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ポジティブは努力

こんにちは、ひだりです。

毎日更新してたけど、書くネタ詰まったので即効辞めました。
これについて書きたいな〜と思って書いてる時のが楽しい。

さて、今回はポジティブは努力ってお話。

前にも記事で書いたように最近、やたらと本を買って読んでます。
しかし、本棚にはいくつかの読みかけの本が…
目が合ってしまった。
こっちを早く読めやという圧力。
読みます。
読みました。
読んだんですけど、そこに書いてた衝撃の事実。

人は1日に約6万回考えます。そして、95%は前日、前々日と同じ考えで、80%はネガティブなこと(将来の不安か過去の痛み)を考えています。
参照:めんどくさいがなくなる本 ー 鶴田豊和

1日に6万回も考えてんのも驚きだし、ネガティブなことが多いのも驚きだし、堂々廻してるってことじゃん。
しかも、ほぼみんなネガティブ!!!!
君も私もネガティブ族!ヘイ!ナカマ!!!

ここでいう考えというのは無意識下のことを指していて意識的に考え事をしている時は別なんだそうです。
確かに無意識のうちに人はネガティブに陥ってしまう感覚を味わったことがあるのは私だけではないはず。夜、一人でボーッとしてると考えがぐるぐる巡ったり過去の失敗や恐怖を思い出して不安になったり落ち込んだり。
まるで悪夢を見るようなそんな感覚。

しかし、このおかげで誰かがツイートしていた「ポジティブは努力」という言葉が曖昧な理解から明確な確信になりました。

この書籍だけを頼りにするのは間違いだと思うけど、ここはあえてこの本に書いてある通り、我々、人間のその主な要素がネガティブでそれが自然なことだと仮定します。
思い返せば、確かに私たち人間は意識してポジティブになろうとします。嫌な事が浮かんだら、あぁダメだと他のことに集中してみたり、友達と話してみたり、そういうことをしながら常にネガティブな思考を払拭しようと努力する。
しかし、人は忘れっぽい生き物で「ポジティブに考えよう」と簡単に言ってしまう。努力しなければ得れないものならば、落ち込んだりブルーな気分の人に「努力しろよ」と言ってることとほぼ同じになっちゃうんだなぁと改めて考えさせられます。
うっかり言ってたぜ、反省。

もしもそのネガティブさに対してなんらかの罪悪感を持っているのなら身も蓋もないこと言いますけど、先ほどから書いたようにそれは自然なことです。
ネガティブは悪い意味に捉えがちですが、ネガティブアプローチという戦略が用いられたりするようにネガティブなことでメリットになることもたくさんあります。物事を慎重に考えて動いたり、人数ではなく深く人と関わることに重きを置くでしょう。
もしかすると、その苦しさはネガティブな自分を受け入れられない、許せないという葛藤なだけの可能性も。ポジティブでいなければ幸せになれないと思っていませんか?

しかし、本にも書いてあった通りネガティブは自然なことで、ポジティブというのは努力です。両方持ち合わせている人はどちらにも行ったり来たりできますが、ネガティブに偏っていればポジティブに持っていくために頑張らなければいけません。
ポジティブな誰かを見て憧れているからそうなりたいと思うならまだしも、ポジティブでなければいけないなどと一種の強迫観念に駆られていては元も子もないのです。

ネガティブな成功者もいればポジティブな成功者もいます。あなたが憧れる方に共感できる方に好きな方にいけば良いのであって、こうでなければいけないなどないのです。

私はネガティブな部分もありますが、周りのおかげでポジティブを得たタイプです。しかし、そんなポジティブさもふっと崩れたりします。努力をしたとしても足場が弱いのです。簡単に払拭できる時はすぐに立ち直れますが、ダメな時はとことん落ちていくに限ります。落ちて落ちて惨めだ可哀想だと自分を甘えに甘やかして嘆き散らかして、そうすると一つの状況にとどまるのが苦手な性格も手伝って、飽きたり、落ち込んだことに満足して、そろそろ這い上がるか〜となっていきます。
ただし、これはあくまでも「私」の場合。
好きでネガティブでいるんだろうな〜と思う人も見てきました。

まずはあなたがネガティブでいることが本当に嫌なことなのかよくよく考えた上で、ポジティブという努力に挑戦してみてはいかがでしょうか。


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