強さにどうも惹かれてしまう。

こういう展示を見ていると、僕も何かを表現したくなってくる。僕のインスピレーションの源として機能しているものは何だろうか。それこそ、日常。それと今でいうと、こういった展覧会での鑑賞体験。こうやって、文章を書くのも一つの表現活動だとすれば、もっと多くのあらゆる体験を蓄積し、自然と外にあふれ出るものを表現足りうるかたちで外に解き放ちたいものだ。

来週は、とりあえず、表参道でやっている村田沙耶香の展示に行こうと思う。文化芸術月間。

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