いつも「時間がない」あなたに 欠乏の行動経済学
タイトルは「時間がない」を強調しているけど、原題は "SCARCITY: Why Having Little Means So Much"となっており、特に時間を対象にはしていない、より一般的な「欠乏 (scarcity)」を書いた本になっている。お金、食べ物、時間などが不足した時に人間がどういう状態になるのか。よくある自己啓発的な本ではなく、経済学の教授と心理学の教授の二人が書いた、データ分析に基づく学術書である。とても読みごたえがあり、実例がたくさん載っていてわかりやすかった。
例えばご飯が無くなり飢餓状態になると人は食べ物のことしか考えられなくなり、借金が苦しい人はお金のことしか考えられなくなる。その状態を「トンネル」と呼び、トンネルの中のことについてはすごいパワーを発揮するが、トンネルの外のことには気づかなくなる(締め切り前日の人が仕事にすごいパワーを発揮するけど、部屋がちらかっていることには全く気を向けなくなるみたいに)。特に、気になっていることがある時にそのせいで全てのパフォーマンスが落ちる状態を「処理能力が取られている状態」と表現し、お金に困っている人がお金の心配をしながら作業すると、徹夜した人よりも作業の精度、考え方のレベルが落ちることを発見した。明日の借金を返すために更に借金をする人は、「明日の借金を返す」トンネルに入って、それより大きな借金に将来苦しむことはトンネルの外にあるので気づかなくなる、ということである。大学で学位取るような優秀な人でも容易にこれらの罠にはまるので、これらは知的能力の問題ではない。これらの考え方は自分の日常経験を通じても非常に納得がいくものであった。
特に興味深いのは「スラック」という考え方で、スラックとは余白、バッファのことである。借金を返しながら生活している露天商たちにお金をぽんとあげて無借金状態を作ってあげるとどうなるか。最終的には全員もとの借金生活に戻ってしまうらしい。最初はちゃんとした生活をしようと頑張るけれども、結婚式に呼ばれるとか大怪我するとか、大きなお金が突発的に必要になる出来事(「ショック」と呼んでいる)に対する備えをしていないので、その時に借金をしてしまうそうだ。なるほどってなるやん?でも我々も同じなのだ。カレンダーの全ての日を予定で埋め尽くしてしまう。まるで突発的な仕事なんてひとつも入らないかのようにスケジュールを埋めてしまう。それでも実際には色んなアクシデントが入り、その度にスケジュールが遅れ、納期が守れなくなり、あちこちに迷惑かけながら必死で作業する状態(時間の欠乏状態)になってしまうのだ。一時的に全ての仕事を終わらせても、「気づいたら仕事が大変な状態に戻っている」というのは実感として非常にありそうな話だ。
それに対する対処が書いてあるのだが、基本的には「処理能力を守る」ことが大事である。つまり欠乏状態に陥っていると客観的にまともに物が考えられなくなるので、それを脱した状態を作り出す必要がある。作り出すためには一時的に欠乏を脱するだけではだめで、突然のショックにもある程度耐えられるくらいの余裕(スラック)が必要になる。それを作り出すために行動することが優先順位の第一であり、目の前の業務に対処することが第一ではない、ということなのである。一時的にお金が入った、時間に余裕ができた、そういう余裕がある時(処理能力に負荷がかかっていない時)に、そういう長い計画をたて、実行するのが大事なのである。
実際これは自分の経験からしても当てはまる。死ぬほど忙しい時期は目の前の作業をこなすだけで他のことは考えられなくなるが、そんな俺でも流石に正月はゆっくりしている。数日ゆっくりすると、頭が開放され、いい感じに回転するようになり、普段は思いつかないような将来展望がいろいろ浮かんできたりするのだ。あれが「時間の欠乏を脱した状態」なのだな。美容院に行って髪を切ってもらってる時も、他にすることがないのでぼんやりしてて、仕事のアイデアがどんどん湧いてきたりする。一方その後にPCの前に座ると、突然何も思いつかなくなる。「あれやらなきゃ、これやらなきゃ」となる。それは、メールを見たりSNSを見たりして、それであれこれ考えることに「処理能力」が取られてしまい、大きいことを考える余白がなくなってしまうからなのだな。よし散歩しよう。そういえば公園のベンチに座ってる時もいろんなアイデアが湧く。
ダイエットがなぜうまくいかないか。人は「毎日の心がけ」を必要とする作業に弱い。毎日意識する必要があるので、何かの事情で処理能力が取られた時に「今はしょうがない」という理由で続けられなくなってしまう(ダイエットがトンネルの外に出る)。心当たりがありすぎる。改善するには、それをシステムの中に取り入れてしまうこと。意識していなくても続くシステムをつくる、あるいはトンネルの中に入れてくれる仕組みをつくる(友達とダイエットについて語る機会を定期的に入れておく、とか?)しくみができれば無くならなくなる。俺も運動の習慣は全く続かないが、そういえば昼ごはんをプロテインダイエットにするのは何年も続いている。あれは考えなくても続けられるからなのだな。預金や投資も、意識的に検討して月いくら入れるというのは全く続かないが、自動引き落としにしておけば誰でも続けられるようになる。
お金がない人はお金のことしか考えられないので、「愚かな人」になってしまう。その人にお金をあげて欠乏から救ってあげると、その人の処理能力の負荷が減り、もとのパフォーマンスが発揮できるようになる、つまり人が優秀になる。お金の苦しみから救ってあげることは、お金の苦しみを取り除くことそのものよりももっと凄い行為なんだよ、と述べている(貧困対策はこの本の重要なテーマになっている)。一方、貧困から救うための「教育プログラム」のようなものは、処理能力に負荷がかかっている人にさらに負荷を与えるようなもので、全くうまくいくはずがない、と述べられている。必要なのは、負荷がかかって「愚か」になってしまっている人から負荷を取り除いてあげること、たとえば一緒に必要書類を書いてあげたりするとすごく参加率が上がるらしい。
俺のための処方箋。処理能力を守るのが大事。「緊急でお願いします!」みたいな依頼が入っても、処理能力を取られないこと。そのうえで、緊急の案件がある程度入ってくることをあらかじめ想定したうえでスケジュールを組む(スラックを作る)。緊急の案件が多すぎる場合はシステムを見直す。抱えきれない案件を抱えることにならないように、要らないものは放り出す。そのうえで、処理能力を使うべき重要な案件に十分な時間を使う。優先順位をうまく割り振ることが大事。そう考えると、日々襲ってくる雑務や連絡というのは、「自分を優先順位のトップにおいてください」という魔の手である、と考えることができるな。
最後に備忘録として、この本に書いてある内容を一部ここに転載します。もっと知りたいと思う人はぜひこの本買ってね。必要な人にはめちゃめちゃ刺さる、間違いなく良書です。
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