2010年の思い出

2010年の4月に東京に来た。満を持しての東京進出という訳ではなく、むしろアクシデントに近い状態だった。東京に来ると決まったのは2月末だ。3月に下宿を探し(でも実際に東京に下見行く時間はないので決め打ちで決定)、3/31に東京に引っ越し、4/1から勤務開始という強行スケジュールだった。色々と大変だったが、楽しみでない訳でもなかった。長いこと京都にいたせいで色々としがらみが増えてしまっていたし、「なんかもうここにいるのが嫌になった」イベントなどもあったので、俺のことを知ってる人が一人もいない環境に飛び込んでまっさらな状態で自分を試してみたいと思った。関西は東西南北知ってる場所しかないが、東京はどこ見ても初めての場所ばかりで新鮮だった。坂道が多いので京都から持ってきたボロい自転車はすぐに壊れて使えなくなった。毎日何かしら発見があったが話す相手がいないので毎日親に電話をしていた。バスは乗車時に料金を払うというのに最初気づかず運転手さんに促されてびっくりしたとか。東京は地価が高いのにでかい公園がたくさんあるのにもびっくりした。そうか、これが東海大地震に対する備えなのか。「僕はそば派なんですけど東京はうどんばかりでそばの名所がないんですよね」と先輩にこぼしたところ「深大寺そばがあるじゃん」と教えてもらい、そこから深大寺にことあるごとにそばを食べに行くようになった。たまたまその時の朝ドラが「ゲゲゲの女房」で、深大寺はタイアップイベントでわいわい賑やかだった。水木しげるが調布市に住んでる(住んでた)というのもその時知り、調布にも通うようになった。総じて楽しかった。家が都心でなく多摩になったのはたまたまだったが、のんびりした環境が好きな俺にとって多摩は居心地がよかった。その夏には南アフリカW杯があり、岡田ジャパンがベスト16に進出し、それがきっかけで味スタにJリーグの試合を観に行くようになり、東京サポになった。その年にJ2降格したけど。初めて行った試合で大久保が同点ゴール決めて、長友の移籍セレモニーやってた。甲子園にも行ったことないので、スポーツスタジアムの非日常感は新鮮だった。

一人暮らしを満喫していた。当時彼女だった今の妻とは遠距離だった。合唱団の指揮者を継続していたので月に1回練習つけに京都に帰っており、練習の後に彼女の家に行くというパターンを確立していた。東京から練習に通うのはすごくしんどかったが、「彼女に会うために練習にかこつけて京都に来てるんやろ笑」みたいに合唱団で茶化されるのはすごく嫌だった。指揮者ってそんないい加減な気持ちで継続できるもんじゃないんだよ。彼女に会う予定がなくても練習には来る。それくらいわかれよ、と思ったが、「指揮者が毎月東京から通うような練習形態はどうなのか」みたいな真面目な議論を引き起こさないために「彼女に会うためやろ」というエクスキューズが必要だったのかもしれない。まあ細かいことはいいや。今、ここで言ったことで気が済んだ。

全然畑違いの職場に入って、よく馴染めたもんだと今思うと感心する。職場の人が快く受け入れてくれたからというのが大きいけど、若さゆえのがむしゃらさみたいなものも大きい気がする。とにかく金もなく他の選択肢もなく、後がなかった。後がない時の俺は強くなる。けっこう凄いことを達成したのでは?仕事についていくのは大変だったが。4月は比較的暇で17時に退勤して近所のスーパーで買い物し、自炊にチャレンジなどしていたが、ゴールデンウィークを超えたあたりからあっという間に忙しくなって無理になった。頭の中はわからんことだらけで、それまで合唱のことしか頭になかった俺の頭に浮かぶ音楽はCMソングやみんなのうたくらいになってしまった。リソースが取られるとはそういうことだ。しかし職場も家もびっくりするくらいボロかった。こんな場所まだあるんやなという感じ。

今思うと全てが懐かしい。学生時代も懐かしいが、一人暮らし社会人時代も懐かしい。唯一の後悔は東京にチューバを持ってこなかったことだ。家が狭くなるとしても持ってくるべきだった。今はそのチューバはもうない。新しく買おうと思っても同じようなものはそうそうない。とても残念だ。


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