面白い人間になりたい。
最近、縁あって人前でお話しさせていただく機会が度々ある。
プレゼンテーションをやったり、対談(というのか?)を配信したり。
顔の見えない相手に向かって喋って、それを後から誰かが聞き、時差を経てリアクションをもらう、というのはなんだか不思議な気分だ。
スペースなんかは前からちょこちょこやってきたけどあんまり「他人に聞かせるための喋り」を意識したことはなかった。
先日、高校時代の同級生と会った。
元々マニアックな人だったけど、最近じゃ共通の趣味を持つ人が集まる場所で講演したりしているそうだ。
自分が面白いと思うことを一方的に喋るだけじゃなくて、キャッチーなテーマを選び、聞き手が興味を持ちやすいように編集したり脚色して起承転結を作る。そこまで考えたらもうプロの所業だ。
提示されたトークテーマについて喋った収録はリテイクを重ねたけどまぁまぁだったんじゃないかと思う。
ただ、収録後に言われた「喋りに人となりが見えてこない」という言葉は結構刺さった。
昔から「面白い人」へのコンプレックスはある。
「面白い人が好き」だと言った人にセンター街の魚民でフラれたからかもしれない。
その人が「面白い」と言った女の子が、強烈な個性を活かし全くの無名からアーティストとして駆け上がっていくのを間近で見て、あれが「面白い」なのだとしたら私は死んでも面白くなんてなれない、と思った。
その子はあっさり主演の座を退いて、すげ替えた看板の下でユニットは続いてる。本当に面白い人だ。
あんなに強烈に面白い人達に囲まれてたあの数年間はマジックアワーだったんだと思う。
あの強烈な時間に狂った私は未だに身の丈に合った面白さが見つけられない。
面白さを人に伝えるには技術が必要。
だけど伝えるべき中身がなければいくら小技を使っても薄っぺらいだけなんだ。
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