20代が終わる私からあなたへ
こんにちは、ひだりです。
Fさんの著書「20代で得た知見」を読了。
夜に人知れず静かに降り積もる雪のような、あるいは日曜日の薄明りの曇り空のような、そんなやさしくて脆い一瞬の感情をちょっとずつ重ねていくような本でした。
私事ですが、あと数か月で20代で終わろうとしている。
20代がもうすぐ終わる私から、もうすぐ20代を迎えるもしくは謳歌している、そして過去20代だった誰かへ、そして私自身へ何か届けられたらとつらつら書きたいと思います。
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20代は一瞬だと昔に誰かが言った。
過ぎてみれば本当に一瞬だったのかもしれないなと思う。
流行りだと思っていたものは今ここから見れば古めかしく感じるものばかりだ。
でも、一瞬だったと端的な言葉で片付けられるほど、味の薄い料理じゃない。
シンプルなことを難しく考えたり、他人と比べて優劣をつけたくなったり、うまくいかなくてイライラしたり、そんな自分に嫌気がさしたり、惨めで苦しくて辛い日々があったことを私は忘れられない。
そして、そんなときに差し伸べてくれた友人の手を、抱きしめてくれた家族を、見知らぬ誰かの言葉を、忘れたくないなと思う。
経験しなくてもいいこともあったのかもしれないし、無駄なこともあったのかもしれない。恋の魔法から解けた時の「なんであの時あんなに好きだったんだろう」みたいなこともきっとたくさんある。
でも、全部が無駄じゃなかったのかもしれないと思う出来事にふっと出会ったりするものだ。
私たちは悪である。私たちは何も正しくない。
そもそも常識は必要だが、正しくある必要なんてひとつもない。間違ってていいし、わがままでいい、逃げてもいい。
生きるのなんていうのは下手でいい。上手に生きてもいいけど、苦しくなったら下手に生きるといい。
正解の生き方なんていう方法があるなら見てみたいものだけど、きっとそんなのつまらないから見なくてもいい。
でも、自分の愛する人たちを悲しませるのはできるだけ避けたほうがいい。
あなたが心から幸せになってほしいと思う人たちもまた、あなたに対して同じことを思っている。常に幸せを感じれる環境にいれれば最高だけど、そうじゃないときもある。だから、生きることに意味なんか見出さなくていい。あなたがここで今生きているということこそが大事だと思う。
20代が終わる寂しさはあるけど、怖さはありません。
30代が始まるという漠然とした事実はあるけど、大人だなぁと思ったことなんてひとつもありません。
周りからはそろそろ大人になったらと言われたりしますが、大人ってなんでしょうね。楽しいとか嬉しいとかそういう感情が薄れて見て見ぬフリがうまくなったら大人なんでしょうかね。それもいいのかもしれないですが、私はできなさそうなのでこのままで生きたいと思います。
だって、私は今の私がわりと好きだし。
仕事がうまくいってるからとか恋愛が順調にすすんでるからとか綺麗になったからそういうことではなく、できないことやずぼらでわがままな部分がたくさんあっても愛されることや、価値があることを知ったから。
そして、何よりも私自身が自分のことを幸せにできるということに気づけたから。
20代で知ったこと。忘れていったこと。失ったもの。得たもの。間違いだったかもしれないこと。正解だったかもしれないこと。
全ては一瞬で一瞬ではなかったと、私は思う。
これを私なりの20代で得た知見とする。