「社会性」を攻撃するコロナ
一般人である我々にとってのコロナの恐ろしさというのは、これなのではないかな、と思ったので。
Yahoo知恵袋での「弱肉強食は人間の世界でなぜ行われないのか」という質問に対する回答が秀逸、というツイートがかつてあった。(いろんなところで記事にされていたので知っている人も多いと思うけれど。)自然界は弱肉強食ではなく適者生存であり、人間は「弱い個体も活かすことのできる社会システムを作り上げたことによって自然界で反映した」というもので、読んでない人は一読推奨。
で、今新型コロナによって攻撃されているのがまさにこの「社会性」なのではないかと思うのである。人間は一人では生きていけない。完全自給自足というのは理論的には可能だが実際には多くの人にとって無理である。たくさんの人で協力、役割分担することによって繁栄してきた。とすれば、コロナによって他者との接触を断絶させられることは、人間の生存戦略そのものをおびやかされていることにほかならない。「健康だけど我慢を強いられている」のではなく、「社会性を失っているという意味で種としての病気に既にかかっている」という表現が正しいのかもしれない。
(全くロックダウンしないとか、異なる選択肢はあったのかもしれないけれど、結果的に世界中が同じような対応に終始しているという点では、この対応しかなかったのだろうと思う。)
医療のことを考えれば完全ロックダウンが正しいかもだけど、人間は社会活動を止めたままでそんなには長く生きられない。数分なら息を止められるがそれ以上は無理だ。どんなに空気が悪くても、少しは呼吸しないと。職種によっては、感染対策と矛盾する業務内容を余儀なくされる場合もあるだろう。そしてその仕事は社会にとって必須の仕事である。仕事を失えばそもそも人間は生きていけない。社会を止めないと危ないけど、社会を止めたら危ない。そのような矛盾が発生することそのものが、「コロナの攻撃」なのではないか。矛盾によって行政や社会が機能不全にさせられてしまっている。コロナに感染していない我々は、健康だろうか。相互扶助が相互監視に切り替わってしまっていないか。帰省や旅行、飲み会、交流、業務の一部を止められるのは、残念だ、というだけではなく、人間が培ってきた連携機構が機能していないということであり、知恵袋で言うところの「弱い個体」に戻っているということであり、人体で言えば血流が著しく悪くなっているということであり、短期間ならば修復できるが長期化すれば完治不可能なダメージが蓄積してしまうのではないか。
そんな風に考えると、全体を見ずに一つの事象だけを取り上げて人間同士で言い争ったりしてるとまさにコロナの思うつぼなので、皆冷静になってできることをしようねと思う次第。他人がやいやい言ってるのを見たら「あの人コロナに感染してるなー」と思ってやり過ごしたほうがいいと思う。他人の目とか意見とかあまり気にしないで、たとえば自分の心の健康に旅行が必要なんだったらできる限りの対策したうえで旅行したらいいと思う。帰省を我慢して心を病むくらいなら、反対を押し切っても帰省したらいいと思う。仮にそれでコロナに感染したとしても、それは社会性を武器に繁栄するという選択をしてきた人間の全体として負うべきリスクであり、個の責任に帰結させられるものではない。個人レベルでは、自分と自分の大切な人を守ることが一番大事。俺はそう思っている。
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